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僕と瞳  作者: 蓮根三久
2/3

眼  中



 家に帰ると、落ち着く。


 それは別に、檜によって作られた我が家特有の匂いによるものではなく、私が人一倍ホームシックであるためでもない


 眼だ。無数の眼が、私のことを見つめていた。それは比喩でも何でもなく、文字通り、眼が私をあらゆるところから見つめていたのだ。


 玄関を入ってすぐ右手前にある靴箱の上に、ホルマリン漬けにされた目が、瓶の中に入れて置いてある。それは、すでに持ち主のところを離れているのにも関わらず、まるで意思を持ったかのように、私の顔面を凝視していた。


 後ろを見ると、玄関の扉に、同じようにホルマリン漬けにされた目の入った瓶が吊り下げられていた。


 私はそれらの視線を感じながら、靴を脱ぎ、木でできた廊下を歩く。ギシ…ギシ…という音が耳に心地良いが、私はそれよりももっと心地の良いものがある空間へ向かった。


 自室には、九個の眼球がそれぞれ瓶の中に入れられ、それらが私の方をじっと見つめていた。


 私は眼球の入った瓶のある棚に背を向けて、椅子に腰かけた。見なくとも、見つめられているというのが明確に感じられ、私は身震いした。


 ズボンのポケットからスマホを取り出し、液晶を操作した。画面には、最近この辺りを騒がせている眼球強奪事件のニュースについての記事が開かれている。何を調べているのかも知らない専門家が、画面越しに、自分の理解できる範囲に収められた犯人像を列挙している。


 私は液晶を眺めながら、心の中に宿るいらだちを抑えようと、スマホの入っていたのと反対側のズボンのポケットに手を突っ込んだ。私の体温によってすっかりぬるくなったその球体を、ポケットの中で転がした。


 私には収集癖という物があった。


 子供のころから、おはじきや瓶のふた、切った自分の爪などを、机の引き出しに詰め込んでいた。さながら宝箱のように思えた。私が始めて眼球を奪ったのは、当時家で飼っていたペットの犬からだった。


 その犬はとても大きく、小学生の頃の私など、一噛みで簡単に殺せるのではないかと思えるほどに、強大な存在だった。しかし、その犬はおとなしく、人を襲う事など決してしなかった。その犬は常に私のことを純真でまっすぐな瞳で、見つめていた。人が決してもつことがない純粋さで、曇り一つない透き通った瞳だった。私の思っていること、感じていることのその全てが見透かされているような感覚で、私は興奮していたのを今でも覚えている。


 ある日の夜、私は犬の片目を抉った。


 顔に手を当て、指を眼球の隙間に入れ、抜き取った。その間、犬は大した反応を見せなかった。もう死期が間近に迫っていたためか、痛みに鈍くなっていたのだろう。私は犬から抜き取ったそれを手の中で転がした。少しぬめぬめしており、不快だったのを覚えている。私はそのぬめりを、家の外にある水道で洗い流し、服で水気を拭きとって、眼球を自室に持ち帰り、眺めた。それが、今まで見たどんなものよりも美しかったことを覚えている。今では、それがどこにあるのか分からない。


 宝石でも、時計でも、美しいものを収集することが憚られることはない。欲という物が抑えられるのは、あってはならないことだ。


 私は部屋の南にある窓から外を眺めた。


 最近、私には気になっている人がいる。いや、瞳がある。私の家の前の通りを、彼女は通学に使用する。彼女の瞳が、私はたまらなく欲しかった。なぜなら、彼女の瞳は、私がかつて持っていた犬の瞳のような、純粋で、透き通ったものであったからだ。


 ポケットから眼球を取り出した。ホルマリン特有のにおいが、鼻をツンと衝いた。私はそれを、空のガラス瓶に入れ、上からアルコールを注いだ。


 ふと外を眺めると、彼女が歩いていた。しかし、いつもとは違い、彼女は一人で帰っているようではなかった。彼女の前を歩く何者かの姿、街灯の少ないこの通りでは、それが男なのか女なのか判別することが困難だった。そんな情報はどうでもいい。大事なのは、彼女が二人で帰宅しているという事だ。二人以上だと、私が安全に彼女を襲うことができない。


