9 互いの思惑
「あの湖畔・・・また、いけないかな?」
とある気だるい日の午後、ようやく日が陰ってきた夕方、まだ暑さが残るマダムの屋敷の一室で、一糸まとわぬ私たちは、汗ばむ身体を乱れたシーツの上に投げ出していた。
あれから、何度、日を置かずしてレオを独り占めしてきただろうか。
マダムに「レオを買い取りたい」と、うち開けた。渋り顔のマダムだったが、彼女の言い値でレオを引き取る事になった。
「こんな日が来ると思っていたわ。でも、大丈夫?」
マダムは私の家庭を心配してくれた。 とうに夫婦関係が破綻しているのに、なにが心配なのだろうか。
身請けをした事は、レオには内緒だ。
パトロンが一人、また一人と手を引いていき、私しか残らなくなるのだ。
そして、私に依存するしかなくなる。
そうやって、私は彼を罠にはめる。私の物にする。
私は、この天使のように微笑む悪魔を、飼いならす。そう決めた。
なにも知らない天使な悪魔は、夢見がちな瞳を私に向ける。
「この間は夏の湖だったでしょ? 今度は秋の湖畔を描きたいんだ」
初秋の風景を想像し、思いを口にするレオは、私の背中に手を入れ、クルリと自分に引き寄せる。
そして、私の頬に落ちた髪を、すくい上げる。
この可愛い悪魔は、いたずらな笑顔で私を惑わす。誘惑する。
「もちろんよ。それと、あの物置小屋の雰囲気を壊さないようにしてコテージ風に改築したわ」
「本当? あの雰囲気、入ってたんだよね」
「今度は、絵が仕上がるまでいなさいよ」
前回は、数日しか滞在することが許されず、コンクールの絵はマダムの館で仕上げたのだ。
今回は、仕上がるまで滞在することができる。 なんていったって、私の物なのだから。
「マダムが許してくれるかな?」
「大丈夫よ。話はつけておくわ」
身請けが決まっているのだから、話をつける必要はないのだが、勿体をつけた。 まだ、話たくない。
私は、かわいい悪魔の白く厚い胸に頬を寄せる。
「ありがと」
何も知らない悪戯な悪魔は、私に口づける。
何度も微笑みを交わしながら、啄むような口づけを交わす。
そして、深くなる口づけと快感に導かれた私たちは、再びシーツの海に溺れる。
愛の無い愛撫でも構わない。 今、この一瞬、確かにレオは、私の物だ。
そして、それが続いていく。
レオが、拒むまでは、レオが、私を捨てるまでは………。
この、不安定な愛に、快楽に、私は溺れていく。
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ジュリア、またの名はオリビアの主人・ヘンドリックは、別宅で執事からの報告を受けていた。
オリビアの資産状況についてだった。
最近、美術学校の支援を始め、一時資産が大きく減ったが、ホテル事業が好調で大きく資産を減らす事はないだろう。との事だった。
「唯一の心配事と言えば、絵画の購入費が増えている………事ですかね」
執事は、眉をひそめた。
レオ………と言っただろうか。
オリビアが支援している新興画家だ。
快勝を祝う絵画の搬入時に彼を見かけたが、なかなかの好青年だった。
以前、どこかであったような気がして調べてみたが、彼女の通うサロンの後援を受けていただけだった。
それ以外の情報が大してない。 隣国の貴族らしいが、とうの昔に除籍になったようで、調べようがなかった。
おおかた、画家になると言い出して、家を追い出されたのであろう。
彼女の投資がうまくいくように、彼の絵画をそれとなく紹介したりもした。
しかしながら、彼は依頼を受けた気配がなかった。
今度のコンクールで入選でもすれば、評価が大きく変わるだろう。
彼女が買い占めている彼の絵画も、資産価値が上がるだろう。
「それと、ホテル近くの湖畔の物置をコテージに改装してます」
「コテージ? わざわざ? ホテルがあるのに?」
ヘンドリックは、考え込む。それほどまでに、気に入っているのだろうか。 あの場所を。
彼の為なのか?
軍の水練所もある。訪れる理由はいくらでも作れそうだった。
「一度、訪れてみようか・・・」
「奥様とですか?」
にこやかに尋ねる執事を一笑する。
「まさか」
オリビアが気に入るような場所ならば、彼女も気に入るだろう。
オリビアは美的センスが優れている。 彼女が良しとしたものは、たいてい王都での流行になる。
それに、彼の事も気になる。
ヘンドリックは、手元の書類に目を落とした。