第4話 異形襲来、再び
牛鳥が、ゆっくりとわたしに近づいてきた。
「レーリア様、お話を、どうか……」
そう、笑みを浮かべながら言うけれど。
怖いんだってばー! 牛が、笑ってるのよ!? 涎垂らしてるから!!
「彩花、下がってて。ちょっと狭いな……」
吉田くんはそう呟くと、わたしをテーブルの下に追いやった。
そして、手を横に振りかざすと、ああ、前も見た。
空中から、剣が出てきた。
どういう仕組みなんだろう。今度聞いてみよう。
吉田くんは、それを握り、そして鞘を抜き去った。
戦いに、慣れている仕草が……目線が離れない。
わたしに背を向けたままの吉田くんは、じりじりと牛鳥との距離感を図っているようだった。
この間、自分の武器だとはいえ斧から守ってくれた牛鳥には悪いけど……
どんな言葉を言われても、この人……人じゃないんだろうけど……に付いて行く気がしない
ていうか、怖すぎる!!
「レーリア様……」
何だか無機質なその声は、わたしの背中にぞっと鳥肌を立たせた。
やだやだやだ!!
わたしが両手で自分の身体を抱えてしまうと、吉田くんはぐっと膝を曲げて剣を真横に一閃させた。
牛のくせに、身軽な牛鳥は、その剣をひらりと躱して、濁った目線を吉田くんに映した。
「邪魔をするな……」
「ティリシアの、使い魔! お前を操っている者は、誰だ!」
操っている?
使い魔?
この間は、牛鳥がゾンビもどきを操ってた。
でも、この牛鳥も、誰かに操られているの?
吉田くんは華麗に舞うように、剣を繰り出して牛鳥を追い詰めて行った。
牛鳥も、大きな斧を装備して応戦する。
ああ、剣と斧。それに、あんなに細身の吉田くん。力では牛鳥に敵わないの!?
段々、押されていくのは吉田くんの方だった。
キン!と高い音を立て、剣と斧がぶつかり合う。
一瞬火花が飛び散ったような気がした。
牛鳥と、吉田くんが顔を間近に付き合わせて、睨み合う。
「言え。誰だ。ティリシア王室関連か?」
吉田くんの声に、牛鳥はにやりと笑って涎を垂らした。
やだよ、怖い!!
でも、目を逸らしちゃ駄目だ。
吉田くんは、わたしのために……わたしを護るために戦ってくれている。
わたしが、成人して、自分の意見を安全な場所で言える日まで……。
だから、わたしが、今出来ること。
「吉田くん、頑張って!!」
思わず震える声を上げると、激しい打ち合いの中、金属音の隙間に滑り込んでわたしの声が届いたようで。
吉田くんは一瞬だけ振り返り、そして口元に笑みを浮かべた。
「彩花から応援されたら、負ける訳にはいかないな」
小さく呟き、剣の先に指先を当てた。
ぶつぶつと何かを言うと、その剣が炎に包まれた。
凄い!! ますますゲームの世界みたいになってきた。
その剣を頭上に掲げ、吉田くんの身体がひらりと浮かび上がった。
何て身軽なの!
「やぁ―――っ!」
気合一閃。
掛け声と共に、吉田くんの炎の剣が、牛鳥の頭上目掛けて振り下ろされた!
だけど、斧を盾にして、牛鳥がその剣を受け止めた。
吉田くんは、更に剣に力を込める。
牛鳥は、斧を持っていたのを片手から両手に変え、必死で剣を防いでいる。
……この間の牛鳥より、ずっと強い……?
わたしが手に汗握って、テーブルの下で応援していると。
ふと目線に何かが映った。
床から……ファミレスの、わたしの目の前の床から。
茶色い、何かどろどろしたものが……ずずっと競りあがってきた。
ちょ……ちょっと……何?何なの!
ずずずず……と上がってきたそれは、丸い、まるで人の頭のような……。
だけど、く……腐ってる……。
毛がない頭部が姿を現し、そして何も感情を現さない、淀んだ瞳がわたしを捉えた。
そのまま、何か液を滴らせ、ゾンビもどきが、全身を床から這い上がらせて。
わたしに見たくも無い全貌を現した。
人間て、余りに驚くと、叫び声も出ないんだ。
わたしは目と口をぽかんと開けて、ただ目の前のゾンビもどきを見つめてしまった。
ゾンビもどきは、ゆっくりとわたしに掴みかかろうとしている……!