 今日のところは、私は彼女をあきらめた。カーテンを閉め、私はキッチンへ向かい、夕飯の支度を始めた。


 そんな私の様子を、暗闇にいる誰かは覗いていた。



×××



 それから二日が経った。私は相変わらず、窓越しに見える彼女の瞳に思いを馳せながら、衝動を抑えるためにも、道行く人々の眼を抜き取っていた。


 私が犬の眼球を抜き取った時もそうだったが、私が目を抜き取っても、誰も、苦痛の表情をしなかった。どころか、抜き取ったところから血が噴き出すことも無かった。私が眼球を抜き取るのが上手いのかは知らないが、これは好都合だった。


 私は別に、人を殺したいわけではない。眼球が欲しいだけなのだ。片目だけを抜き取るのも、その後の生活にかかる負担を少なくしてあげたいという、私なりの優しさなのだ。


 ふと、窓を覗くと、彼女が一人で歩いているのが見えた。最近は毎日二人で帰っていたのに、今日はどうやら帰る人がいないようだった。


 しかし、私は彼女―――暗田瞳の事を知っているために、気になることがある。彼女は、クラスで浮いている存在なのだ。なので、そんな彼女と共に帰ろうとする人間が、果たして存在するのだろうか。ここ数日間、その疑問が胸につっかえていた。そして、彼女は部活動をしていない。こんな暗い時間帯まで、彼女は果たして何をしていたのだろう。


 疑問を抱えながら、私は外出の支度をした。


 扉の向こう側から足音がする。その音は、右からゆっくり左へと流れていった。その瞬間、私はゆっくりと扉を開けた。彼女に気づかれないよう、音を立てずに、ゆっくりと進んでいく。


 しかし、彼女は何を思ったのか、後ろを振り返った。隣の電柱の影に隠れる暇もなく、私の姿は彼女の瞳に捉えられてしまった。彼女の顔の上半分は、髪によって隠されているため、髪が揺れた一瞬しか、彼女の瞳を見ることができない。私は、彼女の髪が鬱陶しくて仕方がなかった。


 とりあえず、この状況を打破しなければならない。しかし、心配は不要だった。なぜなら、私は彼女に信頼されているのだから。



「暗田さん、もう20時ですよ?あまり夜遅くに出歩かない方が良いですよ?」


「…松馬まつば先生ですか?」


「えぇ、私はこの辺りに住んでいるので、今からコンビニに行こうとしていたのですよ」



 私は彼女のクラスの担任の教師だ。私は、あたかも偶然ここで出会ったかのような態度で、彼女に接した。



「ところで、暗田さん。あなた、受験生でしょう?どうしてこんな時間まで帰宅しないままなんですか?まさか、バイトをしているとかではないですよね?」


「…バイトはしていません。友人と話していたら遅くなってしまったのです」



 私は彼女に近づいた。正面まで来ると、彼女は少し後ずさりした。彼女は、一秒でも早くここから逃げ出したいようだった。



「まぁ、いいです。とりあえず、今日は早く帰ってくださいね」


「分かりました」


 彼女はそう言うと、長い髪を翻しながら振り返り、再び歩み始めた。


 私は、足音を殺し、一気に彼女に近づいた。手を彼女の顔に回そうとした瞬間、私はあることに気づいた。


 この道の先に、何者かがいる。その姿は街灯に照らされていたが、その人物の羽織っているレインコートのためか、性別は分からなかった。しかし、その人物は、右手に鈍く輝く刃物を持っていた。



「暗田さん!」



 私が叫ぶと、彼女は後ろを振り返った。そこには、彼女の前を指さしている私がおり、彼女は再び前を向いた。そこでやっと刃物を持っている人物に気づいたのか、彼女は振り返り、走ってきた。


