第2話 微睡(まどろ)みに溶ける、蒼の記憶
夢を見ていた。
まるで、中世のヨーロッパのような大きなお城が見える。
そこの庭で、ふわふわした、眩い金髪を背中に垂らした5歳位の女の子が、シロツメクサを摘んでいる。
それを、小さな指先で編んでいるようだった。
わたしはそれを、空の上から眺めていた。
身体を揺すりながら編んでいるから、もしかしたら何かを口ずさんでいるのかも。
「ひっく……ひっく……」
庭園の向こうから、堪えるような泣き声が聞こえてきた。
そちらから、女の子よりも少し大きな男の子が、手で目を擦りながらやって来る。
女の子は顔をそちらに向けた。
男の子は、頬を真っ赤にして、服を泥だらけにして。
女の子の前に立つと、唇をかみ締めて身体を震わせていた。
「どうしたの、ラディ?」
女の子が、声を掛ける。
わたしからは、女の子は背中を向けているから、顔が見えない。
男の子は……焦げ茶色の髪をしていた。さらさらしてそう。少し長めの前髪が、涙で顔に貼り付いてる。
その男の子は、女の子の前に座り、まだ涙を拭っていた。
「イスランが……男は強くならないと駄目だって、僕に稽古だって……それで……」
肩を震わせながら、男の子は女の子に訴えた。
女の子は首を傾げているようだった。
「大きい兄さまが? 困ったものね、急に稽古を激しくしても、それで強くなるわけでもないでしょうに」
見た目の年齢よりは、ずっとしっかりした口調で女の子は言い、……だけど、手元はシロツメクサを編み続けている。
「ラディも、嫌なものは嫌だって、ちゃんと言わないと駄目なのよ?」
「分かってるけど……でも、イスラン、大きいし、強いから、僕……」
「大きい兄さまは、そうやってすぐ泣いてしまうラディの反応が面白いのよ、きっと」
女の子はそう言って、編み続けていた手元を止めた。
「出来た。はい、あげる」
女の子の手が持ち上がり、手にしていたものを、男の子の頭部に載せた。
シロツメクサの、王冠だった。
男の子は、真っ赤に腫らした目を見開いて、自分の頭に手をやった。
女の子は、男の子の手を取って立ち上がった。
それに釣られて、男の子も立ち上がる。
「ねえ、ラディ。もうすぐわたし、いなくなるのよ。チキュウへ、お父さまに送っていただくの」
「どうして……やだよ、やだ!」
「泣かないで、もう、どうしようもないの。戦争は、嫌なの。わたし、アステリアから離れたくないの。だから、こうするしかないのよ」
女の子は、両手を男の子と繋ぎ、揺らし始めた。
まるでお遊戯みたい。でも、違う。
年下であろう女の子が、男の子を説得してる。
「わたしは、自分で封印を掛けて、これまでの記憶を消すわ。楽しみなの。普通の女の子として、生活できるのよ? 友達もたくさん作りたいわ。ここでは、蒼の一族としか触れ合えないから」
「だって……きみがいなくなったら、僕……」
「ねえ、ラディ。わたしきっと、封印を解く前に、他の国の人たちに見つかってしまうわ。そうなったら、狙われる。
魔力を失ったわたしは、簡単に攫われてしまうわ。だから、ラディ、わたしを護って欲しいの」
「僕が……きみを……護る……?」
「そうよ、あなたが、わたしを護るの。あなたに、護ってもらいたいの。その時には、チキュウへ来てくれる?」
女の子の声は、明るかったけれど。声色は、切実だった。
陽気に言っている振りをしているけど……でも、心からお願いをしているみたいだった。
男の子は、しばらく女の子をじっと見つめ……
ああ、この子、凄く深い蒼い瞳をしている。
「分かった。僕、強くなる。もう、泣かない。絶対、護りに行くから」
その言葉に、女の子から、嬉しそうな言葉が漏れた。
「ありがとう。約束よ。護ってくれたら、わたしの微笑みは、きっと……」
きっと、何?
男の子の目が、見開かれている。
綺麗な、澄んだ色合いの蒼い瞳。それは……まるで、昔、沖縄で見たあの美しい海のような色で……。
もっと、見たい。
その先を、聞きたい。
わたしの手が伸ばされた、その瞬間。
わたしは目を覚ました。
実際に、手を差し出してしまったらしい。
わたしの手を、ベッドサイドに座っていた吉田くんが、しっかりと握っていてくれた。
「彩花、大丈夫? うなされていたけど」
吉田くんは、凄く心配そうにわたしを覗き込んだ。
その瞳は……漆黒。
吉田くんの手、暖かい。
わたし、熱が少し下がったみたい。
でも、何だか少し、興奮してる。今見た夢のせいなのかな?
