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18時マクドナルドでのルーティン

 JR錦糸町駅北口のショッピングモール内にあるマクドナルドは、18時になろうかというこの時間も盛況であり、世界ナンバーワン飲食チェーンの底力というものを思い知らされる。

 それにしても、佐々木にとって不思議なのは、この時間であってもバーガーセットを注文している客層で、まさかそのように貧相かつ脂質に満ちた品が夕食なのかと、他人事ながら心配になってしまう。

 あるいは軽食なのかもしれないが、そうなのだとしたら、ややカロリーが過剰に感じられた。


 いや、過剰なカロリーと感じてしまうのは、佐々木が年を食ったからか……。

 十代……いや、二十代前半の自分でも、てりやきマックセットくらいならば、おやつとしてぺろりといけたに違いない。


 とはいえ、自分はもう四十路。食えば食っただけ脂肪に変わってしまう年齢であるし、そもそも、最近は過剰に油っこいものを食べると、胃がもたれてしまう。

 そういうわけで、今日もアイスコーヒーを単品で頼んだ佐々木は、店員のスマイルもよそに適当な席へ着いたのである。


 同時に鞄から取り出すのは、紙製のカバーがかけられた文庫本。

 それを開き、一文字、一文字にゆっくりと目を走らせた。

 周囲の人々が仕事の話や雑談で盛り上がる中、一人、静かに項をめくる時間……。

 きっと、自分は時間を有意義に扱っている。

 今やっていることは、間違いなく楽しいことだ。

 主観的な情報と客観的な事実……双方を踏まえた上で、そう断言する。


 なのに、だ。

 かつて、あれだけ心躍らせた作品を読み返しているというのに、どうして心は灰が積もっているかのようで、新しい火が入らないのだろう?

 店内は空調により、快適な室温を保たれているが、どうにも肌寒さのようなものが感じられてならなかった。


 まるで、ここに居ながらして、存在を消滅させているかのような……。

 生きながらにして幽霊と化しているような感覚に、佐々木は――。


「――何、読んでるんですか?」


 隣……正確には右側のやや下から、若くやわらかい声で聞かれたのは、その時のことである。


「………………」


 佐々木はあまりお喋りが得意というわけではないし、社交的な性格というわけではないが、誰かと話すことが不得意というわけではない。

 会計士として、必要最低限度のコミュニケーション能力は身に付けていると自負していた。

 だが、思考は完全にフリーズして、どんな言葉を吐き出せばいいものか、判断がつかなかった。

 なぜなら……。


「あー……。

 もし、話しかけられるのが不愉快だったなら、すみません」


 そう言ってきた相手は、会計士として取るべき最低限度のコミュニケーションを想定していない相手――女子高生だったのだから。


 そう、制服を着ているのだから、女子高生だ。

 つまり、年齢は15歳から18歳であると推測される。

 どこの高校かなど、分かるものか。

 ただ一つ間違いないのは、高校時代の佐々木が見てきたどんな同年代の女子よりも、抜群の美少女であるということ。


 今時、髪の色に関する校則など存在はしないか……。

 明るく染められた長い茶髪は、社交性の高さを表すかのようにおでこが開かれていた。

 いや、おでこ……というより、顔の全体像を見せつけているのは、それだけルックスに自信があるということだろう。

 それほどまでにかわいらしく、また、将来美人となることを約束された顔立ちである。


 そんな猛烈にかわいい女子高生が、ここ十年以上は向けられたことがない性質の笑みを浮かべて、自分を見つめていた。

 これでは、佐々木ならずとも言葉を失ってしまうことだろう。


「いや、不愉快ではない。

 ただ、少し……いや。

 非常に驚いただけだ」


 一つ一つ、言葉を選びながらそう告げる。

 敬語で話すべきか、砕けた言葉遣いにすべきかで一瞬悩んだ末、後者を選んだのは我ながら慧眼であった。

 きっと、浮かずに済んでる。


「あ、はは……!

 変な喋り方……!

 もしかして、学校の先生だったりします?

 だとしたら、あたしやば!」


 笑われてしまった。

 しょせん、佐々木の対若者スキルなどこの程度ということだ。

 いや、別段、会話を弾ませる必要などないのだが……。


「先生、と呼ばれることはたまにある。

 僕は数字を愛しているし、それを扱うのが大の得意だからだ」


 なんとなく、そんな風に冗談交じりで返してやる。

 脳裏をよぎったのは、ハリウッドスターたちの姿……。

 そうだ。休日に一本、必ず観ることにしている映画の中なら、主人公はこのようにして会話とシーンを繋げるはずだ。


「え、じゃあ、大学で数学を教えている先生とか?

 でも、そういう風には見えないかな」


「どうしてそう思う?」


 佐々木がそう尋ねたのは、純粋に疑問として感じたからであった。

 学者として数学の道を修めるというのは、学生時代、真剣に考慮した将来設計の一つであったからだ。


「だって、大学の先生なら、あたしみたいなのと話すのも慣れてそうだし」


「……なるほど」


 ぐうの音も出ない、という言葉の意味を本質的に理解したのは、おそらく、今この瞬間であるに違いない。

 まったくもってその通りであると、心の底から思わされた佐々木である。

 そして、学徒の道へ進まなかったのは正解であると、心から思った。

 数学の研究はともかくとして、それに付随する若人への指導はあまりにも……自分に向いていない。


 ただ、諦めて正解だったと悟りはしても、口惜しさのようなものを感じてしまうのは、佐々木のごとき男であってもひと欠片のプライドは持っているからだ。


「じゃあ、正解はなんだと思う?」


 そのプライドが、こんな質問を投げかけさせた。


「んー。

 弁護士の先生とか?」


 そういえば、彼女の方はドリンクだけでなく、Sサイズのポテトも頼んでいたようで……。

 トレイに載せられたポテトを一つ摘みながら、そんな推測が飛ばされてくる。

 それに、佐々木は眼鏡をいじりながらこう返したのだ。


「外れ。

 正解は、会計士だ。

 それで、お嬢さん。

 僕に、なにか御用かな?」



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