(55)せつない誕生日プレゼント
年が明けて、正月。
3日目、俺は彩香と初詣に来ていた。
彩香は、今年は実家の北海道には帰省しないと言い、東京にいた。
麻矢は「私とオーロラ、どっちが美しいか見に行ってくるわ」と、リチャードと二人ラップランドへ旅行に行っている。
俺は近所の実家に、元旦だけ戻った。
彩香も誘ったが、元旦は約束があるからと断られた。
約束の相手は深沢だと思っていたけど、同郷の友達が上京し会っていたようだ。
昨日、夕ご飯を食べているとき、俺は知った。
深沢が転勤でイギリスに行くと。
「商社野郎と初詣とか、行かないの…?」
「深沢さん、三が日は、実家の田舎に帰ってる。当分日本にも戻れないみたいだし」
「どっかいくの?」
「イギリスに転勤なんだって。プロポーズされた、一緒に行ってくれって。へへっ」
「っ……そぅ…」
彩香の嬉しそうに舌をちょっと出して、はにかんだ表情を見たとき、俺は鼻の奥先がツンとなって、唇を噛んだ。
一緒に行くの?
プロポーズの返事したの?
結婚…するの?
どの質問も答えはわかっていたから…、彩香の口から聞きたくないから、俺はそれ以上の問いかけの言葉を飲み込んだ。
その代わりに言った。
「明日、初詣行かない?どうせ、暇だろ?」
彩香の返事はOKだった。
正月の東京の空は青い。
空気もきれいなような気がする。
町の匂いも変わる。
静かになる。
小さい時から、俺は正月の東京が好きだった。
いつもと違う町になる。
そんないつもと違う町で、彩香と初詣に行き、俺の横で彩香はなにか一生懸命お祈りをしていた。
おみくじも引いた。
二人共『小吉』。
彩香は大吉が出なくてよかったと言い、「小吉はまだまだこれからいいことが沢山ある」と前向きな発言をした。
おみくじを引いていたとき、壁に貼られていた紙を見て、知らされる。
俺は今年…本厄…だった。
そういえば、元旦に実家に帰ったとき、母さんが厄除けのお札がどうのこうのと、言っていたのを思い出した。
知らなくてもよかったよ…厄年なんて。
知っちゃって、今年1年ずっとブルーに過ごすなんてやだよ。
もうすでに昨日、新年そうそう厄年経験しちゃったし…。
「何、落ち込んでるの~?」
どこかに行っていた彩香が戻って来た。
「なんか俺、厄年…なんだって…」
肩を落としている俺の目の前に、青い袋のお守りが揺れた。
「ほらほら、これ持って楽しく1年頑張んなさい~厄なんてね、自分は大丈夫!
って思えば大丈夫なのよ!本当は厄なんてみんな持ってないのよ。
あると思うから悪くなるだけ。気の持ちようよ」
「じゃ、なんでお守りくれんの?」
「えっ……気休め…。悠みたいのがいるからお守りとかお札は必要になるの」
彩香は俺の手の中に、お守りをおいた。
街を歩いて、夕食を食べて、少し距離があったけど渋谷駅まで歩いて戻った。
いつもは車で移動しているけど、今日は久しぶりに電車に乗ってきた。
俺は、駅の改札に向かおうとしている彩香に言った。
「ねぇ、帰りはバスに……しない?」
渋谷から田園調布駅行きのバス。
その路線の途中に俺たちの町がある。
「バスで?」
「俺、バスなんて何年も乗ってないし、たまには乗ってみたい」
「な~んか、お坊ちゃま発言!」
「しょうがねーだろ!車でしか移動してねーんだから!」
「はいはい、お坊ちゃま!かしこまりました!」
俺の誘いに彩香は、白い歯を見せて笑った。
正月だから、バスの乗客は少ない。
一番後ろの席に、並んで腰掛けた。
彩香は窓の外を見ながら、いろいろと話かけてくる。
俺はずっと前を見ながら、返事をする。
時々の乗客の乗り降り。
素通りをするバス停も多かった。
正月だからか…道路の渋滞も全くない。
電車より、もっと時間がかかると思っていたのに。
窓際に座っている彩香が、停車ボタンに、手を伸ばした。
ボタンに掛けようとした彩香の右手を、俺は掴んだ。
「え? どうしたの? 次だよ、降りるところ」
「……俺にプレゼントくれない? もうすぐ誕生日だから…」
彩香の手を掴んだまま、下を向いて、言った。
「プレゼント? ふふ、いいよ~何がほしい? でも次降りなきゃ」
「終点まで……終点までバスに乗っていたい」
「んん? ははは~わかった。いいよ、終点まで行こう~」
彩香は、笑っている。
終点まで、たぶんあと10分もかからない。
だけど、その数分でいいから、俺にください。
左手は彩香の手を握ったまま、右手でポケットに入れてある彩香がくれたお守りを握った。
「悠、子供みたいだね。バス気に入っちゃったんだぁ」
「ん……ずっとこのままで…いたい」
本当のことだ。
終点なんて来なければいい。
だけど、だんだんと近づいてくる。
「ねぇ、彩香、最後にもう一つ…ほしいものがある…」
終点一つ前の停留所を過ぎた時、彩香に言った。
「なに? 渋谷に折り返したいとか言わないでよ?」
そう言って笑った彩香に、キスをした。
俺は体を正面に向けたまま、首だけを動かして、俺の方を向いていた彩香に……
キスをした。
ずっとこうしていたい。
彩香とずっと一緒にいたい。
だけど、絶対その場所から剥がされていく。
俺の思いは、いつも聞き入れられないまま、剥がされていく…。
バスが終点に着き、運転手がエンジンを切ったと同時に、俺は唇を放した。
「彩香…降りよう、着いちゃった」
彩香の手を引き、バスを降りた。
「…悠?」
「俺、謝らないから、キスしたこと。彩香からの誕生日プレゼントだから」
「ん、わかった…。でも安いプレゼントだぁ~ははっ」
彩香はそう言って笑っているけど、安くなんかない。
俺には、安いプレゼントなんかじゃ…ない。
形があるモノなんて俺には要らない。
彩香が、俺のそばにいてくれるだけでいい。
俺が勝手に、無理やりもらった誕生日プレゼントと称したキス。
そして、言えないまま消えていく言葉 『あいしている』
自分の胸に秘めたまま、彩香がイギリスに行くまで、あの家を出ていくまで俺は笑っていよう。
彩香が笑顔でいられるように、俺は笑っていよう…。