(53)プロポーズ
街のざわめきが、おとといより昨日より騒がしくなり、行きかう人達もあわただしくなっていた。
俺は25日の夜、クリスマスの特番で生放送の歌番組に出演していた。
昨日の夜、イブとは打って変わって、俺はどっぷり、頭の上で大雨を降らしている。
彩香は深沢との食事の約束に浮かれながら、俺が家を出る前に何を着て行こうか
悩んでいた。
ハンガーに掛かった二着の服を「どっちがいい?」と、俺の前に持って来ては見せ、
「こっち…」と言うと、今度は俺が選んだ服と、別の服を並べて「どっちがいい?」
と聞いてくる。
「こっち」と言うと、また違う服を持ってきて選ばす。
そんなことを数回繰り返して、最終的には、一番最初に俺が選んだ服が残り、それに決めていた。
俺が「こっち」と選んでいた服は、少し大人っぽい服。
俺はわざとそれを選らんでいた。
彩香には似合わない大人っぽい服。
俺は意地悪だ。
ぜんぜん楽しくない今日のクリスマス。
作り笑いをして、しあわせなクリスマスソングを歌って、テレビの前のみんなに向かって「ハッピー・クリスマス」と祝っている。
彩香は今ごろ、クリスマスタイムインラブ…か。
生放送にも関わらず、ガックリと肩を落とす俺は、誠からいつも通り蹴りを入れられていた。
俺は今、カメラの前で、タイムインブルーだ。
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クリスマス。
いつもより少しだけお洒落をして、少しピンクが濃い口紅を塗ってみた。
ふふっ…似合わない。ガクリッ。
我ながら笑える。
すぐにふき取っていつもの色に塗りなおした。
ちゃんと選んでいるのか適当に選んでいるのか、悠が選んでくれた服は、ピンクの口紅同様、私には似合わない。
それくらい、わかってる。
だけど、私はそれを着て今、深沢と会っている。
いつものようにお洒落なお店で食事をし、ホテルのバーでカクテルを飲んでいた。
「実はね、僕、転勤が決まったんだ」
転勤?
食事をしていた時はそんな話一言も出なかった。
深沢はイギリスに転勤が決まり、2月中には日本を発つ予定だという。
最低3年、それ以上もありうる。
「そうですか…海外なんてカッコイイですね!」
海外…私にはご縁がないところだ。
「それで……彩香ちゃん、僕のことどう思っているか、聞きたいんだ」
どう…って…?
私は深沢の顔を見た。
「僕の気持ちは気がついていてくれているよね?」
深沢はやさしく聞いてくるけど、いつになく真剣な目をしているのがわかる。
「まだ僕たちは知り合って間もないけれど、いつも僕は彩香ちゃんにいろいろ聞いて
いたでしょ?好きな色は何?とか好きな花は何?とかそんな単純なこと、沢山聞いた
でしょ?君のいろいろな事知りたかったから、小さい事でも知りたかったから」
「はい…」
「彩香ちゃんは、いつもちゃんと答えてくれていた。ちゃんと教えてくれた」
そう、深沢は会うたびにいろいろ聞いてきていた。
そして次に会うときには、いつも私の好みのレストランを予約してくれて、私の好きそうな映画のチケットも用意してくれたりしている。
今、私が飲んでいるカクテルも、私が好きなお酒ベースでアレンジしてもらって深沢がオーダーしてくれたものだ。
「だけど、彩香ちゃんは僕には何も聞いてくれてないんだ。気がついてる?
僕が好きな花は何?って聞いて、彩香ちゃんは答えてくれるけど…彩香ちゃんは、
僕には聞き返してくれない。僕の好きな花、知らないでしょう?ははは」
少し淋しそうな笑顔の深沢が、私の瞳の中にいる。
いつもたくさん話をして、それが楽しいと思っていた。
そうだ…私、深沢さんのこと何も知らない。
何も聞こうとしてなかった…。
なぜなんだろう、自分でもわからない。
深沢さんのこと好きなはずなのに…。
好き…?そう好き…。
「今日は、はっきり言わせてもらうよ。……僕はもうすぐ日本を離れる。
一緒に来てもらいたい、イギリスに一緒に…。これからでいいから僕のことを
もっと知ってもらいたい」
まだ知り合って間もないのに突然のプロポーズ、何も言えなかった。
彼に対しての自分の気持ち、本当の気持ちはどうなんだろう。
深沢さんはやさしい。
一緒にいても楽しい。
いつも笑顔でいられる。
きっとしあわせにしてくれる。
だけど、答えが出ない…出てこない。
「僕は彩香ちゃんが好きだよ。大切にしたいと思っている。だから君の返事がほしい」