7 避暑地・2
「ママ!」
日が暮れた頃、ホテルの部屋に戻ると、かわいい子供たちが出迎えてくれた。
私の足元にまとわりつき、今日の出来事を一斉に話し出す。
何を言っているのか聞き取れずに、困ったようにソフィアたちに助けを求めた。
「ジェミとルカは乗馬をして、サラは私たちとお茶をしていたわ」
「湖ではなく、丘でね」
アンが意味ありげに『丘』を強調する。 レオとの密会が、湖の近くだと伝えたからなのだろう。
苦笑いをしながら、子供たちのおでこにキスを落とす。
先程まで、レオに触れていた唇で。 ほんの少しの罪悪感を感じた。
ーーー子供たちを寝かしつけた後、ソフィアとアンとくつろぐ。
話題は尽きない。子供たちのこと、主人のこと、彼の事・・・。
ソフィアが支援している劇団俳優は、主役ではないものの、役を得ているそうだ。
初めて話を聞いた頃より活躍している。
レオの絵画が王宮に飾られてからというもの彼の知名度はあがり、我が家のエントランスを飾る私の肖像画を見て、肖像画の依頼がポツポツと舞い込んできた。まぁ、彼自身は気乗りがしないようで断っているが………。
今秋に開かれる新人コンクールに集中していた。
「最近、各地で暴動が増えて、主人が忙しいの」
アンがタメ息をつく。 確かに、遠方での暴動を耳にする。
アンの主人も軍部に在籍しているが、私の主人とは違い、本部勤務だった。
各地に配置する軍の調整が、ままならないらしい。
「オリビアのご主人も、西側の守護と暴動の鎮圧とで、忙しいでしょうね」
アンが主人を心配してくれるが、その言葉の含みが気になり、私はプイッとそっぽを向く。
私の関心事は、レオのコンクールの事だけだ。
*****
ーーー楽しい一時は、あっという間に過ぎ去り、とうとう明日、王都に帰る日となった。
子供達も寝静まり、寝息の立つ部屋のテラスから、目前に広がる湖を眺めていた。
静寂と暗闇の中、星のキラメキが湖面に反射していた。
あのキラメキの、その下にはレオがいる。
湖畔の小屋にレオはいる。
コンクールに出品する、絵の出来具合はどうだろうか……。
(会いに行ってみようかしら)
マダムの許可を得ていないが、こんな夜更けに誰もいないだろう。
もし、誰かいたとしても、見つからなければいい。
その時は、そっと戻ればいい。
こっそり部屋を抜け出した私は、途中誰にも見つかることなく、湖畔へと続く小路に辿り着いた。
月明かりを頼りに、薄暗い小路を歩く。
夏とはいえ、少し肌寒く感じる。 私はブルリと身震いする。
マダムに対する罪悪感か、レオに会える期待感か。
しばらく歩くと、風に乗って男女の話し声が聞こえてきた。 内容までは聞こえないが、どこか、楽しそうに感じた。
後になって思えば、ここで引き返せばよかったのだが、好奇心が勝ってしまった。
私以外のパトロンは、どんな女性なのだろうか。 興味が湧いた。
ゆっくりと足音がならないように、慎重に歩みを進める。
どうやら彼らは、湖畔に面するあのガゼボにいるようだ。
チクリと胸が痛んだ。
しかし、好奇心は負けていない。
立ち込める闇に、月明かりが負けていた。 どんなに目を凝らしても、相手の女性の姿が見えない。
これ以上近づけば、きっと見つかってしまう。
ギリギリの所で、私は二人の様子を伺っていた。
顔を寄せ合い戯れる二人、時折漏れる笑い声。
(若いわ………)
かってに、レオのパトロンは皆、自分と同じくらいなのではないか。と、想像していた。
(彼女、パトロンよね?)
しかし、彼らは恋人同士のように睦み合っていた。
いつも気怠い雰囲気の、レオはいない。
顎に手をやり考え込む。(はて、レオはいったい何歳なのかしら)
―――声が止まった。
ふと、顔を上げると、重なり合うシルエットが視界に入った。
思わず息を呑む。
(やめて!)
想像以上に私はショックを受けた。
一歩、後退る。
パキリ
足元で音が鳴った。
(しまった)と思った瞬間、レオと目があった気がした。
無我夢中で暗闇を駆け抜ける。 顔に当たる枝端、足に感じる草葉、何度も躓き手をついた。
いまや、痛みも感じない。 だた、胸が苦しい、痛い。
客室に戻ると侍女たちが慌てていた。 私の姿が見当たらず、ソフィアたちも行方を知らなかったからだ。
そして今、彼らは安堵するとともに、傷だらけの私を見て動揺する。
警備兵に連絡をしようとする侍女たちを、必死に押しとどめる。
「問題ないわ。 湖畔に行こうとして転んだだけよ」
自分でも下手な言い訳だと思うが、嘘ではない。
「ひとまず、着替えましょう」と、侍女に即され、ふと視界に入った鏡に目をやると、そこには、みすぼらしい、哀れな女が映っていた。
木々に引っ掛けた服は破れ、腕は傷だらけ。 痛みを感じてきた手のひらを見れば、血が滲んでいた。
「私は、何をしているのだろうか」
ふと漏れた言葉に、侍女が不思議そうに首をかしげる。
いったい私は何をしたいのだろう。 レオとはパトロンと被保護者の関係だ。
それ以上でも以下でもない。 レオの成功を手助けしたいだけだ。
そう、それだけのはずだったのに。
でも、私は、知ってしまった。 この感情を確認してしまった。
この産まれたての恋心を、どうすればよいのだろうか。
―――子供たちの寝顔を眺めて、行き場のない恋心を、感情の淵へと押し戻す。
この子達のために、この子達の将来のために・・・
「だめ、今はだめ」
呪文のように、その言葉を繰り返した。