子犬と戯れる休日
サツキが食事をしている間中、シアンは向かいの席でじっとこちらを見ていた。
目がキラキラ、見えない尻尾をパタパタしているように見える。
まるで、お散歩を待つ愛犬のようだ。
侍女のベラもその後ろで控えている。
彼女をもう一度注意深く観察する。
彼女の名前はベラ。
金髪を三つ編みにしている。瞳の色は緑。
この国ではよく見る色合いではある。
彼女にどこかで会ったことがある――その気持ちはまだ拭えない。
だが、どこで会ったのかは思い出せないのだ。
――切れ長の目、全体的に整った美女……これほどの美女、一目見たら忘れられないはず。
目が合うと、ベラはニコリと微笑みかけてきた。
その微笑みは、よく知ったものに感じるのだった。
「食べ終わった?」
「ええ、ごちそうさまでした」
「ごちそうさま?」
「私の故郷で……お食事が美味しかったです。感謝いたします……という意味でしょうか」
サツキにとって大事な言葉だ。
一年経って、この世界になじんでも口につく幼いころからの言葉。
説明したけれど、本当はもっとたくさんの意味を含む大事な言葉なのだ。
シアンはニッコリ笑った。
「そっか」
「お待たせしました。シアン殿下は、いつもどのように過ごしておられるのですか?」
「う~ん……結構忙しいんだ」
シアンの少したどたどしい説明を聞いて、サツキはとても驚いた。
朝日と共に起きて、精霊と聖獣に王族としての祈りを捧げる。
朝食の前には、剣の鍛錬。
朝食の後は、魔力を練る時間。
そのあとは、王国の歴史や帝王学、礼儀作法に算術、王国語、外国語……サツキが覚えきれないほどの教科をベラと共に。
昼食の後はお昼寝。
お昼寝の後は、また勉強。
夕食のあとは湯浴み。まだ四歳のシアンは、大抵その後は眠ってしまうという。
「四歳の子どもの生活じゃない……」
「叔父さまは、これが普通だって言っていたよ?」
「ウェルシュターさんの子ども時代が、多分普通じゃない……」
思い返してみれば、カイルはどんなこともそつなくこなす。
礼儀正しく、物腰柔らか……なんでも知っている。
しかし、時々部下たちにこんなことも知らないのか、と揶揄われることもある。
下町のお菓子、子ども時代の遊び、流行の曲や演劇……。
だが、カイルとシアンは王族なのだ。
責務があるし、外国との交流もあるし、王族にしかわからない何かがあるのだろう。
「……えっと」
「ベラで結構でございますよ。サツキ様」
口を出して良いものか悩みながら、侍女のベラに視線を向ける。
すると、ベラはまるでサツキの言いたいことを把握しているかのごとく微笑んだ。
「シアン殿下が習得すべき内容の進捗状況って教えてもらえるのかしら?」
「なるほど……否定から入らずその部分からですか。実にあなたらしいです」
「えっ……」
「ああ、失礼致しました」
ベラの言葉に、サツキはある人物を重ねた。
だが『彼』は男性だし、姿形も色合いも彼女とまったく違う――たまたま似ているだけだろう。
「シアン殿下の学習は、同年代の王族の二年ほど先まで進んでおります」
「まあ……優秀なのね」
小さい頃の二年の大きいこと。
サツキのいた世界で言えば、幼稚園の年中ですでに小学生レベルということだ。
「しかも王族の……ということは、一般のレベルより高いということかしら?」
「そうですね。文字などは庶民の大人レベルに到達しているでしょうし、貴族と比べれば四年程度先を行っているのではないでしょうか……」
「――遊びの時間を入れて、学習を少し減らすことはできる?」
「差し出がましいようですが……」
反対される、と思ったサツキだが、ベラの言葉は予想外のものであった。
「私も密かにそのほうが良いと思っておりました」
「では、今日の午前中は遊びます」
「……遊びって、何をするの? 子犬の姿で走る?」
「そうですね……ベラ、シアン殿下はどこまで出ていいの?」
「離宮の敷地内、壁にはあまり近づかなければ大丈夫でございますよ。ただ、誰もいないときはだめです」
話に聞くところ、サツキと出会った日、ベラは手紙を届けるために短時間離宮を不在にしたのだという。その間に、シアンは子犬の姿になって壁の小さな穴から離宮の外に抜け出したらしい。
だが、シアンは自身の状況を年のわりには理解しているように見える。
冒険心だけで外に出てしまうだろうか。
「それはともかく……外に行きましょう」
「……何するの?」
シアンは本当に不思議そうだ。
余計なお世話なのかもしれないが、遊び方を知らないなんて不健全だ、とサツキは思う。
とはいえ、サツキはこの世界の遊びがどのようなものか知らない。
だが、鬼ごっこやサッカー、野球、元いた世界の遊びやスポーツ、ゲームはたくさん知っている。
「ボードゲームは何があるのかしら……」
サツキも仕事場と宿舎の往復ばかりだったから、久方ぶりに外で太陽の光をたっぷり浴びた。
途中でベラが帽子を用意してきてくれて被せてくれたけれど、きっと日焼けしたことだろう。
はしゃぎすぎたせいか、シアンは途中で子犬の姿になり、人に戻れなくなった。
子犬と走り回りじゃれ回る時間も、この世界に来てからのサツキの孤独をすっかり埋めてしまうほど楽しい時間であった。
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