第2話 深紅の瞳、偽りの微笑
わたしの手を握って、にっこりと笑っている由利ちゃん。
営業途中で、この騒動に巻き込んじゃったのかな。
由利ちゃんを、早く逃がさなくちゃ……!
「危ないから、逃げて、由利ちゃん!」
「彩花、その女から離れるんだ!!」
吉田くんの切羽詰まった声に、わたしは驚いてしまった。
その女って、由利ちゃんのこと?
だって、由利ちゃんは、吉田くんも知っている通り、わたしの先輩で、わたしのパートナーだった人で……。
「彩花、早く!」
吉田くんの剣は、何度もゾンビもどきを切り捨てているけれど、わたしとの間には、まだ10体以上ものやつ等が塞いでる。
それに、倒れたゾンビもどきは、すぐに復活して、両手を挙げて吉田くんに襲い掛かろうとしていた。
「吉田くん!」
思わず叫んだわたしに、くすくすと笑う声が聞こえた。
驚いて横を見ると、由利ちゃんが口紅を塗った口元に笑みを浮かべている。
……どうして笑っていられるの、この状況で……。
「俺の張った結界は、普通の魔力のない人間は入れない! ここにいるという時点で、そいつは地球の人間じゃないんだ、彩花!」
必死な吉田くんの声に、わたしは彼と由利ちゃんを見比べてしまった。
だって……。
由利ちゃんは、わたしの尊敬する先輩で……。
美人なのに、それを鼻に掛けないで、営業一課の花形で。
「彩花、何度も言ったでしょう?見た目で判断しちゃ駄目。この子たちはね、それはちょっとグロテスクだけど、従順で可愛いのよ? 私の言うことを何でも聞くわ。もちろん、祝福の女神、レーリア様の言うこともね」
「何で……由利ちゃんが、その名前を……」
わたし、今、どういう顔をしているんだろう。
由利ちゃんの口元が、きゅっと上がった。笑みの色が、変わった。
「祝福の女神、レーリア様。こうしてお話出来る日を、心待ちにしておりました。わたくしは、ティリシア第三王女、ユリシーダ・エミル・ディナ・ティリシアと申します」
由利ちゃんは、わたしの前に、あの短いタイトスカートのスーツのまま、跪き、深く深く頭を下げた。
やめて。
頭に、言葉が入らないよ。
何て言った、由利ちゃん?
ティリシアの……王女?
嘘だ。
だけど、下げた頭を上げ、わたしを見上げた瞳の色は、あの悪戯っぽい、元気な黒瞳じゃない。
燃えるような炎の色だった。
「……紅の一族……っ」
吉田くんの、低い呟きが吐く息と共に聞こえてくる。
ああ、剣を振るいながらだから、そんな声になったのね。
どうして、わたし、こんなに頭が真っ白なんだろう。
「レーリア様。記憶を封印なさったのね。でも、わたくし達には、由利と彩花としての付き合いがあります。ティリシアに来られても、決して不自由な思いはさせませんわ」
「やめて……どうして……」
わたしは力なく、首を振った。
ごめん、吉田くん。
あなたが一生懸命、わたしの元へと来ようと頑張ってくれてるの、分かる。
だけど今、わたしは現実を受け止められずにいた。
わたしの全神経は、目の前の由利ちゃんだけに注がれていた。
「由利ちゃん、嘘だよね? 違うよね?」
わたしはまだ、跪いたままの由利ちゃんの肩を揺さぶった。
由利ちゃんは、くすりと笑って立ち上がり、わたしの髪をそっと撫でた。
「彩花と由利の関係を望むなら、そうしましょう。彩花、私はティリシアの王女。だけど、3番目なの。このままだと、私に王位は回ってこない」
「王位……」
「そう。私は、力が欲しいのよ。ティリシアを動かす力。あなたがいれば、私はティリシアの王になれるだけでなく、アステリアという世界全体を動かす皇帝にもなりうるの。なりたいのよ、彩花」
どうして……