 それに気づいたのか、レインコートを着た人物が腕を振り、走って追いかけてきた。


 私は自分の家の前で後ろを振り返り、彼女が無事かどうかを確認した。彼女は、その長髪をものともせずに、奇麗なフォームで走っていた。



「ここが私の家です!早く逃げ込んでください!」



 そう言うと、彼女は家の扉を開け、中に入って行った。続いて私も家に駆け込み、扉の鍵を閉めた。


 お互いに息切れを起こしながら、二人とも玄関で呼吸を整えていた。



「な…なんだったんだ、今の」



 暗い闇に溶け込むように、暗いレインコートを着込んだ人物。背丈はあまり高くなかったが、何か、強大な雰囲気をまとっていた。



「あれが眼球強盗だったりするのかしら…彼に伝えたら喜ぶわね。」



 暗田は起き上がりながら、言った。彼女の体重の大半を占めるであろう髪の毛は、彼女の体を後ろへと引っ張る。



「とりあえず、お礼を言います。松馬先生、危険なところを助けていただき、ありがとうございました。」


「いや、お安い御用ですよ。まだ奴がうろついているかもしれません。数分ほど、ゆっくりしていきなさい。」



 私がそう言うと、彼女は感謝の言葉を述べ、家の中を観察した。そして彼女の視線は、靴箱の上に置かれた物体に留まった。



「これ、目ですか?」


「あぁ、そうだよ」



 ついつい自然に答えてしまった。慌てて私は、これは標本で貰ったものであると説明した。



「先生、生物の教師ですもんね」


「…まぁ、そうだね」



 早いところ、私は彼女の眼球を抜き取ろうと思った。これ以上彼女に見られると、いつか私が犯人であると感づいてしまうだろう。


 私は、ポケットの中にあるハンカチを取り出し、彼女の口元に当てた。もちろん、麻酔薬がしみこんでいる。彼女は咄嗟に腕を振り、どうにか拘束を解こうと抵抗していたが、すぐに眠りについた。


 糸の切れたようになった彼女の体を抱え、玄関から正面にある階段を上った。二階には、二つの部屋がある。一つは私の個人の部屋。もう一つは、様々な機材がそろった手術室のようなところだ。


 別に、機材がなくとも眼球を抉ることくらい容易にできるが、彼女の眼は他と違ったために、丁寧に抉り取ってやりたかったのだ。おそらく、これは私の人生の中で、一番の宝物になるだろうと、直感的にそう思った。


 彼女を部屋の真ん中にある手術台に載せた瞬間、下の階から音がした。何かが割れる音だ。


 私は彼女を手術台に置いたまま、手術室から出た。もしかしたら、先ほど追いかけてきた者かもしれない。階段をゆっくりと下っている最中、何か武器になる物を持ってきたらよかったと、何度も考えていた。


 一階に降りると、玄関がまず目に入ったが、先ほどまで靴箱の上にあった眼球の入った瓶が無くなっていた。扉にぶら下がっているものはとられていなかったが、私はそれに安堵するより、盗まれたことに対して憤っていた。辺りを見回すと、玄関から入って左手にある和室の窓が割られていることに気づいた。おそらくここから入ったのだろう。


 そんなことはどうでもいい。とにかく、私は眼球を盗んだ犯人を殺すことを考えた。


 怒りで頭が満ちていると、台所の方から、ガラスが割れるような音がした。私は、急いで台所へと向かった。そこには、割れた瓶と、その中に入っていたはずの眼球、アルコールが散乱していた。


 この瞬間、私はこのような非道なことをした犯人に、明確な殺意が湧いた。盗むのならまだ納得はできる。が、壊すのは許せない。私は、眼球を奪っても殺すことはしなかったのだ。それなのに、殺していないのに壊すなど、到底人のやる行いではないように思えた。


 私は、台所に寄ったついでに、引き出しから包丁を取り出し、まだいるであろう犯人を捜し始めた。


 一階はすべて見回ったが、どこにもいなかった。


 その瞬間、私の頭の中に最悪の光景がよぎった。


 私は急いで二階に上がり、自室の扉を開けた。少し暗いために見にくいが、棚の上にはしっかり十個の眼球がそれぞれ瓶の中に入れられ置いてあった。


 私はそれに安堵し、手術室へと戻った瞬間、見つけた。


 私が勤務する学校の制服に身を包んだ少年が、こちらをまっすぐ見つめていた。彼は、確か私のクラスの生徒だったはずだ。



「どうも、松馬先生。」


「…■■君、君は取り返しのつかないことをしでかしたんだ。それが何かわかるかな?」


「不法侵入?それとも器物破損?どっちにしろ、僕が必要なことだったと説明すれば済むことです。」



 彼は、いつも教室で見るのとは違い、異様な雰囲気を身にまとっていた。彼の周りには、常にある一定の人数の人間が集まり、楽しく会話をしている。楽しく、馬鹿らしく。



 今、私を糾弾せんとする彼は、いつもより数段賢そうに思えた。まるで別人のように。



「…彼女を助けに来たのか?」



 おそらく、昨日まで彼女と一緒に帰っていたのは彼なのだろう。それほどまでに親密になっていたとは、盲点だった。


 しかし、彼は、私が予想していた答えとは真逆のことを言いだした。



「助けに?何を言ってるんですか?僕は彼女を餌に、眼球強盗をおびき寄せようとしたんです。何日も二人で帰ってれば、一人になったときに思わず食いつきたくなるだろうと思って」



