第四話 衝突
山脈の中にある『時の間』で父上が舞う。いつかは僕が。引き継ぐものだ。
足を踏み締めトンと跳ねる。腕を大きく振ると手に持つ鈴が鳴り、長い衣が他靡いた。
『時封じの儀』
仁王族総出で祈りを捧げ、国王が舞を踊った後。山脈の真ん中に突き立つ『時の鍵』を回す。
城からここまでの道は王族にしか明かされない。衣擦れと鈴の音だけが静かな洞窟に響く。
シャン。
最後の舞が終わって鈴が鳴り止んだ。
父上が銀色に輝く大きな鍵に手を掛け、回そうとした、その時。
違和感に気づいたのは僕と父上だけだった。
ほんの、少しの間だけ。その場の時が止まった。
でも鍵が開いた、その一瞬が命取りだった。黒ずくめの兵士たちが何処からともなく、いや、滲み出た闇から湧き出した。
すぐに時が動き出す。黒ずくめの兵士たちは兄上、姉上達や咄嗟に僕を庇った母上を斬り伏せた。父上の胸が剣に貫かれる。
鉄錆の匂いが充満する。僕は母上の時を巻き戻そうとした。けれど、死者の時は動かない。返り血で滑る手で必死に兄上、姉上達も巻き戻そうとする。
つい、さっきここに来るまで。繋いでいた彼、彼女達の温かかった手が冷えていく。絶望感に襲われた。
気が付けば僕の目の前にも兵が立っていた。剣が振り下ろされる。
その瞬間。今度こそ完全に時が停止した。誰かに抱き上げられる。父上だ。
彼はゴボリと血を吐きながら駆けた。無理やり傷口の時を止めてるのが分かった。それを解こうと、巻き戻そうと手を伸ばすと血の気の引いた冷たい手で掴まれ、止められた。時の力を上書きして使うとそれまで行使していた時が解除される。
世界を止めたままでいなきゃならなかったから。父上は傷を治す事を許さなかった。
ひたすら駆けて城の外に出ると訓練中だった国軍が騒ついていた。父上は彼らを対象から外していたらしい。こんな傷で複雑に力を使えばどうなるか分からない僕じゃなかった。
止めて欲しい。今すぐに。僕に傷を治させて。死んでしまう。
「陛下!? 」
ジーク団長が駆け寄ってくる。父上は僕を彼に預けた。
「ランドールの謀反だ。彼だけが無事だった。帝国が入り込んだ。今すぐこの子を連れて逃げろ。直、随所から湧き出てくる。私が時を止めてる内に早く遠くへ! 」
団長はその言葉に息を呑むと僕を胸に抱いた。
「父上! 」
ようやく声が出た。団長の肩越しに手を伸ばすとしっかりと握られる。冷たい、冷たい……命が消えてく冷たい手だ。
「リゼルト、お前がやるんだ。誰よりも強力な力を持って生まれたお前が。今は引いて、身を隠せ。そして時の鍵を閉めに戻って来い。お前ならできる。皆を率いて戦え。お前が成長して、時を、迎えるまで」
「いやだ! 父上! 一緒に行こう!! 僕が傷を治すから、生きて!! 」
軍団長が大声で指揮するのを後に聞きながら必死に叫んだ。
冷たい手で両頬を包まれる。父上の目尻から血が溢れた。まるで涙を流して泣いてるみたいだ。
「手遅れだ、リゼルト。私はもう、世界の時を止めるので精一杯だ……行け。お前はお前の使命を果たせ」
団長が軍のみんなを率いて、僕を連れて駆け出す。父上が膝をつき、ゆっくりと体が傾いでく。
「父上っ!! 」
「生きろ……ゼル」
その言葉を最後に彼は倒れて動かなくなった。まだ世界の時は止まってる。最後の命を振り絞ってギリギリまで時を止めるつもりだ。
団長が僕を抱いたまま馬に乗った。駆け出す。あっという間に父上の姿が遠くなる。
嫌だ。止まって。死なないで。僕を一人で──
「おい、て……か、ないで……」
伸ばした手を誰かの温かい手が握った。
「置いてかねえよ、何処にもな」
低くよく透る声にハッと目を覚ます。
「おはよう、ゼル。お目覚めか?」
目に飛び込んでくる鮮やかな赤。伸ばした手を握ってたのはカガリだった。
