第九話 信じてた
冷たい、冷たい、寒い、寒い……
暗い、真っ暗だ。何も見えない……
「──の熱が落ち着いたら治療薬を点眼しろ。万全の状態で力を——」
意識が浮上して声を拾った。ランドール叔父上のもの——僕はまだ生きてるみたいだ。
ならなんでこんなに暗いんだ? 何も見えない。もう目を盗られたのか? 目と全身、頭が酷く痛い。それに、すごく寒い、冷たい──
——冷たいのも、寒いのも、暗いのも。
全部苦手だ。辛い思い出が湧き出て来るから。体が凍えるから。未来まで暗く染まって見えるから。嫌だった。明るく温かい太陽が恋しい。
身動ぎしようとしたけどビクともしない。
あれからどれだけ時間が経ったんだ。カガリはどうなったんだろ。僕は今どういう状況に置かれてる?
と、突然視界が開けた。眩しいくらいの照明が目を突き刺す。その光すら今は刺激が強すぎて頭に鋭い痛みが疾った。どうやらまだ目玉は残ってるらしい。
耳鳴り、眩暈、吐き気がする……
「やあ、お目覚めかい?ゼル」
次第に焦点が合ってくるとまだ微かに赤みがかった視界に叔父上の顔が映り込んだ。
やられたな。ヘマをした。いくら僕自身の時を操れないからって服を止めてくるとは思わなかった。
もしカガリが聞いてたらなんて言われるやら……
「あ、んたに……愛、称で……呼ばれ、たくなん、て……ない」
声を絞り出すと叔父上はやれやれと言ったふうに肩を竦めた。
「可哀想に。すっかりスレてしまって……まあ、十年も戦場に居たら心も荒むな。仕方ない」
僕は目を眇めた。
他人事のように……あんたのせいで国は荒れてるんじゃないか。
「まあ、そう怖い顔をするもんじゃないよ。可愛い顔が台無しだ」
僕は彼に唾を飛ばした。見事彼の頬に命中。叔父上は笑顔のままそれを拭ったけど、その額に青筋が立っているのを僕は見逃さなかった。
「酷いじゃないか。こうして治療までしてあげてるのに」
そう言うなり彼は僕の鳩尾に肘を叩き込んだ。
「はっ、……」
肋骨が一本。鈍い音を立てて折れた。痛みと衝撃で僕の息が一瞬止まる。
緩く柔らかい言葉遣い。僕の話し方は実は叔父上譲りだったりする。
でもその心内は正反対だ。
昔の記憶が蘇る——
『叔父上ー! 』
兵士に混ざって剣の鍛錬をしていた彼に僕は駆け寄った。
『どうしたんだい、ゼル? 勝手に練兵場に入っちゃダメじゃないか。危ないだろ 』
抱き上げられる。
『大丈夫だよ! 叔父上に教えてもらったから、避けるのは得意なんだ! 』
『やれやれ。悪い使い方を覚えてしまったようだね——
『ランドール』
声が掛けられた途端。叔父上の体が強張った。
『父上! 』
僕は彼の肩越しに見つけた父上の笑顔を見て嬉しくなった。
『今日も鍛錬に励んでいたのか? お前の弛まぬ努力と巧みに力を扱う才能は素晴らしい。ゼルの面倒も見てやってくれているそうだな。ありがとう」
才能の言葉が出た途端彼の腕が戦慄いた事に気づかない僕じゃなかった。
『当然の事さ、兄上。私は誰よりも力に劣るんだ。王族として残ったからにはせめて何か役に立たなきゃね。これくらいこなして当たり前さ』
僕を抱く腕に力が込めらてるのと裏腹に彼の声音と言葉遣いは驚くほど柔らかかった。
『そんなことはない。お前は家族だ。役に立つ、立たないでお前を見る者など誰も居ないし、私がそうさせはしない』
『……ありがとう、兄上』
少しの間の後、叔父上はにヘラと笑って見せた。父上が去った後、彼は静かに僕を下ろした。姿勢を正した後父上が去った方向を見て、固く握りしめた拳は血の気が引いて戦慄いてた。
僕はそっとその拳を引いた。握りしめてた手を開かせて、血の滲んだ掌の時を巻き戻しながら訊ねる。
『叔父上は……どうしていつも父上と話す時、怒ってるの? 』
大好きな二人の仲が悪いのは悲しい。だから父上の耳には入れてなかった。憎しみという言葉を知らなかった。
『怒ってなんかないさ。気を引き締めてるだけだよ』
傷を治した手をそっと握る。
『血が滲むほど拳を握って、父上の一言一言に戦慄いて……どこが怒ってないって言うの? ほら、目だっていつもより一ミリル吊り上がってる』
叔父上は大きく溜め息を吐いた。
『やれやれ君の目にかかっちゃどうしようもないな、ゼル』
僕と二人きりでいる時だけに見せる眉が下がった困り顔。
