(57)しあわせは、まだ先…か
バレンタインデーの日。
2日後の沖縄行きを前に、元気モリモリの悠に引き換え、元気下げ下げの私がいる。
飛行機のことを考えると、酸素不足になる。
きっと、悠はレコーディングというより、沖縄に遊びに行く気分なのかもしれない。
ずっと上機嫌に、毎日楽しそうにしていてうらやましい。
私は会議室の机の前で、事務所に届けられたファンからのチョコレートや贈り物、
メッセージカードなどの分別をしていた。
次から次へと届く。
できることなら、ここにあるチョコレートを全部食べて、鼻血ブビブビになって、入院して沖縄行きをキャンセルしたい。
日本がすっ飛んじゃうような台風が来て、飛行機が飛ばなくなっちゃうとか、
メンバーの誰かが………あ~いけない、いけない…変なこと考えちゃった。
日に日に考えが、変な方向に行ってしまっている。
そして、14日の今日、深沢は、イギリスに旅立つ。
11時発の飛行機だから、もう空港にいるはずだ。
クリスマスの夜、プロポーズされた私は、結局その日には、返事を出来なかった。
その夜、自分の部屋のソファの上で、ずっと考えていた。
プロポーズしてもらって即答できない自分。
何もったいぶってんの?
答えは出ているに決まっている。
大した女でもないくせに…。
自分の気持ちに、うそついて、毎日生活しているくせに…。
何泣いてんだろう、誰のための…涙なんだろう。
答えのわかっている自分に自分で質問して、気分が沈んでいった。
次の日、深沢に連絡をしたが年末最終の仕事で忙しく、
会えたのは、深沢が帰省する前日、あと3日で新年という日の夜だった。
クリスマスの夜に言えなかったイギリス行きの返事をした。
深沢さんと一緒になったら、しあわせになれると思う。
私のことを大切にしてくれると思う。
きっと子供とかできたら楽しい家庭を作れると思う。
そんな、シンプルでありきたりな、だけど一番大切な愛の形の構造を話した後、
私は深沢に言った。
「だけど、深沢さんの小指の糸に繋がっているのは私じゃない…。
ちゃんと深沢さんを守ってあげられる自信ないもん」
「…え? 守るって…?僕が彩香ちゃんを守ってあげるよ? 僕は守ってもらわなくてもいいんだよ?」
深沢の言葉はやさしい。
人って、守ってあげたいと思う人のことを、愛しているんだと思う。
君は弱いからとか、何もできないからとか
そういう守ってあげるとかじゃなくて…
いつも一緒にいる安心感。
それが守ってもらっているという、守ってあげられているという、
しあわせの形だと思うから…
私が守ってあげたい人、それは…、深沢ではない。
上手く説明できない私に、深沢はやさしく微笑んでくれていた。
「彩香ちゃん、そういう人いるんだ」
「ん~~、どうだろ? 恋は叶わないのもまた楽しいかも!」
「それ、僕に言ってるの? …あははは~」
二人で笑い合った後、深沢は、ちゃんと家の前まで送ってくれた。
助手席を降り、運転席側に回り、ドア越しに深沢に挨拶をした。
「じゃ、お仕事頑張って! 気をつけて行って来てください」
「うん。彩香ちゃん?」
「はい」
「イギリスに行く前に餞別もらっていい?」
「ん? 餞別?」
深沢は、車の窓から腕を出して、私を引き寄せ、キスをした。
「失恋したてのキスはこんな味なんだ…。それも振られた相手の。僕は今晩一人淋しく枕を濡らすよ。もっと早く出会いたかった…ははは~」
そう言って深沢は、笑顔で去って行った。
自分でバカだと思った。
深沢だけを傷つけて、自分は、少しホッとしている。
私のしあわせ…当分やって来ないかも…。
そしてあの日…、初詣の、帰りのバスの中。
「誕生日プレゼントがほしい」と、悠から、いきなりキスをされた。
ものすごく驚いて、ドキドキして、体が硬直した。
だけど、思った……、深沢のキス、悠のキス。
なにかメンズ雑誌の特集にでも書いてあったとか?
女の扱いみたいなマニュアル本に書いてあるとか?
『物』をもらう代わりに『キス』をすることが…流行っているのか…、男達の間で。
悠からキスをされた時、そんなことを考えてしまった。
そして、お正月を境に悠が少し変わってきている。
私に、憎まれ口を叩かなくなっている。
いつも笑っていて…
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最近、彩香が深沢と出かけることがなくなった。
イギリス行きの支度とかで忙しいのかもしれないが、俺は何も訊かず、ただ普通に彩香との生活を過ごしていた。
バレンタインデーの今日。
仕事を終えて自宅に戻ったのは、夜9時前だった。
バレンタインデーだから深沢と会っていると思っていたのに、
彩香は家にいてソファの上で、雑誌を読んでいた。
俺は深沢の『ふ』の字も出さず…
「俺には?」
「なにが?」
「今日、バレンタインでしょ?」
「うん?なんで?」
―――なんで…って…
「チョコ…あげたんでしょ? 相楽ちゃんとかスタッフのみんなに」
それに深沢にも……
相楽ちゃんなんて、えらい喜んでたし。
「うん、あげた~」
「俺の分は?」
「だってゴーディオンいらないでしょう~? 会議室チョコで埋まってるしぃ」
雑誌から目も離さず、軽く言われた。
「…ゴーディオンじゃなくて…俺…」
マジねーのかよ!
俺は、がっくりと肩を落とした。
「ええ~食べたかったの? 塩チョコ~」
みんなには塩チョコをあげたのか…
いや…塩チョコじゃなくて。
「あっ、じゃ、明日会議室のチョコの中から塩チョコ探してみるね」
ダ、ダメだ……これは…あきらめよう。
「もぅ、いいよ…」
横目で彩香を見ながら、シャワーを浴びに行った。
(そんなに食べたかったのかしら、塩チョコ…)
俺がシャワーを出て、リビングに行くと、彩香の姿は見えなかった。
部屋に入っていると思ったが、彩香の携帯はソファの上にポンと、投げられている。
携帯をつまみあげた。
ポンポコポンランドのホワイトゴールドのキャラクターが、ぶら下がっていた。
付けてくれてるんだ…。
お揃いで買った自分の携帯のストラップと、彩香のストラップをくっ付けてニンマリしていた。
俺は…変態かーー。
と、自分にツッコミを、いれつつ…。
30分ほどして、ダウンを着た彩香が、息を切らしながらリビングに入って来た。
「うーー、さみかったぁー」
「ええ!? おまえ、部屋じゃなかったの?」
「うん。あっ、ほら! 塩チョコ~はい! ハッピーバレンタインデー」
彩香に今買ってきたばかりの塩チョコを、手渡された。
「…え?」
「プエッゼルに行ったら、ギリギリお店が開いてた」
俺はチョコをもったまま、彩香を見つめた。
「さ~て、私は寒いんで、お風呂入ってくるね、あっ、ホワイトデー100倍返しね」
そう言うと彩香は、リビングを出て行った。
俺は、どうすることもできない気持ちになっていた。
自分の心のコントロールが、できなくなっている。
どうしよう。
彩香を深沢に取られたくない。
イギリスになんて行かせたくない。
ずっと思っている気持ちが、もっと、どんどん大きくなっていく。
………塩チョコを一粒口に入れる。
しょっぱいんだか甘いんだか、わかんない味だ…。
(ホワイトデー100倍返しね~)
さっき、彩香が言っていた言葉が、急に頭をよぎった。
………。ひゃ、百倍返し…って? 本気…?