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女子高生 七海

 実のところ、ここまで佐々木に一片の警戒心もなかったといえば、それは嘘になってしまうだろう。

 目の前にいる少女から話しかけられ、今に至るまでの間、佐々木の脳裏には、いくつかの単語がよぎっていた。


 ――非行。


 ――犯罪。


 ――パパ活。


 ――援助交際。


 ――トー横。


 ……トー横だけは総務線換算で12駅ほど離れた場所の話だが、なんとなく、あの場に集っている若者――当然、想像でしか知らない――と、同種の雰囲気を彼女からは感じられたのだ。

 すなわち、人寂しさと迷走感。

 そもそも、正常な精神状態の女子高生は、たまたまファーストフードで隣り合ったおっさんに話しかけてこないだろう。


 とにかく、今は令和であり、時世が時世である。

 まだ18時を回って間もないとはいえ、夜間に十代の少女を伴っていれば、警察官に職務質問されてもおかしくはない。

 少女に話しかけてきた用向きを尋ねたのは、そういったあれこれから身を守るための護身術めいた発想であった。


「えー、変なの?

 御用がないと、話しかけたらダメですか?」


 だが、少女の方はけろりとしたもの。

 そんな風に言いながら、上目遣いでこちらを見てくる。

 人によってはときめくのだろう仕草だが、佐々木は警戒心を強めた。


「駄目ということはない。

 が、不審には思う。

 君と僕は、親族でもなければ知り合いでもないからね」


「あたし、七海。

 ――おじさんは?」


「――佐々木。

 ……あ」


「これで、知り合いにはなれたね。

 あ、友達はナナミンって呼ぶから、それでもいいよ」


 誰が呼ぶものか。

 やや憮然となりながら、心の中だけでそう答える。

 ついうっかり、個人情報を漏らしてしまった。

 そうしてしまったのも、七海の問いかけ方というか、間の取り方が絶妙であったからだろう。

 ……なんということだ。自分の半分も生きていない相手に、対人スキルで完敗を喫してしまった。


「それで、最初の質問に戻りますけど……。

 おじさんは何を読んでいるんですか?」


「………………」


 少しの質問を挟み……。

 観念した佐々木は、文庫本のブックカバーを取り外す。

 購入時に取り付けてくれた紙製のそれを剥がすと、中から現れるのはいかにも児童向けといった趣きのイラストと作品タイトルだ。


「『うわさのズッコケ株式会社』。

 ラノベですか?」


「いや、違う。

 児童向けの絵本……みたいな小説だ。

 忍たま乱太郎の原作みたいな」


「ああ、ああいう」


 例えが通じてよかった。

 ありがとう、忍たま乱太郎!

 そういえば、少し前に劇場版もやっていたようだし、たまには趣向を変えてアニメ映画の鑑賞というのも悪くないかもしれない。


「面白いんですか?」


「僕が人生で読んだ中で、最も面白い本の一つだ。

 この物語はエンタメ性がバッチリで、しかも、株式の仕組みを分かりやすく解説すると共に、ベンチャーのやりがいや面白さを描いている。

 子供の頃から、何度も読み返している名作だ」


「ふうん……。

 児童文学が好きなんだ?

 いっつも読んでる本も、そうなんですか?」


「いや、この本が子供時代からお気に入りというだけで、僕はどんなジャンルの本も読む。

 さっき君が言っていたライトノベルも読むし、池波正太郎だって大好きだ。

 ビジネスの新書も愛読してる」


 と、ここまで話して気付く。

 またしても、個人情報……というより、個人的な嗜好をぺらぺらと話してしまった。

 それも、我ながらやや前のめりに、だ。

 佐々木の顧客にも、好きなこととなるとやや話を白熱させてしまう人物はいる。

 どうやら、自分も例外ではなかったということだろう。


「読書が好きなんですね。

 でも、それだとちょっと不思議」


「不思議……?」


 下唇へ指を当てた七海に、そう問いかけた。


「だって、ただ読書が好きなだけなら、もっと静かな場所……。

 それこそ、家に帰ってから読んだりしそうだから。

 いつもここにいるから、何かの時間潰しかと思ってたけど、会計士さんなら夜勤ってこともないだろうし、商談にしては毎日決まった時間にここにいるし……」


「うん……」


 押し黙ってしまったのは、毎日18時にこのマクドナルドを訪れ読書するという習慣が、果たしてどのような心の動きで続いているのか、佐々木自身にも分からないからである。

 七海が言った通り、ただ読書が好きなだけなら、家に帰って落ち着いて読めばいい。

 こんな窮屈なネクタイを解いて、楽な格好で思う様に本を読みふけられるはずだ。


 しかも……不経済。

 たかがアイスコーヒー一杯とはいえ、使った金が帰ってくることはない。

 一杯120円だから、五日間で600円。

 600円もあれば、中古本の一冊も買えようというものだった。


 では、どうして仕事帰りにマクドナルドなどへ通っているのか……。

 それは……。


「……きっと、真似をしているんだ」


「マネって、誰の?」


「デンゼル・ワシントン」


 以前見た映画の内容を反芻しながら、語り出す。


「『イコライザー』という映画の中で、彼は妻を失い孤独で、しかも不眠症に蝕まれている。

 そんな彼の楽しみは、読書だ。

 毎晩、お気に入りのダイナーへ通って、妻の遺言に従い『死ぬまでに読むべき百冊の本』を順に読みふけっている。

 そんな彼の姿があまりにも格好良くて、僕はこうしてダイナーならぬマクドナルドへ通い、真似をしているというわけさ」


「ふうん……推し活なんだ?」


「ああ、言われるとそうかもしれない」


 ――推し活。


 その言葉くらい、佐々木でも知っている。

 かの名優を模倣しているこの行動は、なるほど、意識していなかっただけで推し活といえるのかもしれなかった。


「十年ちょっと前の古い映画なんだね」


「古……っ!?」


 スマートフォンで調べながらの言葉に待ったをかけようとして、しかし、そんな自分に待ったをかける。

 十年ひと昔。『イコライザー』の一作目は、十分に古い映画だ。

 ……というか、もう十年以上経っていたのか。感覚的には、五年前くらいの映画だと思っていた。


「ウォッチリストに登録っと。今度観てみよう。

 今の話だと、すごく切なくて儚そうな映画だし」


「儚いかな……」


 命の儚さは存分に感じられそうだが……。

 どちらかというと、デンゼル・ワシントンが演じるマッコールさんの理不尽な強さを堪能できそうである。


「でも、それだけじゃないでしょ?」


「それだけじゃない?」


 いやに断定的な口調で、七海が口元を歪めた。

 それから、彼女はこう言ったのだ。


「人寂しいんだ。

 それで、わざわざショッピングモールのマクドナルドで読書してる」



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