第八話 ヘマを踏む
「何、を……」
言ってるんだ。
聞き間違いだろうか。彼は今、なんて言った?
頭が動き出すのに五分くらい掛かった。動き出しはしたけど理解できない——
「舞を、踊らなきゃ……時封じの、儀をしなきゃ……」
カガリの胸を弱々しく押す。彼はその手を取って囁いた。
「聞こえなかったか?もう時封じの儀は必要ねえ。鍵を壊せ、ゼル」
僕は目を見開いた。
「山、脈の……時を、動かすつもり、なのか……?」
「そうだよ。最初からそのつもりだっての」
最悪の答えが浮かび上がる。
彼と過ごした短い時間が走馬灯の様に頭を駆け巡った。
鋭く低く透る声。笑い転げる姿。熱っぽい目。悪い笑み。髪を梳かれる心地よさ。優しい声。怒った顔。心配する目。温かい手。虹を帯びた鮮やかな真紅の瞳……自分勝手でマイペース。
自由で呑気な姿を見てると、なんだか肩の力が抜けた。重ねてくれた手、和らいだ痛み。ほんの少しでも幸せを感じてしまった。例え十七代目と重ねてるからでも、大切にしてくれようとしてると、思ってた、のに。全部、全部——
「騙したな!! 」
思わず叫んでた。
彼の腕から身を捩って抜け出そうとする。
「最初から時封じの儀をさせる気なんてなかったのか!! だったらなんでっ!! 」
約束なんてしたんだよ。
「鍵は!時の王族にしか触れないからっ!! 」
僕が必要だったのか。
「全部! 全部!! 僕をっ、ここまで!連れて来る、為のっ!! 」
嘘だった。
「何でだっ!! どうしてだっ!! 君も皇帝と取引してたのかっ!!君は十七代目を愛してたんじゃないのかっ!! そんな、そんなアルメリアをっ!!ぶっ壊そうだなんて……!!だったら! どうしてっっ!! 」
優しくなんてしたんだよ!
彼に抱きすくめられて碌に身動き出来ない中、叩いて蹴ってもがいて必死に抜け出そうと暴れる。
「あーあーもー落ち着けって。話は最後まで聞けよ」
「何を聞けって言うんだ!! 鍵を閉めるためだけにっ!! 僕は生きてきた!! 生かされてきたのにっ!! 」
絶望、失望。上げられた分だけ落ちた時のダメージは大きい。
僕の心はもうぐちゃぐちゃだ。
悔しさで涙が溢れる。もう前なんて見えちゃいない。がむしゃらに暴れる。
こんなことになるなら協力なんて仰がなかった。
彼の言葉に希望を持った。支えてくれて頼もしかった。温かさには何度も救われた。信じてたのに。信じてたのに——
「静かにしろって。時が動いてんだろ」
「嘘吐き!嘘つき!! 嘘吐きっ!! うそ——
温かく柔らかい何かで口を塞がれる。僕は驚いて目を見開いた。ほんの僅かな距離を残してカガリの虹を帯びた紅い瞳が見つめてくる——
何が起こってるのか分からなかった。思考停止。暴れてたのも忘れてしまった
————カガリは僕にキスしてた。
茫然自失してる僕から口を離すと、カガリは低い声で話し始めた。
「『時封じの儀』のせいでお前ら仁族は大幅に寿命を縮めて来た。何千年も前からずっと、百年毎に寿命を削って、北の山脈から離れもしねえで、世界を守り続けてきた。『俺ら』他の種族はお前らに頼りすぎた」
温かい両手で頬を包まれる。
「いい加減使命から解き放ってやるべきだってのが『俺ら』の総意」
「ど、う……言う……? 」
訊ねようとして出た声は掠れてた。
「皆気付いてる。お前らを見守ってきた。俺はちと私情も入ってたがお前が現れるのを待っていた歴代最強の目を持つお前を」
「でも、だからこそみんなが補えない分僕が時封じの儀をしなきゃ——
パン、パン、パン
乾いた拍手の音が響いた。
僕達はバッと振り向いた。カガリが僕を後ろに庇う。背負った刀をスラリと抜いた。真紅の刃が薄暗がりに光る。
