第18話:陽毬とSNS②
「ごめんなさい……!」
「ううん、私の方にこそ問題がありました。LINEなんかじゃなくて、電話で伝えれば良かった」
陽毬の家で、パンツスーツ姿のマネージャー・生田さんが頭を下げる。つい昨日地元バレしてしまった陽毬に万が一のことがないよう、家まで迎えに来てくれたというわけだ。
後で聞いたところによると、陽毬のスマホにはあの時、『別途使い方を教えるから、しばらくは投稿する前に文面を私に送ってください』というメッセージが届いていたらしい。
ちなみに、陽毬と俺が隣人であることは、デビューの時から生田さんには伝えている。事後で分かると痛くもない腹を探られると言うか、色々勘繰られて面倒そうなので、元々音響制作進行として関わりのあったこともあり、話をした。
「上原さんもお呼び立てしてしまいすみません」
俺はこの件について直接は関係ないものの、生田さんに呼ばれて隣室に馳せ参じたところだ。まあ、用件は大体想像がついているが。
「いえ。徒歩1秒なので」
「あの、こちらの不手際で恐れ入りますが……しばらく北沢との外出は控えていただけますか? 駅で見かけた時にもなるべく……」
「でしょうね。分かりました」
まあ、これまですべきだった警戒をするだけのことだ。
「…………」
陽毬は、不安そうな、不満そうな、申し訳なさそうな、後ろめたそうな、とにかくネガティブな表情をして押し黙っていた。
次の『さよならは指切りのあとで』のアフレコの時、玉川さんが俺に頭を下げた。
「上原さん、すみません、あたしがSNSやればなんて煽ったから……」
「いやいや、玉川さんのせいではないですし、ましてや僕に謝る必要はないですよ」
「でも……」
少し周りを見回してから、玉川さんが俺の耳元にそっと唇を寄せる。
「陽毬ちゃんと出掛けられなくなったでしょ?」
「いや、別にそれも絶対に必要ってことじゃないですし」
「それに……陽毬ちゃんのマネさんから、家の行き来も禁止だって聞きました」
「……ですね」
オートロックのマンションではあるものの、誰かが陽毬に付いてきてしまったり、部屋まで家を特定したりということがないとも限らない。
そこまでされたら法的措置を取ることは出来なくないだろうが、ダメージは陽毬に残る。念には念を、ということだ。
「じゃあ、陽毬ちゃんに会うのは今日の収録で久しぶりですか?」
「久しぶりって言ったって2週間くらいのものですよ」
「2人にとってそれが長いことくらいは、私にだって分かります」
拗ねたように口にする玉川さん。
「それにしても、また今週はピンポイントな回ですよね……」
今日は『さよならは指切りのあとで』第2シーズンの最終回付近のクライマックス回だ。
玉川瑠璃さん演じる天川イチカの過去回想。
かつてアイドルの卵だったイチカは、SNS上でディスられて、SNS恐怖症に陥ってしまう。
この回一番の見せ場は、その当時のイチカの心情描写をするシーンだ。街を歩くイチカは、周りから常に監視されているような、蔑まれているような、そんな感覚になり、『もうやめて!』と叫ぶ。
暗めな音楽を流して、段々と音量を上げていき、恐怖感を表現するような演出プランになっている。音楽については、当然だが、音響監督である大蔵さんに一任されている。
「というか、今回のモブって陽毬ちゃんじゃなくちゃいけなかったんですか?」
「まあ、兼役ってところですかね」
俺は頬をかいた。
モブのために誰かを新しくアサインするのにも当然その人の人件費がかかってしまうため、その回に出ていないキャラクターを演じている人にモブをやってもらったりすることがある。
今回のモブをまだ新人声優の陽毬が担当することになった。
『へえ〜そうなんだ〜』
差し障りのないセリフを目立たないように、見事に演じて、陽毬はブースの脇のベンチに座って次の出番まで待機する。
そして、今回一番の見せ場になるイチカの過去回想のシーン。
『え、うそ……!』
ショックなコメントを読んで、スマホを落とす玉川さん。
そこから音楽が段々と大きくなり……そして。
『もうやめて!』
耳を塞いだイチカが叫んでうずくまる。
「はい、いただきました」
アフレコを一回止めた音響監督が「うーん……」と腕を組む。
「イチカの演技も悪くないんだけど、なんか、真に迫ってこないな……。どうしたもんか……」
「……大蔵さん」
そんな師匠の後ろから、俺は情けない声音で提案をする。
「このシーン、僕にやらせてくれませんか」
「はあ? なんでだよ、まだ早いだろ」
見せ場なんだから無理だ、と言わんばかりに、師匠は背中越しに手を振る。
「でも……僕にしか……僕と彼女にしか出来ないことがあると思うんです」
