世界の果てまで、私の掌で
工房の隅、シキが分厚い冒険記を本棚から引き抜いた。パラパラとページをめくる音が、静かな空間に響く。
「……旅かぁ。してみたいなぁ……アキと一緒に」
それは、ただの独り言だった。
だが、作業机で魔導銃のネジを締めていたアキの耳は、その呟きを「最優先事項の契約」として受理した。
「……旅? 私と?」
アキは音もなく立ち上がり、シキの背後に立つ。驚いて振り返るシキの肩を抱き寄せ、その手元にある本のページを覗き込んだ。
「分かった。準備する。龍の姿で飛べば、明日には世界の果てまで連れて行ってあげる」
「あはは、アキならそう言うと思った。でもね、違うんだ。もっとこう、馬車とかで、ゆっくり景色を見ながら行きたいんだよ」
「馬車……?」
アキが露骨に眉を寄せた。
彼女にとって馬車とは、遅くて、揺れて、防御力も皆無な「欠陥だらけの箱」でしかない。だが、シキが「一緒に景色を見たい」と言ったのだ。
「……シキがそう言うなら、いいよ。馬車にしよう。……その代わり、準備に三日ちょうだい」
その日の夜。
アキは工房の通信用魔導具を叩き起こした。相手は、この大陸のあちこちに根を張る、隠居中(という名の暇を持て余した)龍の親族たち――通称「ジジババ」だ。
「……おい。私だ、アキだ」
受話器の向こうで、古龍たちの驚愕と冷やかしの声が響く。
『なんだ、あのアキが連絡してくるとはな。例の人間に飽きたか?』
「黙れ。殺すよ。……相談だ。シキを連れて旅に出る。馬車でも安全で、かつ景色が『最高』なルートを教えろ。石ころ一つ、野盗一人でもいたら、その土地ごと私が消すことになるから、慎重に選べ」
アキは徹夜で、ジジババたちが寄越す情報を精査した。
「ここは坂が急すぎる。シキが酔う」
「ここは魔物が出る? ……あぁ、私が先回りして根絶やしにすればいいか」
出発の日。
工房の前に用意されたのは、一見すると普通の、けれどアキが執念で改造を施した特製の馬車だった。
「アキ、これ……馬がいないよ?」
「馬は疲れるし、言うことを聞かない。代わりに私の魔力で動く自動走行式にした。車輪には衝撃吸収の魔法を三重にかけて、内装は全部、お前がいつ寝てもいいように最高級の毛布で埋めてある」
シキが呆れながらも馬車に乗り込むと、アキは当然のようにその隣に座り、シキの腰に腕を回した。
「……よし。ルート上の脅威は、私の親族たちが『掃除』しておいたから。シキ、お前はただ、窓の外を見ていればいい」
実際、旅路の影では、アキの脅しを受けた古龍たちが「アキの機嫌を損ねて大陸を半壊させないため」に、必死で街道の魔物を追い払い、道を平坦に整えていたのだが、シキがそれを知る由もない。
「楽しみだな、アキ」
「……うん。お前がそう言うなら、私も楽しみだよ」
アキはシキの肩に頭を預け、満足げに目を細めた。
シキが望む「旅」という自由。
それを、アキは自分の掌という「世界で一番安全な檻」の中に閉じ込めたまま、どこまでも連れて行くつもりだった。
今さらですがでもカクヨムでも投稿してます。