コツ、コツ、とブーツを鳴らして現れたのは——
「やあ、久しぶりだね《《ゼル》》。前に顔を合わせて実に五年ぶりじゃないかい? 」
柔らかい声音。銀髪銀目。顔半分が闇に沈むランドール叔父上だった。
「もう貴方に愛称で呼ばれたくはないな」
「酷いじゃないか。昔はあんなに懐いてたのに。ああ、随分大きくなって。私の目に丁度いい」
叔父上が僕を迎える様に両手を広げた。もう一歩踏み出そうとした彼にカガリが紅い刃を突きつけた。
「お前の目じゃねえよ。コイツのもんはコイツのだ。ついでにコイツはもう俺のもの。手え出すなら容赦しねえぞ」
「ああ、君が十七代目の……通りで結界を通れた訳だ。それにしては随分とコソコソしたネズミの様な忍び込み方だったけど」
叔父上がくつくつと嗤う。カガリの眉がムッと寄った。
「挑発に乗ったらだめだ、カガリ」
僕は彼の後ろで囁いた。ブーツを履いて飛びナイフを抜き取る。
「ふむ、ゼルを気に入ってるのか……悪いが君に勝ち目はない。今引けば命は取らないでおこう。さあ、彼を置いて退ってくれないかい? 」
「そんな事するくれえなら死んだ方がマシだわこの阿呆」
叔父上は肩を竦めた。
「やれやれ竜人族は血の気が多いな。ところでだけどゼル、贈り物は気に入ってくれたかい? 」
ザワリと胸が騒いだ。怒りで血が沸騰しそうだ。はらわたなんてとっくに煮え切ってる。
僕は奥歯を噛み締めた。今度はカガリが手を上げて僕が飛び出さないように制した。
「趣味が悪いな叔父上。センスってものはどこ置いてきたんだい? 人生最悪のプレゼントだったよ」
おちょくり返す様な口調で言ってのけたけどナイフを持つ手は震えが止まらない。
叔父上は朗らかな笑い声を上げた。
「ははははは。なに、家族のその後が心配だったろうからね。顔を合わせる機会を作ってあげただけさ。知ってるかい? 石化の秘術はね、内臓から押し潰される様に固まっていくんだよ。おかげさまでみんないい顔をしてただろ? 」
瞬間。僕は自分の時を加速させて彼の目の前に迫った。ナイフを振りかぶる。当然叔父上も時を加速させて抜き放った剣で防がれた。
「待てゼル! 挑発乗るなって言ったのは誰だよこの阿呆!! 」
後でカガリが罵る声が遅れて聞こえてきた。
僕は弾かれた勢いそのままに宙返りして距離を取ると幾つものナイフを放った。時を加速させる。
これは流石に叔父上も防げなかったようで、頬を切り裂き、腕に突き立った。それでも一、二個弾かれた。
カガリが横から斬りかかるけど刀の速度が一瞬遅くなって叔父上の剣に防がれる。僕もすかさず加速させたナイフを放った。しかし彼の周囲に入った途端一瞬速度を落として剣で弾かれる。
叔父上が自分を加速させてカガリを斬り上げた。竜人族の身体能力ゴリ押しのカガリと叔父上が斬り合う。僕はカガリを傷つけないように隙を見ながら移動して叔父上にナイフを放ち続けた。
擦り傷切り傷はつくけどどれも致命傷には至らない。
「くそ、やり辛えな」
カガリが一旦僕の側へ退いて来た。
そう、叔父上は能力の強さでは、誰よりも圧倒的に劣ってた。けどその分彼は体を鍛えた。力の扱い方を鍛えた。
ストイックに力に向き合う彼に、幼い僕は憧れて一緒に修練した事もある——あの時、彼はどんな気持ちで僕に向き合ってたんだろ。
叔父上の磨き抜かれた技を潜り抜けるのは至難の技だ。
「もう少し距離を詰めて動く。彼の力を上書きしてみるよ」
僕は腰から短刀を抜いて両手に構えると加速した。叔父上が直ぐ反応する。僕は彼の時を減速で遅くした。けど叔父上はそれを承知の上で直ぐ様対応してくる。
