(2)君が見上げている空の先は…
「お帰り」
俺は改札から出てきた麻矢に声をかけた。
「あら~ん、お迎えありがとう~って、なんで傘?!車じゃないのぉ~?!」
相変わらず色っぽい声でのご挨拶。
「傘を持ってないから駅まで迎えに来て」と、お願いされた麻矢に
「1メーターなんだから、タクシーで帰って来い」
と言ったが無駄使いはしたくないと、午後10時を過ぎたこの土砂降りの雨の中、
俺を呼びだしたわがままな奴だ。
車で来ると思っていたらしいが、あいにく俺は家でビールを飲んでいた。
麻矢が俺の手から自分のピンクベースの小さな花柄の傘を取った時、
「あのさ、俺の傘で、相合傘で帰んない?」
俺はもう一本の黒い傘を少し持ち上げて麻矢に見せた。
「え"?」 と麻矢の鈍い声。
「あの子に麻矢のその傘貸してあげてもいいかな?」
そう言った俺の目線の先にいる黒髪ショートボブの女性を見た麻矢の顔が、不機嫌に
なる。
俺が駅に着いた時、傘を持っていないのか、彼女は空を見上げたり、行き交う人を
見たりしていた。
誰かが迎えに来るようでもなさそうだし、駅から一歩も踏み出そうとはしていない。
俺はそんな彼女を見ていた。
すぐに麻矢の傘を貸そうかとも思ったが、勝手に貸すと麻矢のご機嫌がななめになる
のは、目に見えている。
とりあえず、麻矢と会うまで彼女がこの場所にいたら貸そうと思っていた。
「ええ~この傘貸すのぉ?お気に入りなのにーー!っていうか、知り合いでもなんでも
ないんでしょ?あの子!だったら悠の傘貸せばいいじゃない」
麻矢は、少し口元を突き出しゆがめて俺を見た。
「おまえの傘じゃ無理だよ、二人で入って帰るなんて…小さいもん」
「……」
麻矢が俺を睨み始める。
「ん?ダメ?」
「はぁ…もぅ~しょうがないなぁ~」
少し頬を膨らませながらも、麻矢は俺にピンクの傘を渡してくれた。
「サンキュ!」
膨れたままの麻矢を残し、俺は彼女のところに行った。
なんて声をかければいいのかわからないまま、彼女の目の前にいきなり傘を
差しだした。
前を向いていた彼女は、ものすごく驚いた顔をして俺のほうを向くと、
目をパチパチさせ、何かを言おうとしているのか口がパクパクと動いた。
俺はおかしくて思わず笑ってしまい、耐えきれず傘を彼女の腕にかけてその場を
あとにした。
「お待たせ」
ニヤついて戻ってきた俺に、
「悠?あの傘返してもらえるのかしら?」
麻矢がチラッと彼女の方をみて言った。
彼女はボケッと俺たちを見ている。
「ほらほら~帰ろうぜ。タクシーで帰る?」
「歩きに決まってるでしょ!!」
俺は黒い傘を差し、麻矢の肩に手をかけ、相合傘で駅を離れた。
「悠、新しい傘買ってよね」
「ぇぇ?じゃぁ、あれ買ってやるよ」
俺は通り道のコンビニの店先に出ていたビニール傘を指さした。
「冗談でしょ?乙女がビニール傘なんて!」
なにが乙女だ…傘なんてビニール傘で十分だろ。
外出時の麻矢はおしゃれにうるさい。爪の先1mmにも気をつける。
今も、雨で足元がビショビショになっていることにイライラしているに違いない。
かといって、タクシー代をケチる。
その矛盾が俺には全くわからない。
「でさぁ、なんであの子に傘貸したかったわけ?とびきり美人ってわけでもないしぃ、
どっちかっていうとマンガチックな顔つきよね?四コマ的な?髪型もボブっていうより
マッシュルーム…きのこじゃない?シメジ…」
麻矢はそういうと、彼女の顔を思い出したのかプッと吹き出した。
四コマ的なマンガ顔…ひどいこと言うよなぁ麻矢って…
そういう俺も少しばかり彼女の顔を思い出して、口元が緩んだ。
「私とあの子じゃ、月とすっぽん!丹頂鶴とミミズくらいの差よね?ね?ね?」
俺の顔を覗き込んで同意を求めるのはやめてくれ、返事に困る。
で、どっちがすっぽんでミミズ…?
そんなことを真顔で聞き直したら、たぶん俺はこの場で傘を取られ、
ポケットに突っ込んである家のカギを奪われ、蹴りを入れられ置いてきぼりに
され、最終的には、明日麻矢が目覚めるまで家には入れない。
前科があるので言動には気をつけている。
女性に対する麻矢のこの対抗意識は恐ろしい。
幼稚園からの付き合いだ。こいつの性格はよくわかっている。
麻矢自身がかわいいとか、綺麗と思った女性に対して麻矢はいつも自分と比べて、
相手の女性をけなし始める。
改札の彼女も麻矢にとっては、かわいい部類の女の子だったに違いない。
そして素直に彼女へのジェラシーをさらけ出す。
駅から8分ほど歩いたところにある自宅に着くと、麻矢は玄関ですかさずスカートを
めくってストッキングを脱ぎ始める。
こういう行動に俺はいつも呆れてしまう。目のやり場に困るし。
「な、なにもこんなところでストッキング脱いで行かなくてもいいじゃん?」
「もーー、ビショビショなの!!足も肩も!!もーー、雨!きらい!」
そう言い、素足になりそのまま浴室につかつかと入っていった。
リビングに向かう俺の背中に何かがぶつかった。
麻矢が投げたタオルだ。
「私が先にシャワー浴びるから、とりあえずそれで体拭いておきなさいよ!」
プリプリしながらも一応やさしさを持ち合わせているのが麻矢のいいところなのかも
しれない。
麻矢と同居を始めて2年。
二人ともこの町で生まれて育ったが、麻矢は20歳の時、実家を出て爺ちゃんの所有する
4階建ての建物の4階フロアを改装し、一人暮らしを始めた。
俺は大学を卒業した後、実家にいてもよかったのだが、仕事上不規則な生活になり、
一人暮らしをしている麻矢のところに転がりこんだ。