(62)亮と彩香…が?
彩香は、次の日から少し痛い腕を我慢し仕事を続け、夜は、亮の部屋で、傷の手当てをしてもらっていた。
ロビーでスタッフと話し終えた俺が、部屋に戻る途中、亮の部屋の前を通ると、
ドアストッパーが挟んであり、少し開いていたので、亮に声をかけようとした。
―――えっ? 女の声? さ…やか…?
彩香と亮の声が聞こえ、黙ったままドアの前に立った。
「ちょっと…痛いってばぁ」
「なんだよ、わがままだな、彩香ちゃん」
「もっと、やさしくしてよ」
「昨日もやさしくしただろ?」
「きゃ~! やだそんなとこ強くしないでよ」
「でも彩香ちゃん色白だよね、七癖隠すっていうじゃん? なに隠してんの?」
「ば~か、そんな余計なこと言わないでいいから。ちゃんとやってよ」
「はいはい。ここ痛い?」
「痛いに決まってるしょ!」
「あんまり動かすなよな。また開いてきたらこまるだろ?」
――― ………。またひらいて……
一昔前のギャグのような会話を聞いた素直な俺は、何かとんでもない勘違いをしてしまったようで、ある。
そのままトボトボと自分の部屋に戻り、ベッドに転がった。
なんだよ…あいつら出来てんのかよ…早く言えよ。
彩香…、深沢は、どうしたんだよ…二股?
つーか、ドア閉めてやれよ…
俺…バカみたいじゃん…
なんで、俺じゃなくて…深沢で…
俺…じゃなくて…亮なんだよ。
俺は、この夜
女を思って、彩香を思って初めて泣いた。
声を出さずに泣くことが、こんなに辛いことだと、初めて知った。
***************
俺は、朝から元気もなく、不機嫌だ。
おとといから、ぜんぜん眠れていない。
亮が声をかけてきても目も合わせず、返事も適当なあいづちだけで、返していた。
「おい、キヨ、今日の悠おかしくね?」
亮がキヨに聞いた。
「そーなんだよ。ずっとあーなんだよなぁ。声出んのかな」
声なんて出るわけもなく…。
その日の歌入れは最悪だった。
何度も何度もやり直しをして、田辺に怒られても、気が抜けた返事しかしていなかった。
「あー、ダメだ。ダメだ。今日はもう止めだ!」
田辺が怒鳴った。
結局その日は、2時前でスタジオから出てきた。
「どうした? 悠」
田辺に呼ばれた。
「いえ、別に…すみませんでした」
「なんかあるなら話せ。このままだとみんなに迷惑がかかる。
おまえ一人で動いているわけじゃないんだぞ」
「はい…すみません。明日からちゃんとやりますので…」
「そっか…?」
田辺からは「少し部屋で休んで来い」と、だけ言い、肩を叩かれた。
……わかっている。
俺一人の所為で、先に進めなくなる。
みんなに迷惑をかけていることは、わかっている。
だけど、どうしてもダメだ。
亮がそこにいることが、俺をボロボロにしていく。
弱いよなぁ、俺…、亮は仲間なのに…。
その日の夕食は、具合が悪いと言い訳をし、ダイニングには行かず、
部屋の中でうずくまっていた。
9時過ぎ、部屋のドアがノックされ、ドア越しから声が聞こえた。
彩香…?
「悠? 大丈夫? 具合わるい? 入るよ」
「入ってくんなよ!!」
俺はベッドの中にもぐって、頭から布団をかけて、怒鳴った。
「もう、入ってきてるよ~ん」
食事を持ってきてくれた彩香が、ベッドサイドに立っている。
―――早っ。忍びか、おまえは!!
ノックの意味が、わからない…。
「どうしたの? 今日はずっと具合悪いんだって?」
「…うっせーな。俺のことは、ほっとけ…」
「なにすねてんのよ。なんかあった?」
なんかあったじゃねーよ。
おめーのせーだよ。
「ごはん、ここ置いておくから、食べられそうだったら食べてよね」
「いらねーよ!」
怒鳴るように言ったが、彩香はテーブルにトレーをおいてから、もう一度俺のところに来て、おでこに、手を当てた。
「ねぇ、熱あるの?……ない…ね。んじゃ、ご飯は食べてよね?」
だめだ! もう我慢の限界だ! はっきりさせてやる!
「彩香! おまえと亮って」
背を向けようとした彩香の左腕を、引っ張った。
「いったぁーーーい!」
「え?」
彩香は涙目になり、腕を押さえた。
「な、なんだよ、どうしたんだよ!」
俺、そんなに強く掴んでない。
……腕?
