第二話 対価
ショキショキと、長く伸びた髪を整える。邪魔になる前髪は切って、残りは後ろでひとつに纏めた。
形見……になるかは分からないけど、切り取った髪は紐で括ってジーク団長へ。今までの感謝を認めた書き置きと一緒に彼の部屋に残しておいた。
前々から身の回りを整理しといてよかった。これで心置き無く出立できる。自室もこれで見納めかあ……なんて感傷に浸ってる場合じゃない。
竜人族は気まぐれだ。もしこの機会を逃せば『彼』が次、いつ、何処に現れるか見当付かない。当初の予定通り勝ち目の薄い特攻するしかなくなる。
アジトの隠し扉の役割を果たす岩の前に立ち、目を閉じて開ける。
一つ。大きく深呼吸して……世界の時を止めた。
一切合切。音が止み耳が痛くなるような静けさに満たされる。
この空気が僕は好きじゃない。風も、草木も、水も、火も、生来てるものの気配すら感じられない、聞き取れないも何もかもが完全に停止した世界時空。まるで死んだような世界……。
早く済ませよう。
僕は軽く首を振ると素早く外に出て大岩を元に戻した。
踵で軽く地面を叩く。準備が整った所で一歩踏み出し跳ねた。
現在地から王都のアジトまでの座標を緻密に計算し、足と地面の僅かな空間だけ時を加速させる。そして自分の肉体の時を止めて……時を高速で進めてる空間に乗った。
強制豪速瞬間移動。体感速度でも一瞬に満たない間に王都のアジトに着いた。
王族の体と僕の能力がなければ肉体がバラバラになってる。結構……いや、かなり無茶苦茶な使い方だ。
郊外の空き家の床下。地下空間に作ったアジトに入り込んで能力を解除した。
途端。目が熱を持ち、激痛が疾る。思わず手で押さえた。
うわ、やり過ぎた。
今日は本部でもかなり細々使った後だったし、本部からここまでの距離はかなりある。ついでに全世界の時を止めての同時行使。僕じゃなきゃ目玉が爆散してるとこだ。手をを見れば真っ赤に染まってる。
時の力は……万能じゃない。便利な様に見えて、リスクと制限がある。自分の能力の許容量を超えた使い方をすれば目が熱を帯びて痛みが疾る。
他種の王族の能力は使えば疲れるだけ。こんな風に目をやられる事もない。正直言って羨ましい。
「リゼルト殿下!? 」
痛みと血が止まるまで目を揉んでいると、驚いたような声が掛かった。
あー、うん。この声は多分ここ、王都支部長のものかな。
「いつから王都を目指されてたんですか!? 伝達をたった今送ったばかりで……入れ違いに!? それに、変装もなさらずに……! その目は……!? 」
まあ慌てると思った。伝達してものの十分もしない内に当事者本人が来たんだから。目の痛みも引いたし、彼が居てくれて丁度よかった。直接詳細が聞ける。
目元の血を拭って彼を見上げた。
「伝達はきちんと受け取ったよ。交渉するなら僕本人が来るのが一番早いと思ってさ。本部から直接来たんだ。それがちょっと無茶だったみたいでね……早速だけど『彼』はどこに? 」
支部長が息を呑んだ。
彼もまた元王国軍。こんな危険な支部を託せる信頼のおける人物だ。幼い頃から随分世話になった。『対価』を知る一人でもある。
「いけません殿下! 先ずは他の者を遣いにやって交渉を——
「それじゃ遅いんだ、支部長。西が全域陥された。本部は最南に移動する事に決定した。みんなには国民の避難と、南と東の防御に勤めてもらう」
王都には届いてないはずの情報を伝えると、彼は黙り込んだ。
「最悪僕一人で特攻しようと思ってたんだ。そこに君たちが朗報をくれた。『彼』に協力を仰げたら勝算は高くなる。ここも引き払って君たちも南に向かって欲しいな」
支部長の手が肩に置かれる。
温かいな。ジーク団長も、この彼も血が通った生きてる人だ。彼らを失わないために、国を、世界を守るために、生きてる者なら誰もが持ってるこの温かみを守るためになら、『彼』に頭から食われたって構わない。
僕はにヘラと笑って見せた。
「視察隊はどこだい? 僕が代わるよ。大丈夫。心配いらないさ。会っていきなり襲われるなんて事は無いだろ?」
「お伴させて下さい、殿下」
