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クメールの微笑み  作者: 船木千滉
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第7話(その2)

 元々日本の外国人研修制度は、その国の産業を支援するために若者を招聘し、同様の分野で働いて帰国することが前提である。


 だがカンボジアのどこに造船所があるのか。どこに工業地帯があるのか。すべては武力を持った部隊を軍隊と呼ばない、不思議な国の方便である。


 ただそういう私も、会社創設の趣意書に

「会社は公器であり社会の発展に尽くす」

 としながら、本当にそれを実践しているのか。


 可愛がられた重役の急死で窓際に追い遣られた私は、会社からはじき出されるように独立した。それでもその会社に頼って、支援を受けてきた。


 だが私が契約社員として担当した造船所の事業は採算が合わず、前の会社は撤退を決めた。その際、顧客の意向で私がその商権を引き継いだ。お陰で私の会社の売上は倍々で増えた。


 ECサイトの組織化の要求を拒んだ私が、大手造船所との数億円に上る取引に目が眩んだ。会社設立の際、あれほど冷淡だった銀行筋も掌返しで融資をしてくれた。それを原資に人を雇い設備を入れて仕事を広げた。


 だが利益のバランスは崩れていた。戦時中重火器を増やし過ぎて、完工早々に転覆した軍艦よろしく、トップヘビーのまま嵐の海に突っ込んでいた。


 加えて私は確実に歳を取っていた。例え十万円でも、億の仕事と同じように金と時間を費やして顧客を訪ね、面対面で内容を詰めた。


 夜はそのまま顧客をもてなし、深夜まで接待して絆を深めた。だが世情は変わり打合せはメールで済ませ、宴席を嫌う客が増えていた。


(常在戦場、現場を知らずして、良い船が設計出来るはずがない)


 三つ子の魂百までではないが、私の頭の中には新卒で勤めた造船所の教育が巣食っていた。実際私が足繁く通った造船所も、頭でっかちの学卒より、優秀な高卒の叩き上げが主流であり、彼らが私の営業スタイルを好んでくれた。


 だがすでに昭和の術は遠くなりつつあった。

(純真無垢なカンボジアの若者を育てるなら、まだ私の術も……) 

 とでも考えたのか、国内で感じる焦りをカンボジアへぶつけた。


 なんとか経費を浮かそうと、日本から出張のたびに百均の雑貨をバックで運んだ。だが売上は好転せず、悪性癌の様に本体を蝕んでいった。


 あれは2011年の春、私はトォアを日本へ呼んだ。


 各地を連れて歩き、ホテルで研修会を開いた。その日の午後、休憩でロビーへ出ると、テレビの緊急放送で津波を映し出していた。


 研修は中止、トォアを帰国させてそのまま支店長に上げた。

 それ以後、彼は変わった。


 ある夜、現地の接待でクメール語の分かる日本人から注意を受けた。

「山岡さん、あなたが席を外した間に彼は、ママに賄賂を……」

 それを聞いても私は注意しなかった。


 実はトォアを紹介した高官は、彼の実家の土地を取り上げ、彼の家族から搾取していた。俄かには信じがたく、トォアにその事実を質したが、彼はただ暗い顔で答えた。


「ボス、心配しないで下さい。私はなにも問題ありません」


 この国で生きるにはそれが彼の術なのであろうと、私は思っていた。


(つづく)


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