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クメールの微笑み  作者: 船木千滉
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第3話「自死と自殺」(その1)

 話は2009年12月へ戻るが、久保さんから電話を受けた私は、贖罪という訳ではないが、やれることをやった。すぐにサリーの婦人へ連絡を取り、彼らを店へ呼んで日本へ電話をした。


 そのとき私は初めて、少年の笑顔を見ることができた。

「ありがとう」

 と言った彼の嬉しそうな顔、それは日本人の笑顔だった。


 確かに私は、久保氏から受けた電話のことを思いだしていた。


 話は1992年まで遡り、日本はUNTAC(国際連合カンボジア暫定統治機構)に加わり、国際平和協力隊員をカンボジアへ派遣した。


 そのとき久保氏は文民警察要員として、全国の都道府県から集められた警察官75名の内の一人として、現地入りしたのだった。


 だが無事に職務を終えて帰国した彼は、なぜか家族と揉めてアメリカへ渡ったらしい。そこで日本の会社がカンボジアへ進出することを知り、自ら現地採用を希望して私に連絡してきたのであった。


 今から思えば突然の電話に困惑したのか、私は採用しなかった。


 確かに現地の店を管理するマネージャーが欲しかった。だがすでに大臣補佐官から一人、学卒のカンボジア人を紹介されていた。言葉の問題や給与レベルを考えると、久保氏を採用することは無理だった。


 それにしても、その久保氏が病魔に襲われ、すでに回復の見込みはないと婦人はいう。(それならなぜ日本の家族が……)と、口をついて出そうになった私に向かって、やはり婦人は話をしてきた。


「一度、家族を捨てた彼を、日本人の奥さんは許さない。だから私が航空券を送って、彼をプノンペンの地で看取りたい」


 どこかコケティッシュな婦人の風貌は、カンボジアの陽にやけた浅黒さではなく、夏の陽を浴びた麦藁帽子のように健康的だった。目鼻立ちは元より、小柄ながらその姿勢の良さまで理知的だった。


 この家族に幸多かれと、力及ばすながら私は祈ったのだった。


 婦人の一行を見送りながら、やはり私はこのまま撤退する訳にはいかないと、自分を奮起させた。


 いまだ研修生の派遣は目途が立たず、カンボジアでの日銭稼ぎも捗らない。おまけに自社の売上のほとんどを占める主要顧客も、いつ競合他社へ靡くかも知れない。それを考えるとカンボジアにいては焦るばかり。


 顧客の要求を満たすために出っ張っているが、まだ果実の成りそうな樹はない。信頼できる部下はいても、組織でカバーするほどの力はなかった。


 トップに立つ者の孤独感など当然のこと。だがさすがに私も、あまりの八方塞がりに、つい弱音を吐きたくなるような心境だった。


(つづく)


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