『なんで、怒ってるのにそんな話し方をするの? 喧嘩したいならしちゃえばいいのに。そしたらスッキリするし、その分仲良くなれるよ? 』
彼は僕の頭を撫でた。まだ手が冷たい。怒ってる証拠だ。
『叔父上って結構怒りんぼさんだよね。なのにいつも優しい話し方をする。我慢しすぎるのは良くないって叔父上が言ったんだよ? 』
そう、彼は中身がそこそこ温厚な僕とは違って、見た目よりずっと激情家だった。正反対の性格なことを僕だけが見抜いてた。
『ゼル、この話し方はね。気持ちを落ち着ける話し方なんだよ。自分も、相手も』
叔父上が屈んで説明する。濃い銀色と緑の瞳で僕を見つめた。
『気持ちを落ち着かせる? 』
『ああ、おまじないみたいなもんさ。私は誰とも喧嘩なんてしたくない。仲直り出来ればいいけど、逆に仲が悪くなったら君も嫌だろ? 』
僕はこくりと頷いて、その辺の石ころを爪先で蹴った。
『だからこそ、気持ちを落ち着けるんだ。いつでも、穏やかに笑ってられるように。我慢しすぎは良くないけど、怒りは人にぶつけちゃいけないものなのさ。だから敢えて柔らかい言葉遣いで話すんだ』
『じゃあ僕も真似していいかい? 』
叔父上は目を丸くした。
『自分も、相手も落ち着けるんだろ? だったら叔父上が落ち着けるように、僕が話してあげるさ。父上やみんなと仲良くできるように、ね? 』
——「ケホケホっ! ぅっ……!」
衝撃に咳き込むと折れた肋骨が痛んだ。
馬鹿だな僕は。あれこそ前兆だったじゃないか。
叔父上は確かに怒ってなんかいなかった。憎んでたんだ。自分より力を持つみんなを。言葉の端々、行動の隅にどこか憐れみが混ざってた家族達を。
叔父上がどう言うつもりで、僕にあんな風に接してたのか、いつから、みんなに憎しみを抱いてたのか、何故、皇帝と取引したのかは分からない。
でも、あの時。父上に叔父上の心情を話してたら何かが変わってたかもしれないじゃないか……
「怒、りは……人にぶつけちゃ、いけない……ものって、言って……なかったかい? 叔父上……随分と、気が……短くなった、みたいじゃないか……」
口角を上げ皮肉気に言って見せると彼は目を細めた。
「君は随分と可愛げが無くなったもんだね、ゼル」
そう言うと彼の肩のあたりにあった紐を引いた。
「さて君が置かれてる状況を少し説明してあげよう」
体が乗せられてる台ごと少し起き上がった。自分の体と周囲の状況が見えるようになる。
僕は手を交差する形の拘束衣を着せられてその上から更にベルトで台にガッチガチに拘束されてたみたいだ。そりゃ身動きもできないってもんだ。まあ五体満足なだけでも良しとするしかない。
「君が倒れたあの後、力を使い過ぎた反動で酷い熱を出してたんだ。目の出血も止まらなかったし、潰れてしまったかと思ったよ。だから、帝国式の治療方でずっと体ごと冷やしてた。丁度熱が下がったから次は癒してあげようと思ってたのさ」
叔父上はそういうと彷徨いてた人形兵から何か小さな瓶を受け取った。かと思ったら僕の両瞼をこじ開けて素早く左右の目に雫を落とした。
「ぅあっ!?」
氷を直に当てられたように目が痛くなる。
冷たい、冷たい、痛い痛い。
瞬きして逃がそうとしたけど叔父上が僕の目を手で押さえ付けてそれを許さない。身動ぎできもしないのにもがいた。しばらくすると痛みが引いた。彼が手を退けると視界は良好に、頭痛もしなくなってた。
……相変わらず他の場所身体中痛いけど。彼は目玉だけ治療してたみたいだ。当たり前かもしれないけど。
「君から目をもらう前に、一つ試してみたい事があるんだ」
彼は少し歩いて四方ガラス張りの壁の内、一面だけに取り付けられた金属の棚を開けた。
モアリと冷気による煙が流れ出た後、僕の目を釘付けにしたのは筒状の水槽に沈む銀色の目。
薄い銀の目、鮮やかな銀の目、濃い銀の目、……大きなその棚いっぱいにさまざまな色合いをした銀の瞳の目玉が入った水槽が並べられてた。
ザワリと毛が逆立つ。そうか、叔父上は……
「ご覧の通り、素晴らしいコレクションだろ?」
僕は唸った。歯を食いしばる。
みんなから目を奪っては移植して、次の目玉に取り替えた後保存してたのか……趣味が悪い。最低だ。気が狂ってるのかこの外道。
「ま、そう怒るもんじゃない。効率的かつ有効活用だ」
「あんたは何をしたいんだっ!ケホッ」
「肋を痛めてるんだ。そう叫んだら体力が削れるだろ。ゼル、君には今から力を使ってもらう」