どうして……
由利ちゃんは、わたしを真っ直ぐに見つめてる。
あの、深紅の瞳で。
真っ赤な色は、わたしに考える力を失わせていく。
……でも、それが心地いいの……。
「彩花、私にチャンスをちょうだい。王になるチャンスを。一緒にティリシアに来て? いいところよ、きっとあなたも気に入ると思うわ?」
ああ、由利ちゃんの言葉は甘くて、蕩けそうで……さすが営業トップなだけあるなぁ……。
ぼんやりとしていたわたしの脳のどこかで、何かが点滅してた。
うるさいな、今、わたしは大事なことを決めようとしているの。
由利ちゃんと、ティリシアに……
「彩花!!」
すぐ傍で、金属が金属を叩く音が響いた。
わたしは、はっと我に返り、目の前の光景に身体を固くしてしまった。
剣を振り下ろしている、吉田くん。
その剣を、牛鳥が持っていた斧で防いでる由利ちゃん。
拮抗した力で、両方の武器が震えている。
「やめて……やだよ!」
わたしの声なんか、聞こえないようで。二人は顔を近づけて睨みあってる。
つい、この間。
吉田くんに、
「彩花を手離したくないのなら、愛想の悪いのを直せ」
とアドバイスしていたばかりなのに。
吉田くんだって、由利ちゃんのこと、
「さすが営業トップのことだけはあるな」
って褒めていたくせに。
由利ちゃんは、ハイヒールを履いた足を振り上げ、吉田くんの腹部に直撃させた。
吉田くんは低く唸って数歩下がる。
その隙に、由利ちゃんは指先で宙に、円とその中央に、複雑な文様を描いていった。
それって、もしかして、魔法陣……?
素早くそれを完成させたのか、その中央に手のひらを勢いよく押し付けると、その見えない魔法陣から、凄まじい勢いで炎が吉田くんを目掛けて放たれた。
吉田くんは、横にいた牛鳥の肩を掴んで飛び越えて、くるりと一回転し、牛鳥達の円の外に出た。
間一髪だった。危なかった。無事で、良かった。
だけど、これで吉田くんとわたしは、完全に離されてしまった。
由利ちゃんは、満足気に微笑んで、わたしの方へと向き直った。
目は、まだ赤いまま。
これが、本当の由利ちゃんなの?
今まで、わたしを騙していたの?
「彩花、吉田くんが来たとき、私、記憶を操作された振りをしたのよ。あんな魔法、私に掛けられるはずもないわ。少し、様子を見てみたかったの。アステリアから来た男の、実力をね。だって、あなたの封印が解けるのを、2年も私、待ったのよ? 横取りされたら、面白くないものね」
「そんな……じゃあ、今までの牛鳥も……」
「そう。私の使い魔。だけど、彩花には手出ししなかったでしょう? 大切なあなたに、傷をつけるわけないじゃないの。けど、分かったわ。吉田くん……いいえ。あのアステリアの男は、私には敵わない」
由利ちゃんは、細い指先をわたしの頬に当てた。
ああ、その手は、……。
いつも、わたしの背中を力いっぱい叩いていたのに。
その手のひらから、わたし、たくさんの元気や勇気をもらっていたのに。
なのに、何で、今はこの指がこんなに怖いの。
「震えてる、彩花。大丈夫よ、安心して。あなたは、わたしが護るから。ティリシアの王になった私は、あなたの微笑みを受けるのに相応しいはずよ」
ううん、由利ちゃん。
怖い。
怖いよ。
由利ちゃんの目に、吸い込まれていきそうになる。
いやだ。怖い!!!
わたしは、由利ちゃんの眼差しの魔力から逃げるかのように、力いっぱい叫んだ。
わたしが今、一番救いを求めたい人の名前を。
それは、吉田くん、じゃなかった。
脳に弾けるその名前は、意識外でわたしに声を振り絞らせてた。
「ラディ―――!!」
わたしは、確かにそう叫んでいた。




