勇者の名が響く町で、俺の存在が崩れはじめた
――――ロウィンの視点。
アナザー・エデンを倒したあと、俺たちは「はじまりの町」へ戻ることにした。
時空の歪みは消え、世界はゆっくりと静けさを取り戻し始めている。
ずっと張り詰めていた心にも、ようやく、ほんの少し風が通るような気がしていた。
……けれど。
町に足を踏み入れた瞬間、胸の奥に妙な違和感が引っかかった。
見慣れた通り道。いつもの広場。
風景は変わらないのに、空気の質だけが決定的に違っていた。ぴんと張り詰めたような、どこかざわつく沈黙。
「町の雰囲気、変わった気がする」
エリスが足を止め、広場を見渡しながら小さく呟く。
「ああ。人の声も……落ち着きがないな」
俺も立ち止まり、周囲のざわめきに耳を傾ける。
「何かあったのかもね」
マリスが警戒気味に眉を寄せながら、市場の奥に視線を向けた。
その中心へ近づくと、屋台の数はいつも通りなのに、妙に人が密集していた。
誰もが目の色を変え、何かを確かめ合うように言葉を交わしている。空気が重い。
──そして、断片的に聞こえてきた言葉に、俺たちは思わず足を止めた。
「聞いたか?」
「本当に倒したらしい」
「まさか魔王が……」
「……魔王が、倒された?」
口をついて出た言葉に、エリスとマリスもぴたりと動きを止める。
「信じがたいけど……町の外から、そういう話が入ってきてるらしい」
すれ違った商人が、半信半疑の笑みを浮かべながら答えた。
「誰が倒したんだ?」
俺が問うと、商人はわずかに間を置き、芝居がかった声で言った。
「伝説の勇者サラの名が、町に再び広まってる」
その名に、俺たちは言葉を失った。
エリスとマリスが互いに顔を見合わせる。
「サラ……リリィが言ってたわ。かつて勇者パーティーの不正を暴いた人よね」
マリスが静かに呟く。
「でも今度は、魔王を倒した?」
エリスが目を細める。その声には驚きよりも、疑念と警戒が滲んでいた。
噂話はそれだけでは終わらなかった。
「神々と謁見したらしい」
「選ばれし者だってよ」
「異世界の力を使ったって話もある」
まるで物語の中の出来事が、現実を上書きしていくような感覚。
俺たちが知っている“現実”と、町の人々が語る“現実”とが、どこかで食い違っている。
(俺たちは……アナザー・エデンを倒したばかりだ。それが、もう“序章”扱いなのか?)
胸の奥がざわつく。
手にしたはずの勝利が、誰かの“伝説”の下に塗り潰されていく。
あの戦いの痛みも、迷いも、覚悟も――なかったことにされるような。
(いや、違う……)
焦りとも、怒りともつかない感情がせり上がってくる。
心が、見えない何かに抗おうとしていた。
そのときだった。
ふいに、視界が霞んだ。
色彩が薄れ、世界から音が遠のいていく。
重力が反転するような感覚。いや、もっと根本的な、存在そのものが揺らぐような異常。
「……っ、なんだ、これ……」
足元が崩れ、膝をつく。
脳の奥に、鈍いノイズのような震えが走った。
自分を形作る輪郭が、ぼやけていく。
「ロウィン……!」
霞の向こうで、エリスの声が届いた――その瞬間。
ピッ
鋭く、どこか無機質な電子音が耳を突き刺す。
意識が引き裂かれ、奈落へと叩き落とされる。
全ての感覚が崩れ、自分という存在が裏返っていく――そんな確信だけを残して。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。