名吹栄一
(あらすじ)
涼原朝美は、感情表現も愛情表現も不器用な女の子。
でも彼女だって、確かに、誰かに恋をする心を持っていたのです。
涼原朝美はクラスで一番の現実主義者で、近寄りがたいクールビューティーで、男女問わず誰に話しかけられても冷たくあしらわれると評判だった。
「突然だけど、俺、星座になりたいんだ」
そんな彼女を高校の図書室に呼び出してこんな相談を持ちかけるなんて、どうかしてるって思うだろう? 案の定、
「馬鹿げた夢物語だけど、一応聞いといてあげる、セオリー通りに。『なんでそんなのになりたいのよ?』」
朝美を遠巻きにしているクラスメイト達は知らないけど、こいつは案外、馬鹿げた話を振っても一応ちゃんと聞いてはくれるんだ。
「星座って五千年くらい前からあるらしいじゃん? それが現在に至るまで内容は大きく変わらず、人々に神話として伝わってるなんてすごいじゃん? 俺も未来永劫、人々に美しい~って思われながら見上げられ、語り継がれる存在になりたいんだわ」
「分不相応に承認欲求高すぎでしょ。身の程を弁えなさいよ」
朝美がこう言う理由はわかっている。俺達の通う城参海大学付属高校は、いわゆる「馬鹿私立」と呼ばれてるタイプの学校だ。ほんの数百メートルしか離れていない県立木庭高校っていう進学校に合格しなかった地元の馬鹿が通う高校だからだ。予想通り、「木庭高に入れなかった馬鹿の癖に」と、この学校の生徒ではすっかりおなじみのフレーズを付け足す朝美である。
「それに星座っていうのは八十八個ってガッチガチに決まっててこれから増える余地なんかないのよ。新規で星座になるのなんか無理だわ」
「だったら新規じゃなくて、既存の星座に成り代わるんでもいい。かみのけ座、くらいなら俺でもなれないかな。そのためなら髪の毛全部剃ってもいい!」
「あんたみたいな愚か者が、かみのけ座侮ってんじゃないわよ」
普段はクールな彼女ですら些か苛立ちをその顔に滲ませて、立ち上がる。すぐ傍らにあった本棚に手を伸ばして、目当ての本を取り出して。慣れた手つきで求めるページを開いて俺に見せつける。
「かみのけ座っていうのはね。夫の無事を祈ったエジプト王妃ベレニケが、女神アフロディテの神殿に自分の髪の毛を切って捧げてそれが星座になってんのよ。よこしまなあんたの願望と違って崇高な由来ってもんがあるんだから」
彼女に相談した理由、その二。こう見えて朝美は天文部の部長だ。他の部員はいないけど。俺達の住むこの木庭町は大都会じゃないけど自然豊かな田舎でもなく、高校の屋上に上がって天体観測しようとしても満天の星空が見られるってわけじゃない。星の見られない天文部、なんて誰も楽しくないから、ちっとも部員が増えないんだ。ただでさえ、今年は営業スマイルの全然足りない朝美が部長なのもあるからな。
「星座になるのは無理でも、天文学者にでもなって新星発見して自分の名前つければいいじゃない。あんたでも知ってそうな最近の時事ニュースだから教えてあげる。あのはやぶさが探査した小惑星イトカワっていうのも日本人の名前からついてるのよ」
もっとも、イトカワはその糸川英夫さん本人が見つけたわけじゃない。日本のロケット開発・宇宙開発の父とされる人物だ。俺が知らないだろうからと朝美は補足する。
「それほどの人だからこそ星の名前にもなるし、まさに現在から未来に語り継がれる神話ってもんでしょ。星座だか神話だかしらないけど、なりたいっていうならまずそれだけの努力をしなさいよ」
「努力しないで神話になりたいから、星座になりたいっていうんだよ。かみのけ座の王妃様だって、たかだか髪の毛切っただけで神話で星座になってんじゃん」
「あんたって、成績は良い癖に努力は出来ない馬鹿よね」
いよいよもってあきれ果てた、と言わんばかりに朝美は深く溜息をついた。こう見えて、この俺、名吹栄一様の成績は学年一位なのだ。木庭高の学年最下位と俺のどっちが優秀かっていうとおそらく前者なんじゃないかと思われる、が。
二〇二二年十二月十四日。ふたご座流星群は今夜が見頃だとニュースで盛んに報じられていた。
この手の天体ニュースがあったところで、月関係ならまだしも星関係でそれが見られた試しのない地方都市。どうせ今回も見られないだろうと思って期待してはいなかったけど、念のため、家の前の道路に出て夜空を見上げてみた。
「おお~っ!?」
