(61)彩香の怪我
土曜日の午後、ほとんどのスタッフが街に出かけて行った。
彩香は、洗濯物を干したあと、そのままそこから見える海を、座りながら見ていた。
彩香を見つけた俺は、隣に腰を下ろした。
「ん? あれ? 悠は出かけなかったの?
みんな、街のおねーちゃんたちの所行ったんでしょ?」
「たぶん…」
「あら! 女大好きの悠は行かないんだぁ」
「あんだよ、その女大好きってー」
彩香と俺は、顔を見合わせ笑った。
「なんかさぁ、海っていいよね~。沖縄に来れてよかった。飛行機は恐かったけどね」
彩香が伸びをしながら、言ったあと、膝を抱え、青いきれいな海に目をやりながら、
俺に訊いた。
「ねぇ、悠は、生まれ変わったら何になりたい?」
「ん? ん~、何だろう…、パ、パンダ…かな?」
「パンダ!? あっははは~! どうして、パンダなの?」
「えっ、だって、なんか特別じゃん? 白と黒っつーだけで、チヤホヤされて」
「ぶっ、はははは~。確かにね。シマウマも白黒なのに、扱い違うもんね」
彩香に、思い切り笑われた。
「彩香は? 何になりたい?」
「私は、鯨かな?」
「鯨? どうして?」
「海を泳いでみたい。そして、地球のいろいろな場所の海を回って、
どこが一番綺麗な水か、見に行く。沖縄の海は今でも青いけど、
人間が生まれる前までの地球の海って、もっと青かったのかな?
今の鯨はしあわせなのかな? 今の地球の…海の中にいて…」
「じゃ、生まれ変わったら、二人で鯨になって、
一番綺麗な海のところで住んじゃおうぜ!」
俺は、自分で言いながら、照れていた。
だけど、本当は、鯨なんかじゃなくて、今すぐ生まれ変わって、深沢になりてー。
海に向かって、そう叫びたかった。
あれ? 彩香…イギリスにどうやって行くんだろう。
船?
何日間かかるんだ?
☆☆☆☆☆
私は、その日の夜、怪我をしてしまった。
夕食を終え、みんなが部屋に戻っていたったあと、次の日の朝食の支度をしているとき、床にこぼれていた水に足を滑らせ、、まな板に手をかけてしまい、乗っていた包丁が、私の左腕を滑っていった。
「っつーーー!」
「どうしたの?!」
げっ、亮くん…
丁度、台所を通り過ぎようとしていた亮が、まな板が落ちた大きな音に気づき、
慌てて駆け寄ってきた。
「彩香ちゃん!?」
亮は、私の腕を持ち傷口を見た。
「大丈夫!? 切れてるよ!」
「ん? げげーーー! 痛い!」
傷口を見た途端、痛みが10万倍襲ってくる。
み、見なきゃよかった…。
というか、ズキンズキンしてきたぁ。
「あっ、大丈夫~ちょっとドジッた!」
「手当てしよう? 救急箱ミーティングルームの隣の部屋だよね?」
「大丈夫だよ、一人で、できるから」
「来なよ」
亮に腕を掴まれ、足早に救急箱の置いてある部屋に、連れて行かれた。
「結構、切れてるよ? 炊事とか無理じゃないの?」
「ん? 平気、そんなに痛くないから…」
怪我をしたのは左腕。
仕事には差し支えないと思い、私は亮に頼んで、みんなには怪我をしたことを内緒に
してもらった。
「…わかった。誰にも言わない。だけど、明日病院に行こう。オレ運転していくから。
日曜日でも診療所で見てもらえるから。な? それが条件だよ」
この日の夜、ズキンズキンと指先にまで響く痛みに耐えながら、浅い眠りに入った。
☆☆☆☆☆
翌日、午前中、私は亮に連れられ、診療所に向かった。
縫うほどではないが、治るのに少し時間がかかるかもしれない、毎日薬を取り替えるように医者に言われ、薬と包帯を貰い、治療後、亮と二人でお昼を外で食べ、宿舎に戻った。
「いよ~お二人さん! どこに行っていたんだい?」
庭先で体を鍛えているキヨが、訊いてきた。
「飯、食いに!」
亮はそのままキヨのところに行き、私は部屋に戻った。
ダンベルを両手に持ち、上げ下げしながらキヨが、亮に言った。
「飯って? 二人で行ったら誰かさんが、ご機嫌ななめになっちゃうよ~ん」
「え? あぁ。悠は?」
「さやちゃんと砂浜で遊ぶって言ってたけど、いないから誠とスタッフで行ったよ。
どうした? 亮。なんかあったか?」
「いや、別に…」
その夜、彩香は隣の亮の部屋へ行き、シャワーを浴びるために腕にビニールを
巻いてもらっていた。
「ほら、出来た。痛いか?」
「ありがとう。んー、ちょっとだけ。普通にしてれば大丈夫」
「今日は日曜日で休みだったけど、明日からの炊事、大丈夫?
なんかあったら言えよ。手伝うから」
「うん! ありがと! ごめんね、いろいろ」
彩香が亮の部屋を出たとき、ちょうど、俺は、部屋に向かって廊下を歩いていた。
なんで彩香が亮の部屋から、出てくんだよ。
足早に彩香に近づいた。
「彩香、亮のとこで、何やってたの?」
彩香は、ヤバイという顔をした。
「あっ、悠…ん? 別に? 明日も朝から走るんでしょ? 早く寝なよね、おやすみ」
(長袖着ててよかったぁ~)
彩香は、そそくさと自分の部屋に、入っていった。
なんだよ! 怪しすぎる。なにやってたんだよ、二人して!
俺は、亮の部屋をノックしようとドアに手をかけたが止めて、自分の部屋に戻りベッドの上で膝を抱え、体育座りのまま、少し彩香のことを考えた。
彩香のことを思っても、どうにかなるわけじゃない。
一人で勝手に恋はできるけど、一人で恋愛はできない。
そんなこと分かりきっているけど、それでも考えてしまう。
アイツがイギリスに行っちゃったら、俺、立ち直れなくなりそう…
なかなか寝付けなくて、ずっと膝を抱えていた。