(56)お願いだ、彩香ちゃん!
「えっ!? いやですよ、私…」
私は、おもむろに断った。
正月休暇明けそうそう、私は社長室で、吉田と加山に、お願いをされていた。
2月中旬から、ゴーディオンのレコーディングが始まる。
いつもは都内のスタジオを使っているが、今回は結莉が持っているプライベート・スタジオを借り、泊り込みでみっちりと、レコーディングの予定だ。
場所は沖縄本島。沖縄の空港から2時間ほど移動した所だ。
ホテル跡地を結莉が買い取り、スタジオを作り、音楽向けに改装した。
メンバー、相楽、サポートメンバー、プロデューサー、音響エンジニアなどレコーディングに関わる人間が集まるので大人数になる。
スタジオには管理をしている年配夫婦がいるのだが、炊事洗濯をすべてまかせるには人数が多すぎる。
私に給仕役として参加しろと命令が出た。
「なんでだ?」
速攻に断った私に、吉田が不思議そうな顔で、訊いてくる。
「船で行っていいなら行きますけど…」
「へ?」
「はぁ?」
吉田と加山が、顔を見合わせた。
「デ、デンジャラスちゃんなんか、どう…ですか?」
「ダメだ! あいつは余計な食費がかかってダメだ!」
たぶん食欲なら遙かに私の方が上のはず。
涙目もいいとこ、私の目からは、涙が流れはじめている。
「ひ、飛行機…い、いやでしゅ…」
「でしゅ…って…おいおい。飛行機いやなのか!? 沖縄だったら二時間くらいだからさ!
海も綺麗だし、空も青いよ~ぼくも加山も途中から様子見で2,3日行くしさぁ、
一緒に観光しよう!沖縄料理もご馳走しちゃうよ」
吉田はなぜか、伸びをし、腕をぶんぶん回した。
「…い、いやでし…」
吉田と加山は、お互いに困った顔をした。
飛行機恐怖症の私は拒否し続けた。
過去に一度、中学生の時に乗った飛行機で離陸と同時に気を失い、着陸して意識を取り戻した。別に台風が来ていたとか、エアポケットに入ったとかではなく、ただ単に普通に離陸して安定した空の旅だったのだが、私は地に足が付いていない飛行機が飛ぶという意味がわからず恐怖に落ちた。
そして意識も落ちた。
乗っている間は意識が飛んでいるのだからいいのではないかと思うけど、そういう問題ではない。
飛行機に乗るまでの精神との葛藤は、普通の人では考えられない、くらい私に負担をかけてくる。
だから無理なんです!
「た、たのむよ、彩香ちゃん! 君が行ってくれないとみんな大変なんだよ!」
吉田が拝み、頭を下げた。
「…うっ、うっ」
飛行機を思い浮かべただけで私は、完全に泣き始め、加山がティッシュをくれた。
「そうだ! よし! 飛行機の座席はスーパーシートの真ん中にしよう!
そしたら地上と同じ感覚だ!外も見なくていいし!」
吉田は必死だが、私も必死だ。
「スーパーシートって、席がちょっと広いんですよね…ヒクッ」
「そうだよ~ゆっくり行けるよ~」
「こ、こわい!! 広いの、い、いやだー」
「な、なんでなんでぇ」
吉田は溜息と共に、言葉を失くした。
(そんなに恐いのか…かわいそうに…。しかしだ、いい音を作るために悠には心の安定が必要なんだ。彩香ちゃんと深沢とかいう男のことで落ち込んでいる悠には、彩香ちゃんに一緒に行ってもらわねば困るのだよ。
「俺の横に彩香がいる!俺のいない間に深沢と会う心配はない!」と、
悠は単純だから…絶対思うんだ。万が一、沖縄と東京で離れていたりしたら、
「あぁ今日も彩香は深沢とデートかもしれない…ガクッ」
と、なり、歌に集中できないだろうなぁ。そうなると困るんだよなぁ。
悠のため、吉田プロのためだ! 彩香ちゃんには我慢してもらおう! すまん、彩香ちゃん!)