「見せてみろよ! 腕」
「えっ? なんでもないって!」
俺は怒鳴るように言い、力ずくで彩香の手首を掴み、Tシャツの袖を捲くった。
「……なん…だよ。この包帯…」
「なんでもない」
彩香は頭をかきながら、顔をしかめて、あさっての方向を向いた。
「いつ怪我したんだよ! どうしたんだよ! 亮にやられたのか?!」
「へっ? 亮くん?」
ポカンとする彩香を置いて、俺は、部屋を出て、亮の部屋のドアをバンバンと殴り叩いた。
「うるせ~なぁ。誰だよ」
ドアを開けた亮の顔を、いきなり、思い切り、殴った。
亮はそのまま部屋の中に倒れこんだ。
後ろから付いて来ていた彩香が、目を丸くしている。
「な、なにすんだよ! 悠!!」
頬を押えながら立ち上がろうとした亮の胸倉を、つかんだ。
「亮、テメー彩香に何した!!!」
俺の怒鳴り声を聞いた隣の部屋の誠が出てきて、亮の部屋をのぞき、俺を押さえた。
「お、おまえら! なにやってんだよ!」
「しらねーよ。悠が急に殴りかかってきたんだよ」
亮は、俺の後ろで彩香がたたずんでいるのに、気がついた。
「彩香ちゃん…?」
「あー、なんか、これバレちゃったみたいなんだけど…
どうして亮くんが殴られたかは…わかんないけど…」
彩香は、左腕を指さしながら言い、亮のところに来た。
「亮、彩香になにしたんだよ!」
誠に後ろから羽交い絞めされている俺は、亮に蹴りを入れ、怒鳴った。
「痛てーんだよっ! だからさぁ、なんの話だってーんだろーが!」
「彩香の腕! おまえが…」
「?オレ? あ”?? 何が!」
「……」
彩香も亮も誠もなんのことやらという顔になったが、亮が俺の顔を見て口角を上げ、少し小笑いをし、彩香に小声で言った。
「ちょっと、悠、何か勘違いしてる可能性大だから、部屋戻ってていいよ」
「う、うん…でも…」
「大丈夫だから」
彩香は首をかしげながら、亮の部屋を出た。
三人になり、亮が口を開いた。
「悠は、なんで怒ってんの? オレに、ちゃんと説明しろ。オレがわかるように」
「……」
俺は蛇に睨まれた蛙の状態で下を向いたまま、口を一文字に閉じていた。
「だまってちゃ、わかんねーだろー」 誠に言われた。
「……彩香の怪我…で、亮と…彩香が…で、ムカついた」
「……」
「……」
「ぜっんぜん、わかんねー。おまえの言っている意味が!!
ふくれっ面の時の悠は、いっつも何言いたいのかわかんねんだよなぁ」
誠が呆れた顔で、俺の頭を突っついた。
「亮と…彩香が…付き合ってて…」
「ん、ん? ええー?!」
亮が驚いた。
「え”! 付き合ってんの? 亮と彩香ちゃん!?」
誠が訊いた。
「なんでそーなるんだよ。付き合ってねーよ」
「だ、だって…昨日の…夜」
これ以上ないというくらいのふくれっ面の俺は、亮を睨んだ。
「夜? 夜なんだよ?」
「……」
「あっ…あはは! なんか、悠スンゲー誤解してるかもしんねー。
あのさ…彩香ちゃんと約束したけど、誤解を解くためだ。話すよ」
そういうと、亮は俺を椅子に座らせ、今までのことを全部話した。
「だから、彩香ちゃんは、みんなに気を使われるのがいやで、内緒にしていたんだよ。
オレと彩香ちゃんは付き合ってない! 悠の好きな女をオレが取るわけねーだろーが!
ったくよ」
亮はそういい、笑った。
「なんだぁ? また突っ走っちゃったかぁ? おまえは修平さんか!?」
誠が笑いながら、言った。
「だよな~。最近、修平さんに似てきたんじゃないのか?」
亮がいい、二人が俺の頭をくしゃくしゃとし、俺の頭はキヨの様になった。
このころキヨは、部屋で一人爆睡中。
俺は、亮に謝り、照れ笑いのまま部屋を出て、彩香の部屋に行った。
怪我の言い訳をし始めた彩香に、「バカマヌケノロマ」と、なじったら、
本気で怒り始め、少し前の二人のような言い争いに、なった。
彩香と深沢が知り合う前の、俺たちみたいな…。
俺は、それがなんだかうれしくて、何度も彩香をからかった。