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クメールの微笑み  作者: 船木千滉
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第2話(その2)

 私の会社が扱う「もの」とは船舶用なのだが、機械とも機器とも言い難く、その違いは……まあ本件の顛末とは関係ないので省く。

 

 諸悪の根源は為替である。2008年のリーマンショック以後、安全資産とする円が買われ、1ドルが百円を切って円高に振れた。


 この為替変動、要は大企業が汚水を流した川で海に住む魚が死に、その魚を喰った猫が狂い死ぬ。そんな負の連鎖にしか見えない。猫の死が人の生き死につながるまで、政府や企業はなにもしない。


 例えて為替相場が川なら、流れる水が金で魚は企業となる。川で生きる魚には様々な敵がいる。陰で待ちうける者、土手で銛を構える者、皆つわもの揃い。数多いる魚の十や二十死のうが、誰も頓着しない。


 陰で相場を操る者がいて、企業を守るはずの銀行も為替を餌に雑魚を釣り、その後には必ず漁夫の利を得るハイエナがいる。


 世情が円高で揺れうごく中、日本の地方都市では米屋も肉屋も魚屋も、あらゆる中小零細業種における人手不足が喧しかった。


「言葉は喋れなくてもいいから、手さえ動けば誰でもいい」

 と、そこまで言う経営者もいた。

 私が身を置く業界も同様だった。


 戦後の日本で高度成長を担った重工長大の中でも、造船はその一翼を担った。だがそれも長くは続かず、韓国と中国に軒先を貸したつもりが、あっと言う間に母屋を取られた。


 それでも21世紀の初めの頃は、韓中に次ぐ三番手ながら微妙に右肩上がりを続けていた。ただ造船界や舶用工業界も高齢化が進み、それを補完すべき近代化を怠ってしまった。


「赤信号みんなで渡れば怖くない」

 と嘯いて突っ走ってきた世代が、自ら構築したシステムに固執していた。


 それはそうであろう、明治から先達が営々と築いてきた既存のシステムが終戦で雲散霧消し、彼らが一から、いやゼロから作った。


 その結果が超特急の成長を成し遂げたのだが、その成功体験が逆に手かせ足かせとなって、デジタル時代の波に乗り遅れてしまった。


 かつて1970年の大阪万博の頃、円は1ドル360円だった。それが1973年の変動相場制で、円は糸の切れた凧の様に乱高下した。さらに1985年のプラザ合意で円高に向かう。


 例えばこれは、1ドル二百円の時代に二千円で輸出したものが、2008年の1ドル百円では、当然千円にしかならないのである。


 これでは作れば作るほど赤字が増えるだけ。だから海外でものを作ろうとした。私も台湾から韓国と渡り歩いた。だがそれも1988年のソウル五輪以後、韓国では間尺に合わず中国へと向かった。


 だがそれでも顧客は満足せず、さらに安い所を探して歩けと言う。


 そこで私は、国が整備しつつあった「技術研修制度」を生かすべく、関連する中小企業に連帯を呼びかけた。その結果、2008年10月、合計10社が集う事業協同組合が発足したのだった。


(つづく)

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