1 パトロン
「ねぇ!どこに行くの? 今日は、付き合ってくれるって、言ったじゃない!」
夏の日差しも弱まり、幾分か過ごしやすくなった初秋の早朝、王都にある、ここランドヴェール侯爵邸、タウンハウスの食堂で、ヒステリックな女性の金切り声が上がった。
「うるさいな。入寮式に行ったところで、なんだっていうんだ」
「でも、寮に入ったら、なかなか会えないのよ? ジェミが可愛くないの?」
「ハッ、夏には帰って来るんだろ?」
まるで興味がないとでもいうように彼は、侍従から上着を受け取ると、そのまま廊下へと続く扉へと向かった。
私は、追いかけようとテーブルに手をついた。その時、手に触れた皿を………、彼の後姿めがけて投げつけた。
私の投げたその皿は、彼の横を通り過ぎ、そのまま壁に当たって激しい音を立てながら砕け散った。
「あぁ、怖い怖い」
おどけたように肩をすくめた彼は、そのまま扉の外へと姿を消した。
後には、私と今日入寮する長男ジェミ、次男のルカ、そして末娘のサラが取り残された。
「お母さま………」
心配そうに私を見つめる子供たちの視線に気づき、落ち着きを取り戻した。
彼は………、私の主人は、急いで愛人の元へと、向かっているのだろう。
入寮式当日に、子供たちと過ごした。 だから、もう父親の仕事は終わったとでもいうように。
*****
跡継ぎに恵まれ、『嫁』としての役目を終えた私。
まだまだ女盛りの二十代後半、『妻』の役割として公の場に出る以外、配偶者である主人に必要とされなくなった私。
使用人たちに、どのように思われているのか気になり、必要以上に神経質になった。
彼らの視線を気にして、イライラを募らせ、当たり散らす。
そんな冷遇される私には、密かな愉しみがあった。
身分、名前を隠して同性、異性と交流する『大人の社交場』である。
それは、郊外の一角、林道を抜けた先、森の奥にあった。
「ジュリア、会いたかった」
私に柔らかな笑顔を向けるこの男は、私が買った男だ。
「レオ」
そう言うと、私は、広げられた彼の腕に飛び込む。
主人とは違う男の匂いを、胸いっぱいに吸い込む。
背中に回る手に力がこもるのを感じ、フフッと笑みが漏れる。
(あぁ、癒される)
人に求められるというのは、なんと幸せな事なのだろうか。
私は彼に頬ずりし、その首に腕を回し、その唇を欲した。
レオは、駄々っ子をあやす様に、何度も軽いキスを私に浴びせてた。
やがて、水音が立つようになり、気だるい吐息が混じる。
いつの間にか、沈むベッドへと移動していた。
―――という事はなく
どこまでも広がる庭園に面した、テラスのソファーに並んで座り、私の愚痴をレオがひたすら聞いていた。
テーブルの上には、冷たいスウィートティ。
レオは私の肩を抱いて、髪を指で梳いたり、隙を見てはキスを浴びせてくる。
「やめてよ」
と、彼の顔を押し退けてはみせるが、嫌ではない。
私は、この甘い雰囲気を愉しむ。
―――三人の子供を産み育て、やっと夫婦の時間を持てると思ったのに
主人の心は、とうに私から離れていた。
と、言うよりは、もはや『子供の母親』もしくは『共同経営者』としか、見てくれない。
もう、女ではないのか。
いや、異性として見てくれなくれもいい。せめて、私との時間を大切にしてほしかった。
それでも、一縷の望みをかけ勇気を出して誘ってみたのだが………。
「何を言っている? 跡継ぎができたのだから、もう、私たちの関係は終わったも同然だよ」
そう言い残した彼は、愛人の住む邸宅へと帰って行ってしまったのだ。
後には、三人の幼子と捨てられた妻の私が残された。
使用人たちは何も言わないが、見下されているのではないかと疑心暗鬼になり、些細なことで声を荒げてしまう。
そして、後悔することの繰り返し。
そんなうんざりする日々に知り合ったマダム・ルイ。 彼女は話題が豊富なうえ、その思想は奇想天外で飽きなかった。
彼女は自身について、多くは語らなかった。
そして、私にも聞いてこなかった。 そんな関係が心地よかった。
互いをけん制しあう場所は、社交だけでよかった。
彼女の誘いで訪れた邸宅は、王都から少し離れた森の中にあった。 と言っても、森全体が彼女の持ち物で、それまでもが庭園のようだった。
小川が流れ、小鹿が跳ねる。 木漏れ日が、林道を照らす。 すべてが計算されつくされているようで、美しい。
まるで、夢の国に来たような雰囲気になる。
彼女は貿易に関わっている様子で、宅内は様々な香りのお茶や物珍しいお菓子、見慣れない調度品で溢れていた。
それらの中から気になるものを持ち帰り、自宅で開催するお茶会で披露するのだ。
そのときの、貴族たちの感想をマダムに伝える。 それらの情報を、私はマダムに売っているのだ。
ある時、エントランスに何とも言えない味わいのエキゾチックな夜空の絵画が飾られたいた。
今まで見たことのない技法に、目が釘付けになった。
幻想的な色使い、乱暴にも見える筆のタッチ。 何もかもが新鮮だった。
「マダム、私、この方の絵が欲しいわ」
そこで、パトロンの提案をされた。画家の後援をするのだ。
だが、パトロンになるとこに、あまり良いイメージがなかった。 若い男を、潤沢なお金で飼う。 そんな風に思っていた。
素直な拒否感をマダムに伝えると、一笑された。
「この絵が気に入ったんでしょ? 彼が、描画に専念できるように手助けする。と、考えればいいんじゃない?」
新緑が眩しいその日、爽やかな一陣の風と共に登場した彼は、まるでそよ風のようだった。
柔らかな銀糸の髪に吸い込まれような翠玉の瞳が微笑んでいる。
彼は『レオ』を名乗り、作品を発表する場を欲していた。
そこで私は、作品をタウンハウスのエントランスに飾ることを提案した。
定期的に屋敷内で社交を行うし、主人の関係で貴族も訪れる。 その時に、どこかの貴族の目に止まれば、彼の絵も売れる。
ドキドキしながら、彼の返答を待っていた。
優男の彼は、すらりとした手を私に差し出し「よろしく」とほほ笑んだ。
私は、初めて男を買った。
いかがでしたでしょうか? 久しぶりに投稿させていただきました。
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今日も、良い一日になりますように。