ほんの気まぐれに出てみただけなのに、何の特徴もない住宅街のど真ん中。自動車道路を挟んで真向いの三階建てアパートの真上をすっと横切る流れ星が見えた。生まれて初めて、流れ星ってやつを見た。
流れ星が見えたらそれが消えるまでに三回願い事を言えば叶う、なんて聞いたことは誰にでもあるだろう。実際にそれを見て、うん、そんなの絶対無理! と思うほかなかった。一瞬で現れて一瞬で消える。こんな短時間で三回も願い事が言えるわけがない。
そこで、俺がとった作戦は。
「星座になりたい! 星座になりたい! 星座になりたい!」
あえて、空を見上げないで、目を瞑って。タイミングも図らずあてずっぽうに願い事を三回唱える。俺が言い始めた時にたまたま流れ星が現れていたらもしかしたら、「現れてから消えるまで三回願い事を言う」が達成しているかもしれないってな。
かくして狙い通りになった……のか? 俺はめでたく星座になった。自ら例に出したからなのか、他に俺に当てはまる星座がなかったのか。どちらなのか知らないが俺は「かみのけ座」になったのだ。しかし……。
「かみのけ座ってなんだよ、そんなのわざわざ星座にするとか」
朝美が言っていたような崇高な由来があるなんて知らない愚か者どもは、プラネタリウムだの星座図鑑だのでその名前を見かける度、そんな風に小馬鹿にする。「人々に崇敬でもって見上げられ語り継がれる神話になりたい」という俺の理想とは程遠い。
そもそも星座っていうのは本来、太古の神々に活躍が認められた英雄や、逸話がその記念碑的に天上に張り付けになっているわけだ。決まった場所からも動けず、自由ってものがない。英雄と呼ばれるほどの皆さんならそれに耐えられるのだろうか? 俺にはとてもつまらなくって、
「思ってたんと違う……やっぱ星座やめたいわ」
思わず、そんな泣き言をこぼしていた。そうしたところで誰の耳にも届かない。孤独すぎる。
そも、神話になりたいなんて言い出したのは、有名ソングの「少年よ神話になれ」ってフレーズを聴いて思いつきの戯言だったんだ。なれ、って簡単に言うけれど、じゃあどうやったら神話になんかなれるんだ? ってさ。一瞬の思いつきでこんなことになってしまうなんて、人生はどこで踏み外して転落するかわからないもんだ。いや、空に上がった俺が転落っていうのはおかしいか。
「だから言ったじゃない。努力もしないで神話になりたいなんて、あんたにゃ分不相応だってね」
誰にも届かないつもりの言葉に返事があって、驚いた。目を凝らしてまっすぐ、まーーーっすぐ、どこまでも下へ目を凝らす。青い地球が迫って、どんどん地上が見えてきて、そこにあったのは。
正八面体の巨大な水晶。その内側に見覚えのある……顔はそうだけど、着ている服は見覚えがないな。肩がむき出しになった空色のワンピースめいた、しかし木庭町に暮らす彼女がそれを着て街歩きとか部屋着とか、そんな絵がとても想像出来ない。身も蓋もない言い方をすればファンタジーな出で立ちだった。額にはひし形の赤い宝石が張り付いた青いヘアバンドを巻きつけている。
その正八面体は例えば、中規模の客船を縦にしたような大きさだと思う。その中にいる彼女……涼原朝美の体格とのサイズ比から計算すると。その頂点にほど近い内側に、彼女は透明な板の上に乗っかっている。その板は彼女の意思でその水晶の内側なら自在に動くのだろうか、ほんの僅か上下している。もしかしたら、朝美の息遣いに連動しているのかな。
水晶は他に遮るものの何もない、広大な草原のど真ん中、中空に漂っていた。彼女のいる場所は夕暮れ時か、草も水晶も朝美も、赤い光に照らされて染まっている。
「朝美、か? そんなところで何してんだ?」
「話せば長くなるんだけどね。それに、話したところであんたに理解出来るのか、信じられるのか」
何を話すんだか知らないが、朝美は極めて現実主義で、空想めいた嘘をついたりはしない。城参海大付属は中高一貫で、俺達は中学からの付き合いだ。たかだか五年の付き合いを長いとするか短いとするかは人それぞれだろうが、俺としてはそこそこ長い付き合いだったと思ってる。それくらいは彼女の性格を理解しているつもりだった。
そう思ってくれてるんなら話してあげてもいいかな、なんて、俺は言葉にしていないというのにすっかり朝美に伝わっている。どうやら彼女、星の声を直に聞くことが出来る……そういう存在になったみたいだな。