(82)悠、苦悩する
彩香の部屋のドアを開けた。
「彩香! 大丈夫か!?」
「だめだよ。ここに入って来たら。風邪菌満喫中だよ?」
顔半分マスクをした鼻声の彩香が、言った。
「ごめん…俺、ちゃんと気づいてやれなくて」
「なんで悠があやまるの? 悠のせいでもなんでもないでしょ? 風邪引いたのは」
彩香は笑っていた。
麻矢は、仕事まで少し眠るからと彩香の部屋を出て、俺と彩香を二人きりにした。
彩香の額に手をあてた。
「もう、熱は、ないな…よしよしっと」
「なんか、注射ってすごいね。一晩寝たら、熱すぐ下がるんだね」
「彩香さぁ、おとといの夜、辛かった? 熱出てたんだろ?」
「うん…でも寝ちゃってたから、よくわからなかった」
彩香は、元気に言ったけど、絶対辛かったはずだ…倒れるくらいだもんな。
「おまえさぁ、辛い時とか我慢しないで俺に言えよな、傍にいるんだから、俺」
「うん! サンキュウ~」
彩香が少し眠っている間、もう一度、吉田の所へ行った。
喧嘩をするためではなく、あやまりに。
彩香がこの家を出て行くことは「絶対に嫌だ」と言うと、
「それは彩香ちゃんが決めることで、事務所が決めることではない。
彼女を引き止めて置きたいなら悠自身で考えろ。
ただし、結婚うんぬんは止めてくれ。今、突っ走るのは、頼むから止めてくれ!」
と、吉田に言われ、俺は、社長室をあとにした。
吉田は、俺が修平にいろいろと相談していることを知っていて、修平みたいになるのを
恐れていた。
(修平は…あいつは特別なヤツなんだ。
修平は何をやっても周りから許されてしまうヤツだ。
野生児だ…うり坊だ! 悠、あいつの真似だけは、絶対しないでくれよ!
おまえとあいつは、違うんだ…)
吉田、心よりの叫び。
麻矢は、夕食を作ってから店に行った。
彩香が来てから、麻矢の手料理を食べる回数がものすごく減っていたので久しぶりだった。
案の定、ご飯の上に、何かかかっているだけの物だったけど、彩香にはお粥が作ってあり、二人で食べていた。
「彩香…、俺のためにこの家、出るとか考えるなよな…」
彩香のスプーンを持っていた手が止まる。
「社長にも言われたけど、結婚とかマスコミに公表とか…まだできないけど…。
俺、ちゃんと考えてるから。彩香のこと、ちゃんと考えてる」
「……ありがとう、悠。だけどね、悠だけのためだけじゃないんだよ?」
「麻矢のこと…だろ? 麻矢が言ってたよ?
彩香は口にはしないけど、彩香の気持ちはわかってる、って。
自分がリチャードの所に移れないのは、彩香は自分の所為だと思ってるって」
俺は、彩香に麻矢の気持ちを伝えた。
麻矢は、この家を「出られない」のではなく、「出ない」だけだと。
彩香のためでも、俺のためでもなくて、自分のためだと、言っていた。
麻矢は今年末には「女性になる」予定だ。
女性として、この家を出て、リチャードの元に嫁に行くと、言っている。
だから、彩香がここを出て行く必要はない。
もし、彩香がここを出て行ったら、今度は麻矢が自分の所為だと思ってしまう。
今のまま、ここにいてほしいと、俺は話した。
そして、俺自身がどれだけ彩香を必要としているのか、愛しているのか、恥ずかしかったけど、大切なことだから、ちゃんと話した。
彩香は納得してくれて、今まで通り、玄関は事務所のものを使い、仕事以外の「ツーショットは避けるから!」と、言い、鍋いっぱいのお粥を平らげた。
麻矢が話してくれたここを出て行かない理由、嘘か本当かわからない。
麻矢のことだ、俺たちのためなのかもしれない。
彩香もそれはわかっていると思う。
俺たちは少し、麻矢に甘えてみることにした。
夜の分の薬を彩香の部屋まで運んだ。
「へい! おまち~、薬!」
「さんきゅ~」
「薬飲んだら早く寝ろ!」
「へいへい」
薬を飲み終えた彩香は、布団にもぐった。
スタンドライトだけにして、俺は彩香が眠るまで、部屋にいた。
彩香が、寝息をたて始めた。
俺は、寝顔を見つめながら幸せを感じている。
それは穏やかな暖かい気持ちにさせてくれている。
今の俺では、彩香を守ってあげることができない。
誰にも何も言われないような人間に、早くなりたいと思った。
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「ん…よく寝たぜぃ~復活!」
朝、目覚めると、私の風邪はどこかへ行っていた。
苦しかった数日間よ、さようなら。
ん? …えええーー!
悠が、ベッドに伏せていた。
布団もかけずに…
季節は秋に突入している。
朝晩は冷え始めている。
悠を起したが、声が風邪気味を漂わせている。
ボーカリストとしては、あるまじき行為…
もうすぐ全国ツアーが始まるというのに。
「自己管理能力なし!!」
速攻、医者に来てもらい注射をしてもらったが、その日から3日間、悠は床にふせた。
ツアーの音あわせが入っていたが、キャンセルし、高熱から少し解放されると、
「あれ食いたい、あれ持ってこい」と、病気の小学生のようにわがままになり、
いつも以上に、こき使われた。
ぜんぜん、大人になれない……25歳の悠。