一人ぼっちじゃない夜
「さて、君はここからではなく宿舎から出勤しているていが良かろう」
「そうですね。騒ぎにしたくないですから……」
宿舎も職場もサツキの周囲は、人が良い者ばかりだ。しかし、シアンが犬に姿を変えることを秘密にしなければいけないのなら結婚自体秘密にすべきだろう。
「君は人が良くて思ったことがすぐ顔に出るからな」
「……」
上司だからか、カイルはサツキのことをよく見ている。事実、サツキは嘘をつくのが苦手だ。
「でも……」
サツキは、寝室に視線を向けた。
「シアン殿下のお母様は……?」
「第一王妃殿下は、去年の秋に儚くなった」
「そうでしたか……では、シアン殿下のお世話は誰がしているのですか?」
通常であれば王族は乳母が育てる。
しかし、王族しか秘密を知っていけないのであれば、幼い彼の面倒を誰が見ているのか。
「俺と俺の王家の影だ」
「……乳母は?」
「王族の秘密を知って良いのは、王族と王家の影だけだ」
「では、やっぱりここから出勤したほうが良いのでは? 仕事と宿舎を行ったり来たりしていたら、シアン殿下のお世話ができません」
王家の影がどのような関わりをしているかはわからないが、なんとなくシアンを放っておいてはいけない気がした。
それに懐いて抱きついてくるシアンはとても可愛らしい。
カイルが育ての親のような役割をしているなら、母親役は契約妻とはいえサツキの仕事のはずだ。
「それは問題ない」
「どういうことですか?」
「明日、仕事から帰ったら宿舎の部屋にこれを置いてくれ」
手渡されたのは拳くらいの大きさの魔導具だった。持てばズシリと重い。
「これを置けば、この部屋と宿舎の君の部屋の移動ができる」
「この部屋と私の部屋を繋いだら、防犯上問題あるのでは」
「ああ、それなら心配ない」
サツキがきょとんと目を開くと、カイルは口の端を吊り上げた。
「異世界から来た君は、利用価値が高い。悪い輩に攫われぬよう、元々警備体制は万全だ」
「もしかしてそれも、王弟殿下であるウェルシュターさ……様の管轄でしたか」
ここまできてサツキは、カイルが王弟殿下であることを知った以上、彼をさん付けで呼ぶのは良くないと気づき言い直した。
「ああ、そうだ……それから今まで通りさん付けでいい。職場で間違えられると困る」
「承知しました」
この一年間郷愁はあれど、あちらの世界に家族がいないサツキは、こちらの暮らしを楽しんでいた。
振り返れば、困ったときにはカイルがいつでもそれとなく助けてくれた。
――サツキは知っている。カイルはとても厳しい鬼上司だが、部下は最後まで面倒を見るし、部下のミスは自分で責任を取る。そして誰よりも働くのだ。
だから、部下たちは厳しい彼のことを密かに鬼上司と呼びつつも慕っている。
「――抱え込むタイプね」
「何か言ったか?」
「いいえ……とにかく、本日からよろしくお願いします」
サツキは立ち上がった。
そして、出口に向かう。
「どこに行くつもりだ」
「宿舎に戻ります」
「……夜中だぞ」
「でも、まさか一緒の部屋というわけにも」
そのとき、眠ったと思っていたシアンが寝室から飛び出してきた。
「一緒に寝るの〜!!」
「え、でも……」
「俺は明日仕事から帰ったら部屋に魔導具を設置するように言った。時や場所を確認するのは情報共有の基本だぞ……君は他の職員よりもよく理解していると思っていたが」
確かにカイルは、明日の仕事が終わってから設置するように言った。
だが、カイルと一緒の部屋に泊まるのは問題あるのでは……。
「サツキ……だめ?」
「……それは」
「俺はこのソファーで寝る。申し訳ないが、夜遅いからシアン殿下と一緒に寝てもらえないか?」
「かしこまりました」
寝室にはベッドが一つしかなかった。
シアンにカイルが添い寝しているイメージは全く湧かない。
一人で寝ているのだろうか……。
手を引かれ、サツキはシアンと一緒にベッドに入った。
シアンからは甘いミルクみたいな香りがする。
――サツキはこの夜、この世界に来て一番ぐっすり眠った。