昨日あのまま寝落ちて、彼の膝の上にすっぽりと収まってたみたいだ。途端気恥ずかしくなって目を逸らした。
「ごめん、ありがと……寝ぼけてたみたいだ」
握っていた手を離して体を起こす。俯いたら目に溜まっていた雫が一粒溢れたからこっそり拭った。
多分、久しぶりに温かい誰かの側、それも、腕の中で眠ったからだ。あの夢は。いつも胸に抱えてる不安が顔を覗かせたんだろう。寄り掛かってちゃいけない。立たなきゃ。
彼を見上げる。
「おはよう、カガリ。こんな所で寝ちゃってごめん。君が寝られなかったんじゃないかい? 」
「お前が現れるまで仮眠取ってたし、竜人なら一ヶ月らい寝なくても平気だ」
随分便利な体だなあ。身体能力も凄まじいらしいし、羨ましい限りだ。
それにしてもよく寝た。昨日一日で色んな事がありすぎた。落ちて、上がって、落とされて、上がって、最後に爆弾を落とされた。温度差で風邪を引きそうだ。
彼の膝から降りて伸びをする。王都の空は今日も曇天。
「曇ってんなあ。雨が降んのは好きじゃねえんだが」
カガリも伸びをしながら空を見上げてぼやく。
「ん、まあ今日も降らないさ。多分、結界のせいだけど……もう十年近くアルメリアが晴れたことなんてない。山脈に近いここら辺なんかは特に雲が厚いんだ」
「気が滅入るな」
彼は頭をガシガシ掻いた。
「そうしてるんだよ。帝国は。仁族を弱らせようとしてる。希望すら持てなくなるように……ところで、髪紐返してくれないかな」
「そのままでいいじゃねえか」
「邪魔になるじゃないか。動きにくい」
「じゃあなんで伸ばしてんだよ」
「それは……」
僕は言葉に詰まった。
ちょっとした願掛けのつもりだった。時封じの儀を成し遂げれる様に、って。五年くらい前から伸ばしてる。余りにも子供じみたおまじないだ。
「まあいいや。結んでやるよ、後ろ向け」
「自分でできるんだけど……」
そう言いつつも後ろを向く。
カガリと言い争っても無駄。一度言い出したら聞かない性分だ。って、昨日だけで十分学んだ。早く終わらせたいならさっさと従う方が吉、だ。
髪を梳かれる感覚が心地良いからなんて理由じゃ決してない。
「今日は少し話を詰めよう。城の間取りとか、時の間への入り口とか」
彼が僕の髪を梳いては纏めてく。
「いや、多分大丈夫だろ。アゼルトがいた時にいい加減入り浸ってたからな。城の構造はだいたい把握できるし……そう変わってねえんじゃないか? 」
また十七代目だ。
「……君が居た時から数千年以上経ってるんだよ。一応確かめといた方がいい。この十年でまた大改造されてるかもしれないけど……。千年前の情報よりはマシさ」
「ふぅん。はい、完成」
話してる間に髪を纏め終えたらしい。
「ありがとう……って、なんだよこれ」
器用な事に。カガリは僕の髪を三つ編みに纏めてしまってた。
「流しっぱよりこっちの方が動きやすいだろ。それとも何だ? 団子が好みか? もっと纏まるぜ? 」
「いや、いい。いいから、コレで」
変な髪型にされるよりこっちの方がずっといい。
その後各々簡単に身を清めてさっぱりすると、作戦会議に移った。僕はまたカガリの膝の間に収まってる。
なんでこうなった。
枝で地面に見取り図を描きながら説明してく。
「——それでここが東宮。この端にある塔の階段。三十段目に鍵の間に続く隠し扉の仕掛けがある。右から三番目の石の側面を三回蹴って横石を押したら……って、聞いてるかい?」
「きーてるきーてる」
彼はさっきから僕の頭を撫でくりまわしてた。
「こっちは真面目に説明してるのに、君は一体何してるのさ」
「いや頑張ってんなーって思って」
「もっと真面目に聞いて欲しいな」
僕は溜息を吐いた。
「溜息吐くと幸せが逃げるぞ」
「幸せなんてとっくに逃げてる」
カガリにとっ捕まった時点で僕の年相応男子人生は終着点を迎えた。
