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(8)辞表提出完了

マンションには全然戻って来なくなっている孝志の荷物が、

少しずつ減っているのに気がついた。

たぶん、昼間営業で外に出ている間に、仕事をさぼって運んでいるのだろう。

会社で会っても気まずい顔をするだけで、通り過ぎて行く。

『仕事さぼってんじゃねーぞーー』

顔を合わすたびに一言言ってあげたい。



金曜日、私はデスクの一番下の引き出しから『辞表』を取り出した。

これ以上待っていられない。とりあえず、この会社を辞めよう。

孝志の顔を見なくても済む。

私は辞表を出す前に一呼吸して、落ち着こうと思い、ポケットにそれを突っ込み

休憩室に入った。

6つほどのテーブル席が無造作に置かれてある休憩室は、何時に行っても

必ず誰かがくつろいでいる。

大概営業から帰ってきた社員なのだが。


「…………」

ドア、開けなきゃよかった。

孝志だ…


目が合ってしまった。

同じテーブルには浮気相手、いえ今は本命の彼女・小西和美が私に背を向けて

座っていた。

会社で逢引きですか…のん気な会社ですよね…

私、どんな顔してこのツーショット見てるんだろう、今。


私に気がついた孝志の表情が気になったのか、和美は振り返って、

ドアに立っている私を見た。

可愛い顔でニッコリ微笑み、会釈した。

私も微笑み返しをし、そのまま自動販売機の方へ行き、わざと孝志と同じ缶コーヒーの

ボタンを押した。

あぁ~私って根性悪~~い。


“おまえはバーテンダーか!”と、誰かに突っ込みを入れられそうなくらい缶コーヒーを

振り、プルトップをプシュッと開け一気に飲み干した。

できることなら炭酸飲料を思いっきり振り、孝志の顔めがけてプルトップを引きたい。

そんなバカなことを考えながら空になった缶を、缶入れに落とした。


ガラガラ、カラ~ン。

最後に響いた乾いた缶の音。

負け犬の遠吠えのように聞こえた。


わずか5分ほどで休憩室を後にした。

廊下に出て数歩歩きだした時、休憩室から孝志が追いかけてきた。


「彩香…」

私の足は止まった。

「彩香、ごめん」

後ろ向きの私に投げてきた言葉。


こんなところで言うわけ?別れ話を?!会社の廊下だよ?……ここ。

普通は、レストランとかカフェとか…

ちょっとお洒落なところで別れ話ってするんじゃないの…?

ドラマの見すぎか、私は…


私は振り向いて、真っ直ぐに孝志を見た。

休憩室に彼女を残して私の所に来たということは、小西は孝志と付き合っていた女が

私だということを知っていたのか…。

先ほど私に向けられたあの微笑みの意味を考えると、クラクラしてくる。


孝志は俯き加減だったが続けた。

「ごめん。言わなきゃって、ずっと思ってたんだけど…

 彩香の顔みると中々口にできなくて…なんか、かわいそうでさぁ」

同情されてたの?私…


沈黙の後、私が待っていた言葉がやっと出た。

「別れよう…っていうか、別れてほしい、僕と…」

「いいよ」

「え?」

「いいよ、別れよう。孝志もう悩まなくて済むんでしょ?私と別れたら」

「……」

「というか、もう悩んでないか、別れようって言えたんだもんね」

私は、なんの感情も乗せていない無単調な声で返すと、少しだけ孝志の顔が上を向いた。

「彼女…小西さんに、僕しか考えられないって言われて…会うたびに僕も彼女を守って

 あげたくなっちゃって…っていうか、昨日…言われたんだけど、できたって…」

孝志はまた俯き、組んだままの手を見つめていた。

「子供…できたって…昨日言われて…」


―――はぁぁ??なんて?なんて言ったぁ?今!!

意外だった、というか想定外だ。


「そぅなんだ…子供…できたんだ…」

私は音にしない溜息をついた。


孝志がまだ何かを言い続けている中、私は自問自答していた。

―――孝志のことをどれくらい必要としていた?

……。

―――私の思いは小西が孝志を思う以上のものだった?

……。

―――孝志のこと愛してた?

……愛より好きの方が大きかったのかもしれない。

   孝志と一緒にいると楽しかったよく笑いあった。

   あれ?それだけ?

   なにか残ってる?



「ごめん、本当にごめん」

気がつくと、孝志は何度も謝っていた。

「あっ、もう謝らなくていい…いいから」

「うん…ありがとう。やっぱ彩香は強いよな」


男が別れようとする女によく使う言葉だ。

『君は強いから一人でも大丈夫。でも彼女は…』

孝志もボキャブラリーの少ない男だ…


強い…か。私が強いのは骨だけだよ…カルシウムちゃんと摂ってるから。

足腰は弱いんだけど。


「僕の荷物とか、時間ある日に取りに行くから、家具とかはそのまま彩香が

 使ってくれえてかまわないし…」

「…あ…ん、わかった」

どこかホッとした様子の孝志の顔から視線を外し、会社内の廊下で別れ話を

切り出された私は背を向け、一歩踏み出してから言った。


「孝志?ネクタイ曲がってる…営業なんだから気をつけなよね」



ポケットに入れておいた辞表は、私が望む通り孝志からの別れの言葉を聞いた後、

その日の午後に提出した。




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