(37)彩香、初デート!
最近機嫌の悪い悠と打って変わって、今日の私はご機嫌だった。
水曜日、深沢との約束の日。
悠の仕事は4時に局入りのため、私はお昼ご飯を作り、悠と二人で食べていた。
麻矢はまだ眠っている。
「ご機嫌だよね…?」
「ん?そう?」
「ご機嫌すぎて顔の筋肉が全部下に移動してるよ…パックでもしてから出かければ?
お肌の曲がり角なんて、とっくに過ぎてるんだから。あんまりニヤニヤしてたら
笑いじわとかもできちゃって、商社野郎に振られるのも時間の問題かもね。
っていうか、まだ付き合ってもないんだっけ?はははっ。商社野郎も物好きだよね、
彩香みたいのデートに誘うなんてさっ、どんだけモテない男なんだって、感じだよね」
土曜日から悠はずっとこんな感じだ。
食事をしていてもリビングでテレビを見ていても、私と顔をつき合わすとなにかと深沢の話を持ち出す。
そしていつも、私をけなし最後は会ったこともない深沢をけなす。
私だって会うのは今日が2回目なのに。
何が気に入らないのか、わからない。
私はすでに悠に文句を言う気力もなくなっていた。
言いたいことだけ言って気がすむのなら、それでいい。
☆☆☆☆☆
仕事が終わり、4階に上がる。
深沢との約束の時間までには、悠が言っていたパックをして出かける時間なんて
余裕はない…。
着ていく服は昨日の夜に決めていた。
軽く化粧をしてブラウン系で統一した服に着替え、急いで駅に向かった。
待ち合わせの恵比寿までは、地元駅から20分ほどで着く。
すっかり日も落ちている。
電車の窓に映る自分を何度もチェックしてしまった。
電車の中で少しだけドキドキしている自分がいる。
約束の時間の少し前に着き、駅前に建てられている恵比寿さまの像の前で深沢を
待った。
七福神の一・恵比寿さまは漁業の神さまだが、「釣った獲物は逃がさない!」などと
この際、何でもいいのでご利益を授かろうと、何気なく撫でまわしていた。
「彩香…ちゃん?」
恵比寿さまの持っている『鯛』を触っている時、後ろから声を掛けられ、振り向くと笑いを堪えている深沢の姿があった。
「…こ、こんばんは」
はずかしい…苦笑いで挨拶するのが精一杯だ。
「ごめんね、待たせちゃって」
時計を見ると2分だけ過ぎていた。
本当は時間きっかりに着き、私を見つけたらしいが、恵比寿さまを撫で回している姿がおもしろかったらしく、少しの間、後ろに立って見ていたという。
人の事は言えないが…深沢さん、もしかして、悪趣味?
レストランを予約してあるからと言われ、イタリアンのお店に行った。
はじめて会った時は、人数も多かったのでお互いあまり話をしなくて、少しクールな微笑み方をするイメージだったが、二人きりで話す深沢は気取るわけでもなく、会話は楽しかった。
シェアした料理も彼が取り分けてくれ、行動のスマートさにイヤミがなく紳士的だ。
女心を全て持っていかれました…
悠のような上から目線の男がいつも近くにいると、その反動で深沢みたいなレディーファーストの男性にフラフラと吸い寄せられるのに時間はかからない。
海外出張が多く、仕事も忙しいからあまり女性と出会う機会がなく、この間の飲み会に参加できてラッキーだったと言っていた。
それは私と出会えたことでしょうか…などと、冗談でも聞けるわけもなく…。
この日、いつもの自分を少しだけ隠して大人の女を気取っていた。
ただ、すっかり忘れていたことは、恵比寿さまをこねくり回している姿を見られていた
ということだ。
10時半近くまで食事を楽しみ、深沢がタクシーで家まで送り届けてくれた。
「また、誘ってもいいかなぁ」
「はい、もちろんです。私はだいたい6時には仕事も終わりますし、それに大した仕事も
してないので深沢さんのお仕事の都合に合わせますので、いつでも連絡ください。
待ってます」
悠のご飯作りの仕事より、深沢の誘いを優先しよう。
「うん、ありがとう。次に会えるのを楽しみにしているよ」
さわやかな笑顔を私の心の中に放り投げ、深沢はタクシーで去って行った。
はぁぁぁ…、格好いい…。
はぁぁぁ…だけど、緊張して…疲れた…。
デートってこんなに疲れるもんだったっけ…
二種類の溜息をつき、麻矢も悠もまだ帰って来ていないリビングの床に座り込んだ。
ものすごく久しぶりの大人の男性との二人きりの時間に、私は神経を使いすぎたようだ。