8 欲望
「のぞき見してたでしょう。 やらしい・・・」
執拗な口づけを浴びせながら、レオは私の耳元で囁いた。
吐息交じりの、言葉にならない返事をしながら、必死にレオにしがみつく。
清い契約はどこへやら。 私たちは、西日の差し込む部屋で絡み合う。
真夏の午後の陽射しのせいか、互いの体温のせいか、身体から汗が吹きだしていた。
レオの身体を滴る汗が、私の身体に落ちてくる。 交じり合う。
しっとりと汗ばむ身体が、吸い付くようで心地良い。
のぼせるような感覚の快楽に後押しされ、必死にレオにしがみつく。
「安心して。 彼女達はパトロンだから」
思考停止中の脳ミソが、一瞬起動した。
(私も、パトロンだわ)
何を安心しろと言うのだろうか。
『お前も同じパトロンだろ?』
とでも言いたいのだろうか。 分をわきまえろ、と。
ーーー時を少し遡る
その日、急にマダムに呼び出され、馬車を飛ばしていた。嫌な予感を抱えながら、陽炎の立つ木立の石畳を急ぐ。
彼女の館の客室に通されると、そこには既に、マダムが待ち構えていた。
いつもより険しい表情のマダム。それに、レオが彼女の座るソファーの後方に控えていた。
いつもマダムと会うときは、他に誰もいない。 背筋が伸びる。
「あなたとは、良い関係を築けると思っていたのに、残念だわ」
マダムは、手にした扇を開けたり閉じたり忙しない。
何も答えない私に、ため息をつきパタリと扇を閉じた。
そして、その扇でレオを呼ぶ。 まるで、犬猫のように。
それが合図のだったようで、レオはマダムのすぐ後ろに立ち、身を屈めるとマダムの首筋に唇を落とした。
何をしているのだろうか。 私の目の前で。
驚きで喉が詰まる。
「ジュリア。 あなた、勘違いしているわ」
その言葉を塞ぐかのように、レオがマダムの顎に手をかけ、彼女と唇を重ねる。
レオの手が、マダムの大きく開いた襟元に入り、その中へと消えていく。
私は何を見せられているのか?
あらわになった彼女の胸は、レオの手で、髪で隠れている。 遠くに水音が聞こえた。
マダムは私を見据え、その高揚した頬で、赤味をました唇で私に言う。
「私たちも、彼のパトロンなのよ」
「わかったわ。わかったから、止めて!」
咄嗟に頭を抱え、悲鳴に近い声をあげてしまった。
(わかっている。わかっているわ。そんな事)
顔を覆った手を外した時には、マダムの襟元の乱れは整えられ、彼女の後方でレオが澄まし顔で立っていた。
私に見られていた事など、何ともないというように。
マダムはテーブルの上に一枚の紙を差し出した。
そこには、マダムとの契約書があった。 そう、『マダムの許可なくレオに合わない』という項目のある、あの契約書だ。
「ごめんなさい。 好奇心だったの。 私以外のパトロンに興味があったの」
半分本当で、半分嘘だ。
「その好奇心は危険だわ。 もう、レオのパトロンは止めた方がいいんじゃない? あなたの援助が無くても、彼はやっていけるわ」
「いえ、大丈夫。 ありがとう。 もう、大丈夫よ」
マダムは気づいていたのだろうか。 私の気持ちの変化を。
帰路の馬車の中で思いふける。 レオはどう思っていたのだろうか。
私が覗いていた不快感で、マダムに報告したのだろうか。
それとも、マダムとの契約で仕方なく?
「どっちでも、いいじゃない。 もう、関係ないわ」
そう、この産まれたての恋心を封印する、良い機会ではないか。
このまま、しばらく会わなければいい。
それで、元通り。
ーーーそれなのに、そんな決意も束の間、「レオが会いたがっている」と、マダムから聞いて、居ても立っても居られずに、来てしまった。
そして、レオの笑顔を見て、私の決意は弾け飛んだ。
私の物にしたい。永遠に。
もう、我慢しない。すべてを手に入れる。家庭もレオも。
主人だって、第二夫人に昇格した愛人と暮らしているではないか。
あの湖畔でレオを過ごそう。二人で過ごそう。そうしよう。
私だけが、彼のパトロンになる。
そんな決意を胸に秘め、レオの愛撫を全身で受け止めていると、小さな悲鳴に似た声を上げたレオが、私の上に倒れこむ。
「ーーーごめん」
恥ずかしそうに謝るレオ。 心地よい脱力感に包まれた、その表情は、何とも言えない可愛らしさがあった。
荒い呼吸をしながら私に唇を落とす彼の、レオの前髪を掻き揚げて尋ねた。
「ねぇ、私のだけの物にならない?」
戸惑いが、彼の瞳に宿った。 彼の動きが止まる。
「嘘よ。冗談。でも、考えておいて」
そう言って私は、彼の頭を掻き抱く。
私に溺れないかしら? そんな、世迷言を考えた。
「とても嬉しいけど・・・。マダムからの借金を返さないと・・・無理かな」
私の手の甲に唇を寄せ、上目遣いで私の心を惑わす。
「いくらなの?」
耳元で囁かれたその金額に、めまいがする。でも………、払えない額ではない。
「少し、時間をくれるかしら?」
彼は返事をしない。
その代わりに、再び心地よい刺激を与えてくる。 なんと、姑息なのだろう。
私は、まんまと彼の術中にはまり、快楽の波に抗えない。
そして、レオという奈落の底へ落ちていく。もう、戻れない。