まあ、元々年相応の人生なんて過ごしてやしないけどさ。
この国のみんながそうだ。子供は笑って走れやしないし、お腹を満たせる量の温かい食事を摂れるのは稀。いつも身を潜めて魔物や帝国軍に怯える日々。
それでも時々羨ましくなる。
子供は親に抱き締められて、密やかに慎ましくではあるけど一家で冷めた料理を分け合う。中には恋に落ちて仲睦まじく過ごす男女も居た。こんな時代だからこそ結ばれた彼らを祝福した。
帝国が攻めてくる前は次期国王として。反乱軍として逃げ延びてからは変装して一介の幹部として。戦場ではみんなの希望の王族として。幹部にはいつか、使命を果たして死ぬ王子として——振る舞ってきた。
寂しいな。僕を僕として見てくれる人が居ないのは。
ほんとの僕はただのちっぽけな仁族だ。
人が好きで、青く晴れた空が好きで、温かいところやものが大好きで、実はちょっと好奇心旺盛で、いつか自由に世界中をこの目で見てみたい。
なーんて思ってることを誰も知らない。当然だ。誰にも言ったことないんだから。これからも言うことは、ない。
義務、使命、約束。
果たさなきゃならないことが山盛りだ——
遠い目をしてたらムニと頬を引っ張られた。
「俺の嫁だぞ、お前は。幸せにしてやるのに今から逃してどうすんだ」
カガリが笑いながら顔を覗き込んでくる。
「だから嫁じゃないって」
彼は温かい。こうして抱き込まれてると不思議な安心感がある。距離は近いしベタベタ触ってくるけど悪い気はしない。
昨夜、寄り掛かった胸はとても居心地良かった。朝、握ってくれた手はとても温かかった。掛けてくれた言葉にとても安心した。
でも忘れちゃいけない。僕は代わりだ。
十七代目の約束があったから、カガリはここにいる。僕は十七代目に瓜二つだから、気に入られた。
十七代目が居なかったら会うこともなかったし、目に留まることもなかった。
カガリは僕を通して十七代目を見てる。
彼の言い分を鑑みるに多分、愛してたんだと思う。男同士。同性愛はよく理解できないけど。そこを弁えてなきゃいけない。
あくまで僕は十七代目の代替品だ。
「今に見てろよ。約束果たしたら幸せ実感するまで死ぬほど甘やかしてやる」
「別にいらないよ。幸せの話するなら歯型取って解放してくれないかな」
「やーだね。お前はもう俺のもの。そう決めたって言ってんだろ」
「はあ……じゃあさ、その約束果たすための作戦くらい立てようよ。真面目に」
「分かったわかった」
そう言ってカガリは僕の頭に頬擦りした。
……全然わかってないだろ。
諦めて続きを説明する間も彼はずっと顎や頬を乗せてご機嫌だった。
取り敢えず間取りと鍵の間への道を教えた後ふと気になった。
「そう言えばだけど……お腹空いてないかい? 何食べるか知らないけど一応保存食ならあるよ」
「いや? 人が食うもんなら大体食えるが三ヶ月くらいはなんも食わなくても腹減らねえよ」
またしても竜人族、強し。
「そっか。なら僕もいいや」
「は? 」
今度はカガリが怪訝そうな顔をする。
「何言ってんだしっかり食えよ。仁族は腹減るだろ。そんなだからチビでヒョロいんだよ」
「チビだのヒョロいだの失礼だな。僕はまだ成人してないだけだ。それに、カガリがやたら背が高いのが悪い。君がデカすぎるから相対的に僕が小柄に見えるんだ」
じとりとした目で見てると彼は僕からリュックを取り上げて勝手に漁り始めた。
「何するんだよ」
「飯食え飯」
人の荷物を漁るなんていただけないな。プライバシーの侵害もいい所だ。
「ほんっとうに要らないんだよ! 時を戻してるから! 」
「は? 」
声を荒げるとカガリは更に怪訝そうに顔を顰めた。その間にリュックを奪い返そうとしたけど、彼は立ち上がって僕の手の届かない所まで持ち上げてしまった。
「返せって!」
