第3話 五歳の決断と、二十五歳の約束
アステリアには、4つの国が点在している。
ティリシア、ミネリア、フォーティニア。
そして、皇帝のお膝元の、アステリア。
皇帝は、代々世襲制で継がれている。皇帝の直血の者にはアステリアの名前が、「蒼の一族」と呼ばれる縁戚全てには、「エルハラード」の名が冠せられている。
太古の昔には、アステリア全てが皇帝の領地だったが、何十代前かの皇帝が、各領主に自治権を与えてしまってから、この奇妙な4国統治がなされていた。
そして領主は、いつしかそれぞれ国王となり、自国の領地を広めるべく、水面下で虎視眈々と機会を伺っている。
だが、最大の権力者は、今でもアステリア皇帝。
しかし。
「祝福の女神」がこの世に生を受けた。
次代の皇帝には、わが国の王が。
祝福の女神さえ手に入れば、その望みは叶うはず。
各国がしのぎを削り、策を練り、祝福の女神レーリアを巡って、争いが起き始めた。
それを憂いた皇帝は、密かにレーリアを地球へと送った。
来るべき、その日まで……。
「……って感じ?」
わたしは、嬉しそうにわたしの話を聞いている、吉田くんに確認をした。
今は、営業回りの昼休み。
ファミレスで食事をしながら、アステリア講義を受けるのが、日課になってしまった。
今日は、その確認。
「そう、よく覚えたね。凄いよ、彩花」
吉田くんはにこにこと笑いながら褒めてくれたけど。
でも、これくらいは……というか、やっぱりゲームの中の話みたい。
「でも、どうしてわたし、記憶がないの?」
そう疑問を口にするのは、当然だと思う。
だって、わたしはレーリアという祝福の女神で。
皇帝が、わたしを地球に送り込んだんだったら、別に記憶を消す必要はないんじゃない?
吉田くんは、切れ長の、少し上がり気味の目を細めて微笑んだ。
心臓が、どきんと高鳴る。
本当に、綺麗な顔。目の前にいると、何だかわたしが恥ずかしい。
「レーリアは、『普通の女の子』になりたかったんだ」
「え……?」
「生まれた時から、祝福の女神としてもてはやされていたからね。普通に学校へ行き、友達をたくさん作って。普通の女の子が得られる生活を、してみたかったんだよ」
普通……確かに、わたしは普通の生活。
公立の学校を高校まで進み、女子大に進んで。
友達もそこそこ作れたし、今のところ仕事も順調。
「レーリアは、今後の生活でこの地を選び、そして今の彩花のご両親の記憶を変えた。二人に、娘がいるという記憶を植えつけた。もちろん、その周囲の人間たちにも。そして、自身は力と今までの5年間の記憶を、全て封印したんだ」
「待って、5年間て……5歳!?」
レーリアが、それだけの力を使って地球に潜り込んだのは、5歳……!?
幼稚園生くらいじゃないの!
わたしは自分自身のことなのに、驚いてそれ以上言葉が出なかった。
吉田くんは、くすくすと笑って頷いた。
「そうだよ。たった、5歳だ。祝福の女神だからね。言っただろう? 魔力も知力も高いと」
「それにしても……」
わたしが何だか釈然としていないでいると、吉田くんはオレンジジュースの最後を啜った。
吉田くんの容貌からは、どう考えてもコーヒーとか選びそうなんだけどな。
でも、吉田くんは結構甘いものも好きだし、ジュースも好んで飲む。
人を、見かけで判断しちゃ駄目だなあ。由利ちゃんに、怒られちゃう。
「あ、そうだ。ずっと聞こうと思っていたの」
わたしが声を上げると、吉田くんはそれはもう優しげな笑顔を浮かべて、首を傾げた。
ここ数日、会社では無愛想の塊だった彼が、他の社員達とも会話をちゃんとするようになった。
「彩花を失いたくないのなら、もう少し他の人にも愛想をよくしなさい」
そう由利ちゃんが、わたしへの女子社員たちの嫉妬心を和らげるために、助言してくれたお陰だ。
でも……分かる。
今、わたしへ向けてくれる微笑と、他の人に向けるそれとは違う。
分かってしまう。
だから……どうしていいか、分からない。
わたしは、男の人が怖い。
どうしてだか、分からないけど、でも……傍に男の人がいると、びくりと震えてしまう。
吉田くんにも、そう。
こうして、テーブルを挟んでいるときはいいけれど、隣に歩いて肩が触れたりすると、弾かれたように身体を固くしてしまう。
でも、吉田くんは、他の男の子と違う。
わたしを護ってくれると、言ってくれているからかな。
今、一番一緒にいる時間が長いからかな……まだ、よく分からない。
「あのね、吉田くん。来るべき、その日っていつ?」
わたしはずっと気になっていたことを聞いてみた。
この間、会社の机で、吉田くんの頭を思わず撫でてしまったときにも言っていた。
……日まで……
何の日まで?