左右に持った短刀で彼の時を遅らせながら交互に斬りかかる。けど叔父上は左の黒い目——闇の力の相乗効果で僕の力を侵食で相殺しては、自分の時を加速で上げて何でもない様に動いて見せる。オマケに入れ替わる様に立ち回るカガリの時を遅らせて僕に相討ちさせようとする。
叔父上は自分より強力な同種の力を持つ僕の時は操れない。でも時の力を持たない他王族のカガリの時は多少操れる。だから僕がカガリの時を加速させて何とかそれを防いでる状態だ。それでも時々遅れを取る。
あの左目……闇の力をなんとかしなきゃ。
僕は短刀の時を停止させた。
世界万物の時を止めてた反動で今、空間や叔父上を停止させることはできない。でもまだ対象外に指定してた物がある。
そう、僕と。カガリ。そして僕達二人の持ち物全般だ。
僕は短刀と飛びナイフを合わせてより複雑な攻撃を仕掛けた。
カガリと斬り合う叔父上の動きを先読みして、ナイフを投げて一旦停止。その位置に誘導するようにカガリの動きも計算して僕も短刀で斬りかかる。そして止めてたナイフを解除すると彼の首筋が切れて血が散った。
今のはちょっと惜しかったな。
それらを一瞬の間にこなす。
動線上にカガリが行かない様に、ナイフを投げては停止させ、叔父上の隙を突くように順次解除してく。
最強竜人族のカガリの目でも流石に追えない時の攻防。細かい計算と停止と解除、誘導を繰り返しながら僕は機を伺った。
カガリと叔父上が鍔迫り合いになった瞬間を突いて加速したナイフの隙間に身を滑り込ませる。時を止めた短刀を彼の左目に突き立てた——はずだったのに、短刀は黒く侵食された。直ぐに手放す。
手応えがなかった。触れた端から。突き立つ前から侵食と崩壊が始まった。叔父上は闇の力を……という事は——
「カガリ! 直ぐに刀を引くんだ! 」
僕は叫んだ。
叔父上の時を遅らせる。カガリの時は加速できない。一歩間違えれば命を落とす。彼は待ってたんだ。カガリと長く接触する機会を。
ああ、頼むよ。早く早く。刀を引いて。叔父上に触れてちゃダメだ。
時を操る僕の目の前で、ゆっくりと時が流れてく。
世界が、止まればいいのに——
カガリが刀を引く直前だった。叔父上の剣が黒く染まったのは。
あっという間だった。カガリの刀が侵食されたのは。
「カガリ!! 」
僕は極限まで叔父上の時を減速させて遅らせるとカガリに駆け寄った。彼は驚きの表情で大量の血を吐いた。黒く染まりつつある刀を突き立ててガクリと膝をつく。僕は刀の時を巻き戻しにかかった。
「カガリ! 一瞬でいい!刀に炎を移して! 闇を払うんだ! 早く!! 」
竜人族にとって『刀』は『命』そのものだ。
彼らは刀を抱いて生まれて一緒に成長してく。何よりも扱いやすい道具であり、魂の繋がった相方だ。竜人族が心臓を撃ち抜かれても平気で動くのは、岩を切ろうが、ダイヤモンドを切ろうが刃こぼれ一つしない強靭な刀があるから。
でも、その刀が壊れたその時彼らは命を落とす! ましてや魂まで蝕む『闇』に侵食されて無事なわけがない!!
双方向に見えて一方通行の命の繋がり。刀は竜人の命を守るけど、命そのものでもある。自分の身を挺してでも守らなきゃならないものだ。
叔父上と闇の侵食を極限まで減速してカガリの刀の時を侵食されてくより高速で巻き戻す。魂まで蝕まれる前に。正反対のことを同時に並行思考で行使してたら気が狂いそうだ。
地面に崩れ落ちそうになったカガリを受け止める。意識が朦朧とした彼に僕の声は届いてない。
闇を払う炎は期待できない。巻き戻すしかない。闇に侵食される前まで。
複数同時複雑強化行使の多用で目が熱を持ち視界が赤く染まる。
目が弾け飛んだっていい。置いてかないって言ったじゃないか。死んだらダメだ! カガリ!!