そこでやっと、わたしは何かが外れたように、自分の耳に手を当てて、身体を折り曲げて、全力で悲鳴を上げた。
何で耳を塞いでいるんだろう。
ああ、そうか。自分の叫び声が、うるさいって分かってるからだ。
脳のどこかで、ぼんやりとそんなことを思いながら、わたしはただ悲鳴を上げ続けた。
目を、ぎゅっと瞑って。力の限り、叫び続けている。
何かが、わたしの肩に触れた。
やだ、ゾンビもどき!?やだやだやだ!!!
更に声を上げ続けていると、わたしの身体がぎゅっと包まれた。
震えるわたしの身体を抱きしめて、何度も背中を撫でてくれている。
わたしの耳を塞いだ手を、そっと外して。そして流れ来る声は、穏やかな響きだった。
「彩花、彩花。もう、斃した。だから、大丈夫だから。落ち着いて……」
繰り返し、わたしに囁いてくれる声。
パニックに陥っていたわたしは、やっと少しだけ目を開けた。
目の前には、見慣れたワイシャツがある。
ネクタイも、さっきまで見ていた。深い緑の、透かし柄の入ったネクタイだ。
ゆっくりと、顔を上げると、端正な、だけど少しだけ泣きそうな吉田くんの顔があった。
「彩花、怖い思いをしたな。だけど、もう大丈夫だよ……」
目線を吉田くんの背後に向けると、横たわった牛鳥が、煙と共に消えていくところだった。
それに伴って、あのゾンビもどきも。砂のように崩れていっている。
終わったの?
もう、牛鳥、襲ってこないの?ゾンビもどきも?
わたしは、ほっとしたのと、再び湧き上がる感情を抑えきれなくなってしまって。
吉田くんの胸に縋って、わんわんと泣いてしまった。
まるで、子供の頃のように。声を上げて。
吉田くんは、ただわたしの背中や、わたしの髪を撫でてくれていた。
その手が暖かくて。顔を押し付けた胸の鼓動が、心地よくて。
男の人に、自分から触れるなんて、あり得なかったのに。
わたしは今、この胸の中から離れたくなかった。
これから、こんなことが何度もあるのかな……。
そのたびに、吉田くんがわたしを護ってくれるのかな……。
吉田くんは、とっても強いけど、でも。
その時に、気付いた。
いつか、この手が地に落ちて、わたしの目の前で冷たくなってしまうのが怖かった。
ゾンビもどきも、牛鳥も怖いけど。
でも、今わたしが一番怖いのは、吉田くんが消えてしまうことだと分かってしまった。
「吉田くん……」
わたしは涙でグチャグチャになってしまった顔を上げ、吉田くんを見上げた。
目を細めて、吉田くんはわたしの頬に手を当ててくれた。
その眼差しは、限りなく穏やかで、優しくて。
胸が、苦しい。
どうして、こんなに心臓が痛いの?
「わたし……早く記憶を取り戻したい」
どうして?それは、吉田くんの力になりたいから。
護られているばかりは、嫌なの。怖いの。
わたしのために、吉田くんがいなくなったら……嫌なの……。
言葉にしない、わたしの気持ちはきっと伝わらないだろう。
だけど、吉田くんは笑みを深めて、ただ頷いてくれた。
そして、わたしをまた、ぎゅっと抱きしめた。
この腕を、失いたくない。
落ち着いたら、吉田くんを男の子だと認識して、少しだけまた怖くなってしまったけど。
でも、わたしはぎゅっと目を瞑り、まだ、吉田くんに抱きつくことは出来ないけど。
この人の温かさに、もう少しだけ縋っていたいと思っていた。
わたしのありふれた、どこにでもある『日常』が、音を立ててひび割れていくのを、気付かない振りをして。
彼の腕の中、泣きじゃくるわたしの指先が求めたのは、失われたはずの記憶。
「護られるばかりは、嫌なの……」
止まっていた運命が、わたしの心に応えるように熱を帯びて回り出す。
それは、甘く苦しい崩壊の始まり。
次回、新章「戸惑いの前奏曲」開幕。
第1話「指先が触れた、境界線」へ続きます。