「あのな、何を生意気な……」
俺を叱ろうと思ったのだろう。彼は椅子を回転させてこちらを見て、
「……真っ青じゃねえか、上原」
と真顔になる。
「僕にしかできない、演出プランが、あるんです」
「お前、もしかして……!」
俺は、こくりと頷きを返す。
「……わかったよ、このシーンだけだからな?」
「ありがとうございます……!」
さすが師匠、それだけで俺の意図を汲んでくれたらしい。
「その代わり、お前がやるって言ったんだ」
師匠はその椅子を明け渡しながら、俺の肩をがしっと掴む。
「……絶対に手放すなよ」
「……はい」
俺は、音響監督の席につく。
「北沢さん」
『え?』
ブース内にいた陽毬がガラスの向こう、こちらを振り返り、目を見開いた。
マイクを背にしているから、ヘッドフォンをしている俺にしか聞こえないかもしれないが、『伶くん……?』と呟く声がした。
「これから、台本になかった人物を演じてもらいます」
『どういうこと? ……誰を……ですか?』
「『アカウント』を、50人分」
『はあ……!?』
そう声をあげたのは玉川さんだった。
『50人のモブって意味ですか!?』
「……はい」
俺は頷きを返す。
……それこそが、俺にしか出来ないディレクションだった。
「……陽毬」
そのディレクションのために、俺はそっといつもの呼び方に戻す。
『……うん』
陽毬も意図を汲み取ろうと、いつもの口調で応じてくれる。
「話すのは久しぶりだな」
『そう……だね』
「あれから今日まで、どんな感じだった?」
『えっと』
玉川さんがブースの中で手を上げる。
『私、聞いてますよ……?』
「大丈夫です。聞いていてください」
『え……?』
「陽毬、どうだった?」
俺は続ける。
『……怖かった』
「何が怖かった?」
一つ一つ、ほどくように、はがすように、むくように、彼女に質問を投げかける。
『周りにずっと見られてるような感じがした。監視されてるような、揚げ足取られそうな感じがした。全部の囁きが、全部の嘲笑が、わたしに向けられてるような感じがした』
「どうしたいと思った?」
『逃げ出したいと思った。でも、でも……』
陽毬は震える。
『世界の中には、たった一つしか逃げ場なんてなかった』
「それは、どこだ?」
『……いつもアニメを見ているテレビの前』
「……そうか」
それは、俺の家のリビングのことだ。
俺の耳のことを知ってか知らずか、ホームシアターだと嘯いて、親が防音仕様にしていたうちのリビング。
外の音が一切混ざらない、その場所。
そこだけが、俺にとっても、世界からの唯一の逃げ場だったように思う。
「陽毬」
『……はい』
「これから、陽毬がこれまで聞いた全部の嘲りを、全部の粘着質なニタニタ笑いを、全部の噂をする声を、口にするんだ。50パターンの、全くの別人の声で」
『わかった』
『上原さん! どうかしてます!』
玉川さんが抗議の声を上げる。
『この回に必要以上に出すのだっておかしいのに、今の陽毬ちゃんにそんなことさせるなんて! 陽毬ちゃんがどうなってもいいんですか!?』
「今の陽毬だからさせるんです」
『はあ……!?』
「今の陽毬なら、その声が一番『聞こえている』状態だからこそ、それを憑依させることができる」
俺は確信になった言葉を返す。
「今の陽毬なら、一番イチカを苦しめることが出来る」
『そんな……!』
「玉川さんもちゃんと聞いておいてください。イチカはその声を、その言葉を聞いて、叫ぶんですから」
『そんな、自分を切り売りするような……!』
驚愕する玉川さんの横で、陽毬はブツブツと何かを呟き始める。役に入り切るための儀式のように。
「自分の身に起きた経験は、ネガティブなことでもポジティブなことでも、使えるものは全部使うべきです。悲劇も、喜劇も、傷も、痛みも、命も、全部。こういう仕事を選んだ時点で、俺たちの人生の全てに『良いものを作るため』以外の意味は存在しないはずです」
俺がそう言うと、
『……分かりました。あたしもミキサールームで聞いてもいいですか?』
玉川さんは吐き捨てるように言う。
『あたし、多分キューが出る前に叫び出しちゃうので』
「では、やりましょう。1人目」
『この子、なんか調子に乗ってるよね』
「2人目」
『自分大好き〜ってのが滲み出ててなんか無理……』
「3人目」
『よくこんな汚い声で歌えるわ』
4人目、5人目、6人目、7人目、8人目、9人目、10人目……………。
連続して出てくるまったくの別人たち。
24人目、25人目、26人目、27人目、28人目……。
陽毬はファッションショーの着替えのように、別の役柄を次々に憑依していく。