刀から闇の侵食の黒を押し返す。刀自体は元に戻った。でも魂まではどうか分からない。カガリ自身が受けたダメージが大きすぎる。目を閉じたまま動かない。
チクタク。
カガリの時を進める。
大丈夫。刀は無事だ。刀さえ無事なら首が飛んでも平気だって言ったじゃないか。なんたって君は世界最強の竜人だろ。治癒能力だってバケモノじみてる。きっと治せるさ。頑張れ、カガリ。
チクタク。
ああ、叔父上の時が加速してく。カガリの治癒が追いつかない。
「ごめん、カガリ」
僕はカガリにある仕掛けをして立ち上がった。目からぼたぼたと血が落ちる。
僕が時間を稼いでみせる。叔父上を倒して見せるから————
「ああ、死んだのかい? 彼は」
叔父上はどうやらカガリの時が動かないことを確認したみたいだ。
「許さない……」
僕は短刀を構えた。
それっぽいことを言うのは得意さ。お任せあれ。今までどれ程演じて来たことか。
「やれやれ……だから言ったのに。せっかくの他種の王族だったのに……殺してしまったらもう食べられないじゃないか」
「彼を食べて『増強』するつもりだったんだな……貴方は。命は取らないなんて言っといて大嘘吐きじゃないか」
「嫌だな、嘘なんて吐いてないさ。竜人族は生命力が強いだろ? 捕えて、生きたまま永遠に増強の糧になってもらうつもりだったのに……」
彼は大袈裟に溜め息を吐いて見せた。
「ほんと、悪趣味になったもんだ。最低も最低。僕が憧れた貴方はどこ行ったんだい? 見下げ果てたよ、叔父上」
叔父上の眉が極々僅かに顰められた。ぼくは緩やかに口角を上げて見せた。
「十年前から少し経って、『歴代最弱』が『歴代最強』に教えを乞われて何も思わないはずがないって気づいたよ。血も涙もないゲテモノに成り果てたんだろ。だったら甥を可愛がる叔父の顔なんてさっさと捨てろよ」
煽って煽ってできる限り叔父上の計算を崩す。
「僕の事は殺せないんだろ。大事な最後の銀眼なんだから! あんた如きが僕に敵うとでも思ってるのか? もう庇う相手なんていなくなったんだ。計算ずくで戦う必要もない。全力で相手してやる! かかって来いよ、この大馬鹿野郎!! 」
力を限界まで使ったからにはもう叔父上を倒すしか道はない。倒して、休んで、いざ、時封じの儀だ。
ようやく叔父上が向かってきた。黒く染まった剣を短刀で受け止める。侵食されそうな刃の時を戻しすぎない程度に巻き戻し続けた。
頬を生暖かい液体がダラダラと伝ってく。
「それ以上力を使わないでもらえると嬉しいね。もう限界だろ、ゼル? 」
「あんたに盗られるくらいなら使い潰してやるさ! こんな目!! 」
剣を弾き上げて距離を取る。ナイフを投げて加速させた。僕自身も加速して突撃する。叔父上は剣に乗せてた闇の力を引っ込めた。彼を減速しながら自分を加速させて斬り合う。
それでも剣と短刀じゃリーチが違う。
旋回して叔父上の腕に短刀を叩き込んだ代わりに背中を斬られた。幾つもナイフを投げて停止させる。短刀で斬りかかりながら順次解除。僕自身も切り裂きながらナイフが飛び交う。
「死ぬ気か! リゼルト!! 」
「ああ、やっと愛称外してくれたんだ。名前呼ばれるのもうんざりするけどちょっとはマシになるってもんだ! 」
死ぬつもりなんて更々ないさ。僕には使命と約束が残ってる。
停止させたナイフを足場に宙返りして剣を避ける。ポーチから火薬を取り出してぶちまけた。加速させて目潰し。
「ぐわっ!? 」
流石の叔父上でも想定外の攻撃だったみたいだ。動きが止まった。
地面を蹴って急接近する。
今度こそ、その首もらおうか!
「っ!」
目に、頭に激痛が疾って一瞬動きが止まる。でも大丈夫。叔父上の目潰しはまだ効いてる筈だ。
短刀が彼の首に迫り──止まった。
「な、んでっ! 」
短刀だけじゃない、僕自身の動きが止まってる。
体の時が止まった訳じゃない。話せるし、首だって回せる。なのに身動きが取れない。
叔父上の目が開いてる。力を使ってる。何に?
彼は剣を振り上げ、柄で僕の首を打った。ただでさえ割れそうに傷んでた頭に激痛が疾る。目が回る。膝をついた。
ゆっくり迫ってくる地面を見てて気がついた。
「そ、うか……服……」
ああ、馬鹿だなヘマをした。先に止めてインターバル作っとくんだったよ……
叔父上は僕の服の時を止めたんだ。




