会計士 佐々木淳
「――お疲れ様です」
時刻は、17時ぴったり。
郷田会計事務所の中に、冷たく無機質な声が響き渡った。
声を発したのは、ビシリとしたスーツ姿の男性……。
会計士――佐々木淳である。
声質や喋り方もそうだが、外見もまた、どこかアンドロイドじみているというか……機械のような印象を受ける人物だ。
年齢は、四十代前半。事務所の中では、所長である郷田に次ぐ古参であった。
ビシリと着こなしたスーツは高級品でこそないものの、しっかりとした仕立ての逸品であり、まさに戦闘服という表現がふさわしい。
細いフレームの眼鏡は、ただでさえ強い目力を抑えるどころか、鋭く研ぎ澄ませているかのようで、「普通に話してるだけなのに怒られた気分になる」ともっぱら評判。
染めているのか若作りなのか、白髪一つない黒髪をオールバックに整えた様は、まさにイケオジのお手本である。
「お疲れ様です」
「お疲れ様です」
定時ちょうどで帰ろうとする佐々木を、引き留めようとする者はこの事務所にいなかった。
理由は、二つある。
一つは単純に、佐々木が恐ろしく仕事のできる男だから。
先日も、ある企業の重役が過去密かに……しかも巧妙に行なっていた横領を、十年分の紙媒体資料をひっくり返した調査により、見事特定したほどなのだ。
そんな彼が、今日分の仕事を十分に果たしたと判断したのだから、これを止めることなど所長にもできようはずがなかった。
理由の二つ目は、彼がプライバシーを大切にしているから。
「佐々木さん、今日も定時かあ」
「滅多なことでは残業しないよね、あの人」
「そのくせ、飲みに誘ってもうんと言ったことは一度もない!」
「そこは、今時というか考え方が若いんでしょう?
今の世の中は、ホワイト&自己実現なんだから」
「確かに……僕も仕事が終わったなら、家で推しの配信見てたいですし」
事務所で一番の若手――今年入った新卒だ――が放った言葉に、ドッと笑いが漏れる。
時代が平成ならばいざ知らず、今は時世というものが異なった。
人によっては佐々木を指して「早く帰ってズルい」とか「付き合いが悪い」と評するだろうが、この事務所で働く人間にとっては、さっさと帰れる有能さがうらやましかったし、24時間を有効活用するライフスタイルも見習いたかったのである。
「でも、どんなでしょうね?
佐々木さんのアフターファイブって」
「どうかな……。
なんか貴族みたいな雰囲気だし、家でレコードとか聴いてそうじゃないか。
こう、スコッチとかくゆらせて」
「それか、同棲してる彼女でもいたりして!」
「モテそうだもんなー。
それなら、早く帰りたいのも当然か」
そんな会話を交わしながら、皆で手を動かす。
佐々木を見習って、少しでも早く帰ろうと誰もが思っているのだ。
その佐々木が帰って何をしているかは、誰も知らないけれど……。
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