やれやれ。ジーク団長といい、彼といい……どうしてこうも聞き分けが悪いかな。
「君はここの支部長だろ。部下を指揮しないでどうする気だ? 目的を見失ったらいけない」
最後に叱責なんてさせないで欲しいよ、全く。
「しかし——
「下手に警戒されたくない。僕に人員を割くのはハッキリ言って無駄だ」
まだゴネようとする彼を一刀両断する。
「『時封じの儀』が無事に済んだら、帝国軍の大半は土に還る筈だ。悪徳貴族達の始末まで待ってもらうように交渉してみるからさ。心配しなくても大丈夫だよ」
肩に置かれた手をそっと外して握った。
彼が心配してるのはそっちじゃない事は百も承知。だけどこうでも言わなきゃ引やしないお堅い人物だから……。無理やり握手する。
「今までありがとう。道中気を付けて」
「はい、殿下……ご武運をお祈り致します」
そう言って支部長は目元を押さえた。
————王都支部のみんなの出立を見送って世界の時を止める。情報にあった範囲を探し回ってようやく見つけた。
夕闇に沈みかけた郊外の森奧の中。
『彼』は木の根元に腰掛け寝入っていたようだ。
薄暗い森の中に映える色鮮やかな赤い髪。瞳は閉ざされてて見えない。けど、『彼』の一番の特徴である側頭部から生える《《真紅の角》》は確認できた。
一体どう現れて声を掛けたら警戒されないか考えていると目の奥がツキンと痛んだ。
世界規模で時を止め続けた代償だ。今日一日で力を乱用し過ぎた。
取り敢えず離れた茂みに身を潜め、時を解除した。一息吐いて『彼』の様子を伺おうと身動ぎした、その瞬間。
「動くな」
低く、よく透る声が掛けられた。
視線を感じる。心臓がうるさい。ここから何十メトルと離れてるのに衣擦れの音でも聞きとったのか。
忘れてた。竜人の身体能力の高さを。その上『彼』は王族──《《歴代最強》》の王族だ。迂闊だった。警戒された。身を潜めるのは悪手だった。
思考がぐるぐると回って動けないでいる内に次の言葉が投げ掛けられた。
「両手を上げろ。静かに立て。口を開いた瞬間、斬る」
言われた通り手を上げて立つ。
「そっち行くから待ってろ」
背後から土と草を踏みしめる音が近づいきてあと数歩という所で止まった。チャキ、と金属音が響くと同時に首筋に冷たいものが当たる。
「銀髪……王族か?」
問いかけにこくりと頷く。
「ゆっくりこっち向け」
大人しく指示に従って振り向いた。虹を帯びた深く鮮やかな真紅の瞳に見下ろされて僕は小さく唾を呑んだ。
「……ゼル?」
初対面のはずの『彼』に愛称兼偽名を呼ばれて目を瞬いた。
首に添えられてた刃がゆっくりと滑り顎に当てられる。クッ、と力が込められて顔を上向きにされた。
『彼』は竜人族が生まれ持つ『刀』という武器で僕の顎を支えたまま、色んな角度からジロジロと眺め始めた。
「……では、ねえか。目が違う……初代より上ねえ……歴代最強の目……若いな……女……?いや、男か……」
ブツブツと呟きながらずっとずっと眺め回す。首が疲れてきた。それにちょっと、だいぶ、かなり失礼だ。
すっと刀が引かれる。
やっと顔を下ろせる。首が凝るかと思った。
『彼』は刀を担いで肩を叩きながら口を開いた。
「歳は」
「十七」
「成人まで?」
「あと半年」
素直に答えはしたけどよく分からない質問だ。
戸惑っているともうひとつ質問が投げかけられた。
「名前は」
「リゼルト。リゼルト・A・アルメリア」
瞬間『彼』は吹き出した。
「うわ、汚なっ」
僕は思わず声を上げた。
人の顔に唾を吹きかけるなんていただけないな。
「ぶっくくく、ははは、あはははは! 」
何がツボだったのか『彼』は腹を抱えて笑い続けた。笑い過ぎてとうとう腰を折り、刀を地面に突き刺して支えにする。
そろそろいい加減手を下ろしたい。肩が凝りそうだ。
「はー……おっかし。あ、手下ろしていいぞ」
ひとしきりヒーヒー笑い続けた『彼』からようやくお許しが出る。
完全に忘れてただろ。
僕はわざとらしく肩を回しながら、じとりとした視線を送った。
「はーあ、なんでこんな似てるもんかね……で? リゼルト、お前は俺に何の用だ? 」