だからだと思う。
わたしは、とんでもないことを口にしてしまっていた。
「吉田くん……ラナディートの姿、見たいの」
吉田くんの本当の名前は、ラナディート・エルハラード。
今の姿も名前も、偽のものだから。
見たい。ううん、会いたい。ラディに。
吉田くんは、驚いたように切れ長の綺麗な目を見開いたけれど、でも嬉しそうに微笑んだ。
わたしの頬をそっと撫で、そのまま瞳を閉じた。
シュン……と煙が立つような音がしたかと思ったら、吉田くんの髪が、濡れた烏の羽のような黒から、まるでビターチョコレートのような色合いの茶色に変わった。
そして、そっと開けて、わたしを見つめるその瞳は。
ああ、そうだ。この色。
沖縄で見た、汚れない真っ青な海の色。
「ラディ……」
わたしは呟いて、吉田くんに……ううん。ラディに手を伸ばした。
わたし、待ってたんだ。
ラディが、わたしを迎えに来てくれるのを。
記憶を消したのも、きっと寂しさから逃れるため。
分かってしまった。
レーリアの想いが。
ただ一人に、微笑を向けたい。
幼い心に抱いた想いに。
わたしの手を取ってくれたラディに、わたしは笑顔を浮かべようと思ったのに。
ラディと呼んだわたしを、愛しげに見つめてくれたラディの顔が、段々歪んでしまう。
泣いてるの?わたし。
どうして?何も悲しくなんかない。
きっと、この涙は、レーリアのものだ。
漏れ始めた、レーリアの記憶が、そうさせてるんだ。
そう思っても。
わたしの涙は止まらずに、とめどなく流れていく。
「レーリア……」
ラディは、今まで嫌がったわたしの前では呼ばなかったその名前を、わたしに囁いた。
不思議と、今は嫌じゃなかった。
その名前を、素直に受け入れている自分がいた。
ラディは、弾かれたようにわたしを抱きしめた。
「会いたかった。ずっと、ずっとこうして抱きしめたかった……」
わたしは、ラディの濃い茶色い髪を撫でた。
ああ、会社で撫でたあの感触と同じ。
そして、わたしは目を閉じて、彼の体温を感じていた。
「頑張ってくれたのね。わたしを護りに来てくれるために……ありがとう、ラディ……」
誰の言葉?
わたしが、言っているの?
わたしと、わたし以外の人の感情が交じり合ってる。
でも……今は。この瞬間だけは受け入れたい。
レーリア、あなたを受け入れよう。
「レーリア、きみを……きみだけを、俺は……」
ラディはそうわたしの間近で囁くと、あの蒼い瞳が、段々と近づいてきた。
その先の言葉は、聞き取れない。
けれど、感じるの。あなたの熱い想い。
わたしを長い間、そう……とてつもなく、長い間。
待ち続けていてくれた、その揺れる瞳に。
綺麗な色ね……
ぼんやりと考えていたわたしの唇に、何かが覆われた。
ふわりと、柔らかいもの。
啄ばむように、そっと、そう。壊れ物に触れるかのように。
わたしは瞳を閉じるのも忘れて、ただその甘い感触に酔いしれていた。
ラディは、わたしから離れ、そしてもう一度わたしの頬に手を当てた。
「必ず、きみを護る。俺の心には、永遠にきみしか存在しない。だから、レーリア……」
「うん……もう少し、もう少しだけ、待って。ごめんね、ラディ……」
わたしはそう呟いて、そして意識外の働きで、瞳を閉じてしまった。
暗転。
再び、わたしは眠りの世界へと引き摺りこまれた。
このことも、夢でありますように。
レーリアとしての、記憶が一部漏れ出してしまった。
だけど、彩花としてのわたしも、今この瞬間のことを覚えてる。
ラディと……吉田くんとキスをしてしまった。
23年生きてきて、初めてのこと。
ファーストキスが、こんな形でされてしまうなんて……!
ああ、目が覚めたら、そこに吉田くんがいませんように。
そして、出来れば記憶も消してありますように。
ねえ、レーリア。あなた、魔力強いんでしょ? これくらい、出来るでしょ?
もし覚えていたら、わたし絶対、吉田くんとまともに顔を合わせられない。
だから、あの瞬間の記憶を消して!!
そう心の中で叫んだわたしは、もう一人冷静なわたしと向き合った。
だって、レーリアはわたしじゃない。
覚えていて、何の不思議があるの? 忘れることの方が、不自然じゃないの?
どちらが、本当のわたしの気持ち?
困ってる?
嬉しいの?
迷い迷って、わたしは再び深い眠りについていった。
その瞬間まで、わたしの手を握る、吉田くんの感触……何でだろう。
その温かいぬくもりが、あれだけ怖かったのに。
いつしか、私を包み込む安心感に変わっていったのを感じていた。