僕はハッとした。目の痛みが治った今なら時を操れる。拘束衣を劣化させるために時を動かそうとした。けど——
「っ!?」
操れない。時が。力は確かに体の中に満ちてる。でもそれを動かせない感覚。
「ああ、無駄だよ。その首輪……」
叔父上は僕の首元を指差した。確かに冷たい感触が首を取り巻いてる。
「それは、皇帝からの贈り物さ。私が今持つ闇の力でね、嵌めた人物の操る力を侵食できるんだ。加速も減速も停止も。私が指定した範囲、対象でなければ君は力を使えないよ。君のためだけに用意したプレゼントさ、ゼル」
僕は唖然とした。そんな物があるなんて聞いてない。
「さて、使ってもらう方法だけど。この目を、生きた状態まで巻き戻してくれないかい?」
「ふざっけるな!! 」
僕は思わず叫んだ。
「最初からそのつもりだったんだな!! 僕を捕らえて!! みんなの目だけを巻き戻して!! 僕の目を移植する前に生きた目に力が宿るか試すために!! 十年前のあの場でも僕を殺す気は無かったんだなっ!!」
死んだ人の時は戻せない。『魂』に時は影響を及ぼせない。だけどその人のものだった体の一部は巻き戻せる。これまで戦場でもそうやって生きのこった仲間を生かすために戦死した仲間の一部を巻き戻してきた。
「その通りだ、ゼル」
叔父上は一つ、筒を持って僕の元へ歩み寄った。顎を掴んで目を細める。
「唯一私へ真っ直ぐな感情を向けてくる、可愛い甥っ子を殺す訳ないじゃないか。あの時、帝国兵が君を殺そうとして焦ったよ。兄上が即死してなかったのは誤算だったけど、最期に役に立ってくれて感謝してるさ」
僕は彼の手に噛みつこうとした。寸前で引っ込められる。
「凶暴になったもんだね」
トンと僕が括り付けられてる台に濃い銀色瞳の目が置かれる。
「さて、それじゃあまずは兄上の目から巻き戻してもらおうかな」
「誰がそんなことするもんかっ!! 」
「ま、そう言うだろうと思ったさ」
叔父上はなんでもないと言った風に台の横に置いてあったカートから何かを取り上げた。
筒の先に針のついた注射器……
「これは帝国産の麻酔だ。きちんとした手順を踏んで調合すれば痛み止めにも、鎮静薬にもなるものだよ」
針の先が僕の首筋に当てられる。
「でも本来は麻薬さ。神経が昂って、気持ちよくなって、その内意識が朦朧として、夢見心地に飛ぶ。そしてもっともっと次が欲しくて堪らなくなる。打てば、打つ程、ね」
僕は体を強張らせた。
「全身に傷を負ってる君に打てば、激痛に襲われながら激しい快感を得られるだろうな。人生初の絶頂を味わえるかもしれないよ? さて、ゼル。君は何本まで耐えられるかな」
「やめっ——
止める間も無く注射される。途端、全身に焼きごてを当てられたような痛みが疾った。
「っ!! うあぁぁあああ!! 」
「痛いのは最初だけださ。安心しなよ。その内、夢見心地になって何も分からなくなるから」
熱い、熱い!! 体が燃える! 痛い痛い!! 苦しい、熱い!!
二本目が打たれる。
「っぁああ!!」
全身から汗が吹き出す。僕は肩で息をして目を見開いた。
なんだ、この、感覚は。
ゼイゼイと荒い息を吐く。
押さえられるものなら胸を押さえたい。心臓が脈打つ。熱い熱い、痛い、痛い……いた、い?……痒い。痒い痒い!!
どこか痒いのに手が届かないようなもどかしさと激痛で訳が分からなくなりそうだ。
続いて三本目。
「っぁ、!!」
もう声も出なかった。
目が回る。意識が朦朧とする。熱い、痛い、痒い。それに加えて皮膚の上を何かが這いずるような擽ったさが加わる。訳が分からない、分からない、分からなくなる。脳みそが溶けそうだ。
「さあ、ゼル。巻き戻すんだ」
ああ、叔父上の声が聞こえる。巻き戻すって……何を?いや、分かってる。覚えてる。叔父上は父上の目を巻き戻そうとしてるんだ。やってやるもんか。
「ふむ、なかなかしぶといね。十倍希釈して使う原液を使ってるんだけどな」
四本目の注射が打ち込まれる。
「うわぁぁあああっ!!」
針が侵入する僅かな感覚さえ過敏になった皮膚には激烈な刺激となる。額から汗が滴り落ちる。目を見開いて叫ぶ。身悶える。
痛いけど擽ったい。痒い所をちょうど掻いてるような感覚。これが快感?もどかしい、もどかしい。もっと掻いて欲しい、強く。
痛い熱い痒い擽ったい気持ちいい……違う!!