なんでか分からないけど一先ず話を聞いてくれる姿勢にはなったようだ。第一関門の突破に詰めてた息を吐く。だけど大切なのはここからの交渉だ。
「歴代最強の竜人王族である、あなたの力をお借りしたい……十七代目の約束通り」
「ほお〜『対価』は覚えてんだろうな?」
僕は直様頷いた。
「『王家の血肉、血筋を引く者を一人』。それが対価と聞いてます。王家の血筋はもう僕か、現王……叔父上しか残ってません」
気を引き締めて見上げる。普通、王族は対等だ。けど今回こちらは乞う立場。
「増強のためなら僕の方が能力値は高い。使命を果たした後は全てあなたに捧げます。好きな様に食してもらって構いません。
この国……いや、世界は今、再び帝国の危機に晒されてます。だからどうか時の鍵を閉じて、帝国兵を一掃するまででいい。僕に協力して頂けないでしょうか」
そう言って地面に跪き、頭を下げた。
王族は……他種の王族を食らうことで力を増強できる。
もちろん禁忌だ。だから種族ごとに棲み分けをすることになった。ただ、食らう血肉に宿る力が強力であればある程増強値は高くなる。『彼』と同じく歴代最強の目を持つ僕を食えば相当な力が上乗せされるはずだ。
『餌』になる準備は出来てる。心構えも。後は『彼』がこの条件で乗ってくれるか。それに全てが掛かってる。
緊張に体を強張らせながら答えを待っていると、呆れたような声が降ってきた。
「何言ってんだ、この阿呆。俺がいつそんな事言ったよ? 」
絶望。……その言葉が頭を過った。けど彼の言葉には続きがあった。
「お前ら王家の伝言ゲームはどうなってんだ。何をどうして俺が王族喰らいのバケモンにすり替わってんだよ。既に歴代最強の座に着いてんのにこれ以上力つけて何しろって? 」
僕は目を瞬いた。
じゃあ、あの対価の意味は?
「俺が十七代目……『アゼルト』と約束したのは『子孫を一人。嫁に寄越せ』ってだけだっつの」
まさかの展開だ。
団長を慰めるために冗談で言ったことがほんとになってしまった。けど困ったな。
今代、僕も叔父上も当然男。
もし、例えばだけど。僕に子供ができて、『彼』に嫁いでも良いって言う女の子が生まれるまで。『彼』は待ってくれるだろうか。子供の運命を勝手に決めるような親に僕はなりたくない。
衝撃の事実に何も言えないでいるとまた刀で顎を掬い上げられた。
「いいぜ、リゼルト・A・アルメリア。その話、乗ってやるよ」
突然降って湧いた希望に僕は目を見開いた。
「そもそも、アゼルトと約束したのはアルメリアの危機は世界の危機だからだ。ちょっとその辺ブラついて来ただけなのに、戻ってくりゃ国境は閉鎖されてるわ、国は荒れ放題だわ……」
『彼』がこの国を去ったのはもう何千年以上も前の話だ。仁族の寿命は百年程度。王族だとしても長くて六、七百年。何千年と生きる竜人族のちょっとは僕達の感覚とはかけ離れているらしい。
「ご協力ありがとうございます。身内の不祥事で世界を危険に晒して他の種族に顔向けできないのは百も承知です。ですが、その……対価、については……」
「謙るのは止めろ。王族は対等だ。首を垂れるな。立て。這いつくばってちゃ俺に相応しくねえ」
最後の一言に妙な引っ掛かりを感じたけど言われた通り立った。ズボンについた草を払って改めて彼と向き合う。
「よし、俺の名前は『カガリ』」
『彼』こと、カガリは短く名乗った。真紅の瞳を細め、しばらく僕を見つめる。
「しっかしまあ……よくもここまで似たもんだ。アゼルトと瓜二つだな、お前」
あー、うん。彼がなんでさっき吹き出したか分かった気がする。アゼルトとリゼルト。顔も瓜二つで名前も一文字違いじゃ笑いたくもなる筈だ。
「十七代目の愛称もゼルなんですか」
「んだよ。そこまで一緒なのかよぶっくく、笑える。あと、敬語止めろ。変な気がする」
カガリのツボはだいぶ浅いらしい。
「分かった。じゃあ早速対価について話したい。さっきも言——
「ああいらんいらん。その話ならもうしなくていい」
まだ何も話してないのにカガリは手を振って遮った。
対価はいらないと言うこと、かな……?
