重なれ鼓動、混ざれ体臭
「いい、シキ。絶対に扉に近づいてはダメ。窓の外を見てはいけない。もし不審な音がしたら、この私の鱗をすぐに噛み砕くんだ。……一時間。たった一時間だけど、私にとっては死に等しい空白よ」
工房の入り口で、アキはシキの両肩を掴み、今にも戦場へ赴くような悲壮な顔で言い聞かせていた。龍族の長老会からの緊急召集。無視すれば山一つ消し飛ばしかねないアキだが、シキに「たまには他の龍とも仲良くしなきゃダメだよ」と諭され、断腸の思いで外出を決めたのだ。
「大丈夫だよアキ。一時間なんて、本を一冊読んでたらすぐだよ」
「……本当に? 私がいなくても、寂しくて泣いたりしない?」
「あはは、子供じゃないんだから」
シキは笑ってアキを送り出した。アキは何度も振り返り、工房の周囲に物理・魔法・精神干渉を含む百重の結界を張り巡らせてから、ようやく翼を広げて飛び立った。
「……さて」
一人になった工房。シキは言われた通り、読みかけの本を開いた。
……だが、三ページも進まないうちに、シキの手が止まる。
「……静かすぎる」
いつもなら聞こえる、アキがパーツをいじる金属音。彼女の低い鼻歌。そして何より、自分を常に観察している熱い視線がない。
ほんの数分前まで「一時間くらい大丈夫」と思っていた心は、あっという間にアキという酸素を失って、窒息しそうなほどの孤独に塗り替えられていた。
本の内容が頭に入ってこない。シキはふらふらと寝室へ向かった。
そこにあるのは、アキがシキのために整えた、世界で一番柔らかい寝床。シキは吸い寄せられるようにその中へ潜り込み、アキの匂いが色濃く残る枕や毛布を抱きしめた。
「……アキの匂い。……あぁ、落ち着く……」
無意識だった。アキが過保護すぎるから自分は依存しているのだと思っていたが、事実は逆だ。シキ自身が、アキの支配と執着という「毒」なしでは、もはやまともな精神を保てないほど変質していた。
毛布に顔を埋め、深く、深くアキの残り香を吸い込む。
(……あと五十分もある。……長い。長すぎるよ、アキ……)
その時だった。
結界を文字通り「消滅」させて、嵐のような勢いで何かが工房へ突っ込んできた。
「シキ!! 無事!? どこ!? 怪我は!?」
予定を大幅に繰り上げ、三十分も経たずに戻ってきたアキだった。長老たちの話を力ずくで切り上げ、音速を超えて帰還した彼女は、寝室で自分の毛布にくるまっているシキの姿を見つけ、一瞬で凍りついた。
「アキ……」
毛布から顔を出したシキの瞳は、少し潤んでいる。
アキは強引にシキを引き寄せ、その細い体を壊さんばかりに抱きしめた。
「ごめん、やっぱり無理だった……。お前を一分一秒でも一人の不安に晒すなんて、私はどうかしていた。……怖かったね? 寂しかったよね?」
アキはシキの首筋に顔を埋め、野生の獣のように彼の匂いを貪欲に嗅ぐ。シキが自分なしでは生きていけないことを再確認し、彼女の独占欲は絶頂に達していた。
対するシキも、アキの胸に顔を押し当て、彼女特有の少し硬質な、けれど温かい匂いに包まれて、ようやく肺が正常に動くのを感じていた。
「……ううん。アキが、僕の自由を尊重してくれようとしたのは、嬉しいよ。……でも、ごめんね。僕、自分でも思ってたより……アキがいないとダメみたい」
シキがアキの背中に腕を回し、離れないようにぎゅっとしがみつく。
アキはその言葉に、歓喜で身震いした。
「……いいよ。もう、二度と尊重なんてしない。お前の意思なんて無視して、私のそばに鎖で繋いでおいてあげる。……それが、お前の望みなんだろう?」
「……うん。アキに繋がれてるのが、一番安心する」
お互いの匂いを嗅ぎ合い、混ざり合いながら、二人は深い安堵の中に沈んでいく。
外の世界がどれほど広かろうと、この二人にとっては、お互いの腕の中という狭い檻こそが、唯一呼吸を許された世界のすべてだった。
私は決して変態ではないです




