(38)どうしようもない気持ち
彩香は深沢とのはじめてのデートの後、何度か食事をしに行っている。
いつもタイミングよく俺が仕事でいない夜だったため、食事の支度をしなくても大丈夫な日ばかりだった。
季節は12月に突入した。
彩香はキッチンで夕食の支度をし、俺はリビングで大切なギターを磨きながら、
時々、弦をつまんでみる。
アンプに繋いでいないその音は、今の俺と同じ、膜を張った誰にも届かない鈍い音だ。
彩香に話したいことが、いっぱいある。
新しく特注したギターのことも…
雑誌のスチール撮りの時、キヨが衣装をきたままプールに落ちたことも…
この間、仕事で東北に行った時は、4人でわんこそば早食い大会をして誠が鼻から蕎麦が出て苦しがっていたことも…
亮の愛犬・ポチ子に子供が3匹生まれたことも…
楽しい話…
聞いてもらいたいことだらけなのに。
彩香と話をすると、彩香からはどうしても深沢の話がでる。
深沢と見に行った映画の話。
深沢と行った夜景の見えるレストランの話。
深沢と行ったホルモン焼きやのホルモンがうまかった話。
行った場所や食べ物屋の話で、深沢本人がどーしこーしたって話はしないけど、
全部深沢とのデートでの話だ。
俺は聞くのが辛くて、深沢と行った場所の話なんて聞きたくなくて…
口を開くと彩香への憎まれ口しか出てこなくなる。
情けないのは自分が一番よくわかっている。
磨き終わったギターを立てかけた後、オープンキッチンの中にいる彩香に、向かい合わせの位置から声をかけた。
「俺、明日飲みにいくから晩飯いらね~」
「うん、わかった。あんまり飲みすぎないようにね?」
「ん…」
そして俺は、俯き加減で料理の下ごしらえをする彩香を見続ける。
こんなに近くにいるのに、彩香を見ていることだけしかできない。
たまに二人で食事に行っても、それは恋人同士のデートではなくて、友達同士でもなくて、佐久間悠と櫻田彩香という、ただの男と女が二人、一緒にいるだけの話だ。
彩香の携帯が俺の後ろのダイニングテーブルの上で震えた。
俺はそれを取り彩香に渡したあと、キッチンの中に回り、聞き耳を立てながら
冷蔵庫から水を取り出した。
「もしもし。あっ、うん、今?大丈夫です。何?ん?明日?えっ!!本当?OKOK!
あははは~。オールだね!はいはい。じゃ、明日楽しみにしてま~す」
オ、オ、オールって…お泊りかよ…!!!
少し、体の血が薄まる感じを覚えながら、彩香を見た。
俺、倒れそう…。
足の力が抜けそうになり、冷蔵庫にもたれかかった。
「…だれ…から?」
相手なんて誰だかわかっているけど、聞いてみる。
「ん?深沢さん。明日の夜、約束したの。悠、夕食要らないんでしょ?」
俺に背を向け、うれしそうな声で言われた俺の顔は、どんどん曇っていく。
彩香の横に立ち、シンクに寄りかかった俺は、横顔の彩香を見ながら言った。
「……要るって言ったら?晩飯やっぱ要るって言ったら?」
まただ、自分で自分が嫌になる瞬間だ。
彩香は俯き加減にジャガイモを切りながら、ほんの少しだけ微笑んで言った。
「作ってあげるよ。悠が必要なら作るよ」
「え?」
「で、その後、お出かけ~」
顔を上げいつもの笑い方で少し俺を見て、また、まな板に目を落した。
「はっ、なんだよ、それ。じゃぁさっ、もし俺が夜の10時ごろ飯作れって言ったら?」
「いいよ、作るよ。で、その後、お出かけ~」
「…じゃぁ、深夜12時」
「作るよ。で、その後、お出かけ~」
「じゃ、朝5時に飯食いたいって言ったら?出かけないで……家にいるの?」
「……悠」
こっちを向いた彩香の顔には、少しの笑顔もなかった。
俺に怒っているわけでもない、呆れているわけでもない、困っているわけでもない、
ただ悲しそうな顔の彩香がいた。
「ふっ、冗談だよ…知ってっだろ?俺が朝弱いって…朝飯なんて要らないって…」
彩香から視線を外し、ぶっきらぼうに言った俺はキッチンを離れた。
俺、何をやってんだろ。
ガキじゃあるまいし、ガキ以下だ…。