僕は本当の心地良さを知ってる!! カガリが髪を梳いてくれるあの感覚。思い出せ、思い出せ!!
巻き戻すんだ! 麻薬を打たれる前まで!僕の体を巻き戻せ!! 父上の目じゃない! 僕の時を巻き戻すんだ!!
「ゼル?巻き戻すのは兄上の目だ。無駄な方向に力を使おうとするのはやめた方がいい」
五本目の注射。
「あぁっ!?」
全身の感覚が更に苛烈になる。
体が緩やかに蕩けてくような感触。ゆるゆると優しく撫でられて、痒い所を掻いて貰って……痛みも痒みも擽ったさももう分別つかない。分からない。全部一緒くただ。体の中が更に熱が灯り燃え上がる。もっと、もっと掻いて欲しい。もっと撫でて。体が柔らかく蕩けるような夢見心地。それでも……
奥歯を食いしばって堪える。激しく首を振り薬を拒絶する。
できる。叔父上の侵食がなんだ。僕はカガリと同じ歴代最強。上書きしてやる。巻き戻せ!!
操る力と侵食する力が拮抗する。
その間に六本目の注射が当てがわれた。
「ゼル、無駄な抵抗をするもんじゃないよ。身を委ねるんだ。兄上の目を巻き戻したら、ゆっくりそのまま気持ちよく過ごせる」
負けるもんか、負けるもんか!!
夢見心地から覚めてきて全身が軋むような痛みに襲われる。
「無駄に体を痛めるだけだ。やめた方が身のためだよ、ゼル」
首筋に六本目の針が侵入する。
力を引いて引いて——押した。
「うっ! 」
叔父上が呻く声がする。
パリンと何かが割れる感覚がして、僕は体内の時を一気に推進させた。
「う、ぉえっ! 」
一気に麻薬を吸収したせいで目が回る、吐き気が止まらない、寒い、気持ち悪い、頭が痛い……でも、これで。
「ぅえ、ゲホッ……もう、その薬は効かないよ、叔父上」
左目を押さえる叔父上に向かって不敵に笑って見せた。
巻き戻すだけじゃまた打たれて消耗してくだけだ。だから薬の分解吸収を加速させた。一歩間違えれば中毒になるかもしれなかったけど、歴代最強の肉体を舐めてもらっちゃ困るな。
内部に集中するのに目一杯だったから、体の傷はまだ残ったままだ。侵食の力から押し切った反動で全身が軋むような痛みまで加わった。
でも、おかげさまで耐性がついた。もう僕にあの薬は効かない。ぼーっとさせて言うこと聞かせることは不可能。
「やれやれ、負けん気が強いのは変わってないな。仕方ない」
叔父上は目を押さえるのを止めてパンパンと二度手を打った。周囲の人形兵達が忙しなく動き始める。
また時が操れなくなってる。首輪の力は健在らしい。でも大丈夫。
「念には念を重ねたかったけど仕方ない。君から直接目をもらおうか」
叔父上が肩元の紐を引くとガタンと乱暴に台が倒れた。
体も頭も痛むからやめて欲しいな。
「大人しくしてれば夢見心地のまま、痛みもなかったのに……馬鹿だな君は、ゼル」
「馬鹿はどっちだろうね。貴方には見えない未来を言い当ててあげようか、叔父上? 」
大丈夫、きっともう回復した。
回復したら自動で解けるように仕掛けといた。
「貴方は倒される。僕の目を奪うことも出来ずに、ね」
僕が余裕たっぷり歌うようにそう言うと叔父上は怪訝そうな顔をした。
「なにを言ってるんだい?力も封じられて、身動きも取れない君に何が出来る?」
叔父上が人形兵からメスを受け取る。刃先が照明を受けて鋭く光った。
「負け犬の遠吠えはよした方がいい。滑稽なだけだよ、ゼル」
僕は緩やかに口角を上げた。
大丈夫、信じてるよ。どこに居ても辿り着けるって言ったじゃないか。
刃が目の前に迫る。
突如視界の端。彼の背後が紅く明るく染め上がった。叔父上が異変に気づき振り向いたその時。
ガシャンと窓が割れる音が大きく響いた。ガラス片と共に飛び込んで来たのは目にも鮮やかな『赤』。
ああ、来てくれると思った。信じてたよ、カガリ。