吉田は悠に甘すぎる。
「頼む!この通り!沖縄に行ってくれ!」
吉田は土下座を始めた。
「……」
「……」
加山も私も驚いた。
「あのあの、社長…私が説得させますので、少しお時間をください」
吉田の行動に加山が戸惑いながら言った。
私と加山は、会議室で話をするため社長室を出た。
うなだれ泣きながら社長室から出てきた私に、みんなが驚いていた。
「どうした? 彩香?」
悠が声をかけてきたが、私は黙ったまま加山の後をついて、会議室に入った。
社長にまで頭を下げられ土下座され、飛行機と吉田プロを天秤にかけ、考えた。
どうしよう…。
飛行機、恐いよぅ。
もし断ったら吉田プロ、首になるよなぁ…。
社長が土下座してるのに断ったら、もうここにはいられない…。
うっ…。
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みんなは何事かわからず心配し、俺は社長室にノックもせずに入った。
「社長―! なんで彩香泣いてんですか!?」
恐い顔で吉田に詰め寄った。
「彩香に何言ったんですか! 何泣かしてんですかぁぁぁ!!」
(オメーのためだろうが! こっちは土下座までしてやってんのに、このアホ!)
俺には吉田の心の叫びは届かず 「あー、いやー別に…」と、口ごもる吉田にさらに詰め寄った。
亮と誠も入って来て、俺を吉田から、引き離した。
吉田から彩香の飛行機恐怖症の話を聞いて、俺はすぐさま立ち上がり、会議室に走った。
「おいおいおい~、行っちゃったよ…」
「あんなに無鉄砲な性格だったか? あいつ」
「なんか最近、修平さんとよく飲みに行ってるんですよね…、なんかアドバイスでももらってんのかなぁ~」
「修平かよ…勘弁してくれよ…」
修平と言う名を耳にした吉田は、苦笑いをし、ガックリと、肩を落した。
会議室のドアをノックし、中に入ると、彩香が俯いたまま、まだ泣いている。
「俺、飛行機の中で隣に座ってやるから、一緒にいてやるから大丈夫だよ」
俺の言葉に、加山は微笑みながら言った。
「ほら、彩香ちゃん、お仕事なのよ、わがままはダメよ」
「…加山さん…もし、もし断ったら…首です…かぁ?」
彩香は、弱弱しい声で訊いた。
「悠だって一緒にいてくれるって言うし、飛行機なんてそんなに簡単に落ちないわよ」
「…おち、おちるとか、言わないでぇ…うっ…」
「でも彩香、絶叫マシーンとか平気だったじゃん?」 俺が訊いた。
「あれは…地に足が…ついている…」
「……」
「……」
加山は、本当に恐がっている彩香を見て可哀想でどうにかしてあげたいが、心を鬼にした。
「とにかく、行きなさい。上からの命令です。彩香ちゃんだって吉田プロの人間でしょ?
スタッフでしょ?上司の命令にわがままは許されないわよ?わかるでしょ?
行かなきゃ、首!!」
加山の厳しい言葉に彩香は、しぶしぶコクンと、うなずいた。
「はい!決まり!そういうわけだから、悠、わるいけど飛行機の中でのお世話係り、
お願いします」
「うん! わかった」
加山は、ホッと肩の力を抜き、ニッコリと笑い、俺たち二人を残して会議室を出た。
「彩香さぁ、マジ恐いんだ。飛行機…」
コクンコクンと、彩香がうなずいた。
―――ははは~、かわいいなぁ。
「俺、ずっと一緒にいてやるから、大丈夫だろ?」
少し間を置き、またコクンと、うなずいた。
―――ククク…おもしれーの。
俺は、4歳年上の女の頭をくしゃくしゃっと、愛しく触った。
「じゃ、今日は亮と誠もいるから、なんか食いに行こうか!」
またコクンコクンと、頷く。
俺は、彩香と一緒に沖縄に行けることがうれしくて、
なんだか楽しくて、
コクコク頷く彩香が面白くて、
『くてくて三拍子』で、何かを言っては、彩香をコクンと頷かせては、笑っていた。