31人目、32人目、33人目、34人目……。
俺は、その場で整音——どちらかというと、音を散らばらせて乱す作業だが——を行っていく。
39人目、40人目、41人目、42人目……。
冷や汗か、脂汗か、とにかく、不快な汗が額に滲む。
「!! ちょっと待ってください、上原さん!」
「しっ」
何かに気がついたらしい俺を止めようとした玉川さんを、師匠が制止してくれる。
「でも、これ以上音を重ねたら、上原さんは……!!」
「……だから、こいつじゃないと出来ないんだろ」
頼む、2人とも黙ってくれ。脳がバグりそうだ。
1つ声を重ねるたびに、集合体になってくれない分離した意味たちが、俺を攻撃してくる。
『普通になる必要はないけど、普通を理解しないと、普通の人に刺さるものは作れないんだ』と、大蔵さんは言っていた。
きっと視聴者には、この音がまとまった雑音にしか聞こえないだろう。
だったら。
「…………っ!」
一つ一つの声の音量をランダムに大きくしたり小さくしたりする。
これで、音に、音量の波という意味合いが足されて、それぞれの声が分離して次々に聞こえてくるはずだ。
「陽毬、48人目」
『どのツラ下げて歩いてんだよ、まじで』
さらには、声ごとに音を高くしたり低くしたりして、音域をばらけさせる。
「49人目」
『クソがいきがるなよ』
すると、四方八方から別の人物の声が聞こえてくる感じが増していく。
「50人目」
『凡人のくせに』
よし、これで録音はOKだ。
「……凡人だなんてとんでもない」
しかし、まだ終わりじゃない。この言葉のリンチをイチカに浴びせないといけない。
「ましてや天才でもない……」
重ねた声をなるべく暴力的に仕上げる俺の後ろで、玉川さんの悲壮な声が一滴、聞こえた。
「…………音の怪物だ」
何を言ってるのかは、分からないが。
「玉川さん、ブースに入ってください」
「は、はい……!」
よろけた様子でブースに入った玉川さんの耳にたった今作った音の暴風雨を流す。
苦しいか? 頼む、伝わってくれ……!
『…………お願い!!!!!!!!! もう、やめて!!!!!!!!!!!!』
……よし。
極上の金切り声を録り終えて、俺はヘッドフォンを外す。
「師匠、俺……」
「ああ、手放してもいいぞ」
「ありがとう、ございます」
俺はそこで必死で繋げていた意識を手放す。
地獄のようなアフレコからしばらく経ち、陽毬の地元バレのほとぼりもだいぶ冷めた頃。
あの日のSNS回が放送され、翌日はたまたま、『タマにはゆルリと!』の配信日だった。
「みなさん、昨日の『さよ指』観てくれましたか!?」
「お、陽毬ちゃんがついに視聴者のみなさんに話しかけることを覚えてくれたね〜」
『エグかったな、22話』『トラウマ回だった……』『見ててしょんべんちびっちゃったよ……』
「そうなんです! すっごいトラウマ回ですよね! しょんべんちびっちゃいますよね!」
「うーん、あんまりしょんべんとかは言わない方がいいかな。うわ、立ち上がった」
「胸に大きな傷を残しますよね、もう一生見たくないくらい辛いですよね! あれ全ての声にそれぞれ別々のリバーブがかかってて、あ、リバーブっていうのはエコーとかと似たような、声を響かせるエフェクトのことなんですけど、とにかく、それぞれかなり計算された上での響きになっているのと、音像がはっきりするように、かけすぎないようにするっていうかなり絶妙な塩梅になっているんですよね。さらには、帯域を見事に全部分けていることで、普通はああいうのって、なんかざわざわもわもわ〜って聞こえるだけだと思うんですけど、全部聞き取れちゃうんですよ。それが怖いんですよね、わたしたちは普段あんなふうに聞こえてないけど、ストレスがマックスになるとああいうふうに聞こえるんだなあっていうかああいうふうに聞こえるよなあっていうか、本当にきつすぎてえぐられて寿命縮まっちゃうんじゃないかってくらいで」
「うんうんちょっと止まろうか!?」
「え? なんでですか?」
「トラウマ回を満面の笑顔で嬉々として語る女子高生声優って、色々ホラーだよ、陽毬ちゃん! あたし、こっちの方がトラウマになりそう!」
「そんな……!」
しょぼんとする陽毬を見て、玉川さんは呆れたように微笑む。
「……ま、大切な親友の話だもんね」
すると、陽毬も嬉しそうに満面の笑みで返す。
「はい! わたしの自慢の親友の話です!」
<作者より>
こんばんは、石田灯葉(作者)です。
ここで第一章完結です!ここまで読んでいただき本当にありがとうございます。
それでは次回作か続編か、はたまた過去作でもお会いできることを楽しみにしています。
あらためて、ありがとうございました!




