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クメールの微笑み  作者: 船木千滉
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第6話(その2)

私はもう、周りが見えていなかった。

 私は回廊を周りきると、その真ん中に聳える中央祠堂を見上げながら日陰を探して腰を降ろした。どこかツクシのような頭部をした中央祠堂だが、サムが言うには、その高さが六十五メートルもあるという。


(それにしても、あの階段は怖くて登れないな)


 穏やかな夏空を背景に神々しくも天を貫くような祠堂だが、土台を成す回廊の中央に刻まれた階段は、傾斜といい一段一段の幅といい、とても気軽に登れそうにもない。私は皮肉っぽくトォアに呟いた。


「どうもここは昔、一般の人が入れる所ではなかったのだろう」


 そう言いながら私は、回廊のあちこちに刻まれたレリーフを思い出していた。それは戦を描いた絵巻物のようなものがあるかと思えば、嫋やかな姿態で手足を秘めやかに構える女性たちがいる。


 彼女らが浮かべる微笑みがクメールスマイルに違いない。だがその目を閉じた表情は、どこか日本の仏像にも似て、私になにか伝えようとしていた。


 そんな私の思いとは裏腹に、珍しくトォアがはっきり物を言った。

「力を持ったら、誰でもみんな変わります」


 確かにそうかも知れない。考えてみれば私も大学を出て三十有余年、がむしゃらに働いてきた。見合いで結婚した翌年、男の子が生まれた。


 だがそれからしばらくして、勤めていた造船所が破産。三十で神戸の商社に転職して、一年三百六十五日、仕事に次ぐ仕事の連続だった。


 気がつけば息子は家に閉じこもり、時として暴れるようになった。だがそれでも家は家内に任せて出世競争に邁進した。


 年上の生え抜きを追い越して課長から部長に上がった。だがそこで派閥のトップが急死した。まだ五十過ぎの若さだった。


 それで重役への道が途絶えた。


 窓際にやられた私は、それでも会社のために利益を上げた。だが五十が近づき、部下のいない閑職は辛かった。


 命を賭してすべき仕事など、あろうはずなかった。


 最後は団塊世代の重役が生みだした、方便ともいえる早期退職の道を選らんだ。自ら会社を興して社長になった。私は課長部長社長と曲がりなりにも出世街道を歩み、それなりに報酬を得た。


 部下を連れて飲みにいけば、艶やかな女達に持て囃された。

 だが荒んだ家庭の中で妻は疲れ、息子は自分を見失ったままだった。


(このまま年老いて、この遺跡のように朽ち果てるのか)

 私はそんなことを思いながら、なにも言わない祠堂を見上げていた。


「トォアさん、俺達も頑張って、力を持てるようにしよう」

 と、私は言わずもがなのことを発した。


 確かに会社はまだ浮かんではいる。だが水に浸かった泥舟も同然だった。一刻も早く中に溜まった水を掻い出すしかない。


 だがそれを部下に求めてどうするのか。

 言われたトォアは、また複雑な笑みを浮かべて別のことを言った。


「ボス、冷たい水を手に入れてきます」

「おお、それはvery good idea」


 私はトォアの言葉を鵜呑みにして、大仰に手を上げていたのだった。


(つづく)


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