気になって仕方が無いけど、なかなか聞き出せなかった。
吉田くんは、長い指で濡れた烏の羽のような色の髪をかき上げ、そのまま両手をテーブルの上で組んだ。
綺麗なしぐさ。
それだけで、TVのコマーシャルに出れそう。
そして、低い、耳に心地いい声を発した。
「彩花の来年の誕生日」
ただ、その声は短くそう言った。
もうすぐ……今月、わたし誕生日。24歳になる。だけど、来年……?
首を傾げた吉田くんは、少し表情を改めた。
「うん。レーリアは、成人に封印を解くように自分に魔法を掛けた。……でも、すでにレーリアの魔力が漏れ出している。もう少し、早まるかもしれないな」
待って、意味が分からない。
わたしの表情が、物語っていたのかも。吉田くんは、苦笑を浮かべて首を振った。
髪が、揺れる。長めの前髪が。
「ああ、ごめん。アステリアでは、25歳が成人なんだ。そして、成人すれば、正式な発言権が与えられる。彩花、レーリアの立場は?」
そう問われ、わたしは何度も聞かされた言葉を。
「祝福の、女神だよね?」
吉田くんは、満足そうに頷いた。少し、その言葉に誇らしげだ。
何でかな……?
「そう。祝福の女神が、来年の誕生日には発言権を得る。自分がどこの国で生きていき、どこの者に微笑みという力を与えるのかを決めることができるんだ」
どうも、吉田くんの言っていることは抽象的。
微笑みって、そんな力があるの?わたしも、仕事柄、よく笑うけど。
でも、相手のお客様がパワーアップしたなんてこと、今までないけどなあ……。
「つまりね、その日より先に、レーリアを懐柔して引き込もうと画策するわけだ。他の国は」
だから、わたしを狙うのね。
それで、この間の牛鳥が、わたしを斧から護ってくれた理由が分かった。
わたしが死んでしまったら、意味がないんだもんね。
「今まで、数千年の歴史があるアステリアで生まれた祝福の女神は、ほとんどがアステリアで生きることを望んだ。だけど、数例の例外があって、他国の者と恋に落ちたり、自ら他国の国王や領主になった例もあるんだよ」
「へえ……」
「レーリアは、平穏な生活を望んでいた。アステリアで、父王や兄たちと幸せに過ごすことを望んでいた」
……今のわたしが選べと言ったら、やっぱり今の家庭を大事にしたい。
お父さんとお母さんと。それから、物心ついたときから一緒のポワンと一緒にいたいもの。
「そっか……」
「そう。だから、その決断の日まで、俺がきみを護る。いや……その後も、ずっと護りたいな……」
そう呟いた吉田くんは、ふと顔を伏せて。
前髪で、顔が隠れてしまっていたけれど。唇が、その後も僅かに動いていたのを見てしまった。
約束を、守るから……
そう、確かに言った。
レーリアと、約束したのかな。
5歳の、幼いレーリアと。大切な、約束。
ごめんね、吉田くん。全然覚えてない。
きっと、辛いよね。
吉田くんは、レーリアのことが好きだったんだ。その大切な彼女のために、アステリアから地球に来たんだ。
でも、その本人は、彼のことはおろか、故郷のことも何も覚えていない。
何て残酷な魔法を掛けたんだろうな、わたし。
たった、5歳のくせに。
何だか、レーリアに腹が立ってきてしまった。
そして、段々頭が痛くなってきた。
色々考えすぎてしまったのかな。
「吉田くん、もう会社に戻ろう?」
そうわたしが言って、立ち上がろうとしたその瞬間。
「きゃーーーー!!!」
凄まじい悲鳴と、叩き割れる食器の音が鳴り響く。
そちらに振り返ると、入り口から、顔が牛で、身体が人間。背中に羽が生えているという……
牛鳥!!
ゆっくりと、わたしを目掛けて歩いている。
気持ち悪い!!口元が、少し笑っているような感じで。怖い!
吉田くんは、素早く立ち上がり、わたしを背後に庇った。
「チッ、またティリシア! 彩花、下がって!」
そして、手を天井に翳した。
キイィィン、と耳鳴りのような音がする。
前に、聞いた。
結界を張ったんだ!
牛鳥と、わたし達しかいなくなった、ファミレスの店内。
牛鳥の手にした斧が黒光りして、恐怖に怯えるわたしを映した気がした。
そして垂らす涎が、わたし達ににじり寄る。
嘘でしょ、どうするの!? どうなるの!
わたしはただ、以前と同じように、震えながら吉田くんの広い背中を見つめ続けているしかなかった。