そんな呑気な事を考えてたら彼は爆弾発言を落としてきた。
「対価は『お前』だ、ゼル」
「……は? 」
……聞き間違いだろうか。彼は今なんて言った?
頭が動き出すのに五分くらい掛かった。動き出しはしたけど理解できない。今、側から僕の目を見たらきっと点になってる。
カガリは長い脚でズイと距離を詰め、固まってた僕の顎を掴んで持ち上げた。まるで、逃がしはしないとでも言うように。
とっくに日が沈んだ暗闇の中でも輝く虹を帯びた真紅の瞳が僕を見下ろした。
「聞こえたか? 対価はお前だ。お前が俺の『番』になれ」
「つ、番……?僕、男なんですけど」
たじろいで思わず敬語になる。カガリは口角を吊り上げ鼻先寸前まで顔を近づけた。
「男も女も変わらねえよ竜人族にとっちゃ。俺らの数が少ねえのは知ってるだろ」
確かに、竜人族は最も数が少ない。代わりにそのほとんどが王族だ。けど、世界各国をふらつく彼らの生態は謎に包まれてる。
「俺らは『番』にしたヤツの体を弄れる。子孫を残すために男でも女でも孕ませられんだよ」
カガリは僕の耳元に口を寄せてそう囁いた。
背筋が冷たくなる。食われる覚悟は決めて来たけどそっちの『食われる』は想定外もいい所。身の危険を感じて後退ろうにも顎を掴まれてちゃ逃げようがない。
「僕の子孫とかじゃ、ダメかな」
「あ?いい加減その子孫を待ってたんだっつの。これ以上お預けされてたまるか」
どう言うことだよ!? とツッコミたい。
「アゼルトとにゃ相手がいた。だから対価に子孫を寄越せって約束した。そしたら好きなヤツを持ってけって言ったんだよアイツは。選択権は俺にある」
酷いじゃないか十七代目。なんて約束してくれたんだ。僕の人権はどこ行った?
「リゼルト、お前はアイツに瓜二つ。まるで写し鏡だ。名前も、愛称も……今後これ以上似たヤツが現れるとは思えねえ」
カガリが熱を帯びたような目で見つめてくる。
「それは、ちょっと決めつけすぎじゃないかい? 君の寿命は長い。僕の子孫で喜んで君に嫁ぐ子の方がいいんじゃないかな」
「いーやもう決定事項だ。俺は世界のために食われる覚悟を決めてきたお前が気に入った。大人しく食われろや」
ああ、父上。せめて僕の名前をもうちょっと考えて欲しかったな。いくら兄上や姉上が七人も居たからってさ、安直に歴代国王から取るからこんなことになるんだ。
なんて現実逃避をしてたらカガリの顔がもう目の前に迫ってた。思わず縮こまって目を瞑る。ちょっとして首筋に鋭い痛みが疾った。続いて生暖かい感触。
ゾワリと鳥肌が立って僕は飛び上がった。そこでようやく顎が解放されたのですかさず距離を取る。カガリを見遣ると口についた血をぺろりと舐めてるとこだった。首筋に手をやると恐らく頸の辺りに歯型がついてる。
「はい、とりあえずマーキング完了。残りは後にしてやるよ。約束果たしたらお前は俺の『嫁』。末長くよろしくな、ゼル」
……ジーク団長。どうやら僕は命の危機から貞操の危機に気をつけなきゃならなくなったみたいだ。