 彼は、まっすぐな瞳で私の顔を覗いた。彼の瞳は、暗田とは真逆の、黒く濁って淀んだもので、私は全く興味をそそられなかった。


 そして、彼の言葉には嫌悪感を覚えた。



「意味が分かりません。私は、暗田さんが危険な状況に陥ったために、助け舟としてたまたま私の家に招いただけで———」


「たまたま、ですか。自宅の明かりを消さず、鍵もかけずにいたのにですか?彼女をもともと連れ込むつもりだったんでしょう?確かに、僕に追いかけられるのは計算外だったと思いますけど」



 彼は、表情一つ変えずに淡々と言った。


 私は、もうこれ以上ごまかしても無駄だと悟った。



「…えぇ、そうですよ。私が巷で噂の眼球強盗です。さあ、通報でも何でもしたらいいじゃないですか」



 彼はそう言うと、まるで私が変なことを言ったかのような態度を見せた。



「え、いや、そのつもりはないですよ。ただ、僕はあなたと友達になりたくて、ここに来たというだけなんです」



 彼の言う言葉が全く理解できなかった。私と友達に?彼は気でも狂ったのではないか?彼は依然として、私をまっすぐ見つめている。



「僕はあまり人を信じることができないんです。みんな周囲に嘘をついて、本当の自分を隠しているな、と思うんです。普通の人ってみんなそうなんです。だから、僕は普通の枠から外れた人と友人になりたいと、そう思っているんです。たった今、僕は先生の本性を見ました。だから、僕に対しては取り繕う事をしなくてもいいんですよ」



 普段の彼とは違う、異様な雰囲気が肌を通して感じられる。不思議にも、私の心は、彼を信用に足る人物だと信じて疑わなかった。このまま彼を返しても、絶対に通報はされないだろうと、直感的に思った。



「…なぁ、■■君。私は暗田さんの眼を抉り取ってもいいだろうか?」



 自分でも、なぜこの質問が出たのかが分からなかった。普段なら、迷うことなく抉り取っているのだが、彼に相談すれば、間違いのない答えが返ってくるという直感があった。まるで、長年の付き合いの友人であるかのように。


 彼は、少しだけ顎に手を当てて、悩んだ素振りを見せた。



「そうですね。僕が始めてこの事件について知った時、僕は、犯人の方はもったいないことをしているな、と思ったんです」



 彼は、手術台に寝そべる暗田の方を見た。



「人間の目って、二つそろって完成なんです。玄関でホルマリン漬けにされていた目を見ましたけど、やはり、何か足りないような感じがして、自分の眼球をくりぬいてその中に入れたくなりました」


「でも…」


「そんなことをしたら、相手は一生を暗闇の中で過ごすことになってしまう。ですよね?」



 私は無言で頷いた。



「だったら、元から抜き取らなければよかった話なんです。そうすれば、先生は犯罪を犯すことがなかったし、目も、不完全になってしまう事もなかったんです」



 私は、暗田の前髪をどけて、瞼を開けた。美しく、透き通った目がそこにはあった。それを前にして、所有欲は抑えられるだろうか。



「目は持ち主のところにあるのが一番なんです。だから、目だけをとるのはもったいないなと思ったんです。僕なら、誘拐するか殺害するかのどちらかで、自分のものにします」



 私は、自分の手の中にある包丁を見た。これから私は彼女を殺すのだろうか。そんな疑問が私の中に浮かんだ。殺して、防腐処理をして、永久に完成された死体として、私の部屋に置いておくのも悪くない。


 彼は、いつの間にか私の後ろに回り、包丁を取り上げ、地面に置いていた。



「でもさ、()()



 彼は、まるで友人に話しかけるかのように、下の名前で私に語り掛けてきた。



「僕は暗田とも友達なんだ。友達同士でそんなことするのは良くないと思うんだ」



 彼は私の前に立ち、顔を覗き込んできた。先ほどとは違い、彼の目は透き通って、奇麗だった。おそらく、これが彼の本当の姿なのだろう。



「…分かった」



 私はただ、そう呟いた。


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