背伸びして跳ねて取り返そうとジタバタしてたらカガリに顎を掴まれた。
「時を戻すだ?ちゃんと説明しやがれ」
半ば彼の手に吊るされて動けなくなってしまったので渋々説明する。
「定期的に食事は摂ってるさ。でも大抵はお腹が満ちてる状態に消化器の時を巻き戻してるんだ。だからお腹は空かない。旅では食糧も温存できるしアジトではその分子供に回せる。だから返、むぐっ! 」
「食え 」
カガリは突如僕を押し倒して、力尽くで何かを口に押し込んできた。
「あーあーもーよーーーくわかったぜ。十七にしちゃどうにもヒョロ過ぎると思ってたらそう言うことか」
顎が外れそうだ。苦しい。
更に喉に押し込まれてえずくとようやく解放された。けど。
「うぶっ!」
さっきよりは柔らかい物が口に押し込まれる。
「嚙め、食え、飲み込め」
そんな無茶な。
カガリに押さえ付けられた状態じゃどうしようもなくて、口の中の物を必死に噛んで飲み下した。
「ケホッ、何てことするん、むぐっ! 」
抗議しようと口を開くとまた詰め込まれた。噛んで、飲み込む。
これは多分保存食の中で一番栄養価が高いやつ……取っておかなきゃなのに。
「ケホケホッ、いら、ない、もう要らな、ぶっ!」
彼の手を掴んで抵抗したけどあっけなくまた詰め込まれる。吐き出そうとすると顎を掴まれる。噛まずにいると鼻を摘まれた。息ができなくなる。
「食え」
低く唸るような声。
生理的な涙が滲んできて必死に噛んで飲み込んだ。
「ぷはっ!はっ、もう、い、らない! やめてくれ!」
まだ押し込もうとしてくる手を掴んで顔を背ける。
「霞食って生きる霊人族じゃねえんだぞ。いいから食え」
「んむっ! 」
カガリは低い声でそう言うとまた顎を掴んで保存食を押し込んできた。急いで噛んで、飲み込む。
「ぷはっ! もうたくさんだっ!! 止、めろっ!!」
腕を掴んで抵抗する。
「ガキのお前が食わねえでどうする。この阿呆」
その言葉に何かがぶち切れた。
「君に何が分かる!! 」
僕は怒鳴った。胸ぐらを掴む。
「僕らが何百人難民抱えてると思ってるんだ!! 幼い子供がお腹空かせて泣いてる! 彼らが一日二食食べれるのは稀!! 少ない食糧を分け合って毎日生きてるんだ!! 」
人に怒りをぶつけるのは好きじゃない。けど、声を荒らげずには居られなかった。
「なのに幹部には一日二食!!きっちり量も多く出される!! 使える力があるんだ! 浮かせた食糧を子供に回して何が悪い!! 」
「分かってねえのはお前だ」
「んぐっ!?」
手が離れてまた口に押し込まれた。
「お前もまだガキなんだよ。ああ、分かったぜ。 どうせ死ぬならつって食わなかったんだろうが」
「ぷはっ! だからなんだよ!! 僕がどうしようが君には関係ないだろ!! 」
地面に転がったまま食ってかかると
「大アリだこの馬鹿もんがっ!! 自己犠牲して悲嘆に暮れんのも大概にしろ!! お前を救うために俺がいるんだろうがっ!!」
初めて彼に怒鳴られて僕は目を見開いた。曇り空の薄い逆光の中で、険しい表情をしたカガリの紅い目が爛々と光る。
彼は僕に怒ってた。
それに気づいた途端、涙が溢れた。
カガリが怖い訳じゃない。怒られて悲しい訳じゃない。押さえ付けられてるのは嫌だけど、そのせいで出た涙な訳じゃない。
なんでだろ。どうしてかな。分からないけど泣いてしまう。
「ほら、食え」
「いやだ、いやだ」
「ちゃんと食べろ」
「いらない、いらない」
「もっと食え」
「もうたべれない、はいらない」
「胃も腸も体に見合った成長してねえんだよこの阿呆」
「もういらない、たべれない……
泣きじゃくって子供のように駄々を捏ねてるにも関わらず、カガリが口に運ぶ食べ物を碌な抵抗もせずに噛んで飲み込み続けた。
初めて食べた保存食は優しい甘さと涙のしょっぱい味がした。




