3話その後
会社のマドンナ、かなり古い言い方だが、高嶺の花、別次元の存在、陰キャの俺にはレべち、といった方が分かりやすいだろうか、そんな女の子の、新人の教育係を任されて舞い上がったのも束の間、メッキは簡単にはがれ、私ではなく、同期のイケメン君にべったりで仕事の割り振りをしても、内容は全て彼の所に聞きに行くといった、大変わかりやすい行動に出て。
毎日がとても苦しく、煩わしかった。
そこで、あの水槽屋から熱帯魚を買い少しでも潤いを、生活の潤いを、と。
この前は、OJTで指導していていい所までいったのに、突然さらって奪われた。
そして今度は新人の女の子、おとなしくていい感じだったのに、同期のあいつに奪われそうになっている。
俺は焦った、奪われてなるものかと。
そこで、難癖を付け、いつも遅くまで居残りをさせ、そして弱音を吐いたところを俺がフォローする。
要するに、マッチ・ポンプだなりふり構っていられない。
今日も、遅くまで居残りをさせた、教育係の役得だ。
あーだこーだ、言いながら、少しづつ距離を縮めたつもりだった。
夜半も過ぎようとした時だった。
いつも通り彼女に弱音を吐かせる為の圧迫を賭けていた時だった。
彼女はいきなり、いい加減にしろよジジイ、ひとが大人しくしてたら、いい気になりやがって。お前の言ってることは、全部矛盾ばっかりなんだよ。
急にドスの利いた声になった彼女にたじろいでいると。
どうせ、女に無理難題を押し付けて、弱ったところを食おうって魂胆なんだろう。見え見えなんだよ!そんな風だから、自分の女、寝取られんだよバーカ。
みんな、お前の事なんて言ってるか知ってっか?
寝取られ野郎のちんけ野郎ってな。
そう言いながら、鞄の中からタバコを取りだし、火をつけ、煙を俺に向かって吐き出した。
ここ禁煙だけど、お前が吸っていたことにしろよな?どうせ残業代出ねえんだから、おい、次なにすりゃいいんだ。
おい、はっきりしろよ上司様よ!先輩様よ!ちんけ野郎様よ!
口汚く罵られ、何かが自分のなかで弾けた。
そこからは場面、場面がフラッシュバックの様に断片的にしか覚えていない、
彼女の引きつった顔、破れるブラウス、脱げるパンプス、裂けるストッキング。
気が付けば足元にピクリとも動かなくなった、血だらけの女性の、いや元女性だった肉の塊がそこにはあった。
ブルーシートの中で手足が、車の振動でユラユラ揺れている。
ここは何処だろうか、どこかの山の中だろう、夜明けまではそんなに時間はない。
スコップで穴を穿出した。
ブルーシートごと、元女性だった肉の塊を穴の中に放り込み元通り埋めた。土が彼女の顔にかかった時、その目が恨めしそうにしていた。
部屋に帰って、部屋の隅で布団に包まりぶるぶる震えていた。
相変わらず、水槽の熱帯魚はユラユラ泳いでいた。
廊下に他の住人が通る度、びくついていた。
朝になり。
そして、狂ったように会社から呼び出しの、着信が何度も何度も、携帯端末にもメモリがいっぱいになるのではという位メッセージ。
在宅勤務用の、アプリからも呼び出しの通知が。
それは、退社時間際までなり続けた。
再び部屋は暗くなり、電気も付けず相変わらず布団に包まりぶるぶる震えていた。
ああ、明日は会社の連中は僕の家に来るだろう、彼女も出社していないんだ、もう終わりだ。
警察に捕まり、顔を服で包まれ、警察車両に押し込まれる自分のニュースが頭の中によぎった。
その時、玄関の方で真っ暗な部屋なのに人の気配がした。
お困りですね、よろしければお手伝いいたしましょうか?
なあに、簡単です、逆に衣食住を保障され、他の煩わしさからも解放されるんですよ。
こいつ、何言ってやがる。
簡単だと言いました、その子に移るんですよと、暗闇の中腕らしきものが水槽の熱帯魚を指した。
まあ信じなくてもいいですが。
明日になれば、会社の人間から、警察から、報道機関から、野次馬から、それは大変な事でしょうね。
なあに、お代はいりません、逆に引き取らさせてもらうので、購入金額そのものをお返しいたします。
どうします?
特に何もする必要はないですよ、寝て起きたらそのようになっておりますから。
では。
と言ったきり、その人の気配は掻き消えた。
そうこうしてるうちに、気が張っていたのが一気に緩んだせいだろう、直ぐ睡魔に襲われた。
ガタガタ、音が騒がしく鳴っていて、何事と目が覚めた。
いや正確に言うと、瞼の感覚が無い、意識が戻ったと言っていい、自分自身が包まっていた毛布を引き寄せようにも、手の感覚が無い、というか足の感覚が無く、宙に浮いている感覚に近い。
ハッとして周りを見渡した。
眼の前には水槽のガラスがそびえたっていた。
そのガラスに反射して映った自分を見て気を失いかけた。いつも見ている熱帯魚が映っていた。
そして、そのガラスの向こうの自分がいつも通り使っていた自分の部屋には、会社の同僚と、警察の制服を着た人間と、昨晩俺の部屋に居たであろう顔は見ていないがはっきりわかる俺に声を掛けた男がいた。
ゴソゴソ、俺の部屋の家探しをしていた。
その中で、あまりにも衝撃的なものが目に映った。
昨日、山の中に埋めたはずの彼女が居たからだ、こっちに気付いたのだろうか、スッと無表情で水槽に近付いてきて、覗き込み、穴が開いたような瞳でじっと見ていた。
彼女の横から昨日の見知らぬ男が割って入り、水槽を抱えて持ち上げた。
抱えられた、瞬間彼女は何とも言い表せない表情で、口が裂けているのだろうかと思う位二ッと笑い、水槽を見送った。
見知らぬ男は、水槽の方を見ずまっすぐ前を見ながら、交換ですよ、よかったじゃないですか。と一言言ったきり、何も言わず、車に積み込まれ、元人間だった俺の部屋を後にした。
揺られながら、意識がだんだん一つづつ無くなっていき、それに対する恐怖も何もなく、最後の意識の断片が掻き消えたと同時に、俺と言う人格は無くなり、ただ水の中にユラユラ漂う一匹の熱帯魚となった。
ここまで目を通していただき有難うございます、あと2話です、最後までお付き合いくだされば幸いです。