(14)本当は魔夜さんですか?
麻矢のお店で気を失って、前日同様お姫様ベッドで目が覚めた私は、
麻矢への誤解も解け、結局遅刻して会社に行った。
そして、その週の日曜日、孝志は予定通り残りの荷物を取りに来て、
お揃いだったキーケースに付いたままのカギを私の手の中に残し、出て行った。
私が会社を辞める頃、暑さも落ち着き、窓を開けていても夜風が気持ちいい季節に
なっていた。
時折、麻矢のお店に友達と一緒に行ったりしていたが、悠とは会うこともなく、
私は次の仕事を見つけることと、この部屋を引き払おうと物件探しを始めることなどで
精神的には、忙しい日々を送っていた。
が、このご時世…簡単に正社員の仕事が見つかるはずもなく、
その日もカフェのテラス席に座り、
テーブルの上に就職誌を置き、行きかう人の流れを見ていた。
頼んだカプチーノも冷めている。
自分以外の人が、みんなしあわせそうな顔をしているように見えてくる。
田舎帰っちゃおうかなぁ…
でも、お兄ちゃん夫婦がいるからなぁ、あの家には住めないよなぁ。
お見合いでもしちゃおうかなぁ…
でも、お母ちゃんの持ってくる見合い相手は農業の人ばかりだしなぁ。
農業なんて大変な仕事だしなぁ…自称・足腰弱い彩香だし……
結婚してもすぐに離縁されそうだ。
深い溜息をつき黄昏ていた。
「ん~?お仕事お探しかしら?」
横を向くと麻矢が座っていた。
「うわぁぁっ!!」 思わずのけぞってしまった。
「やっだぁ~シメジ、びっくりさせないでよ、大きい声で」
驚いたのはこっちの方だ。いつの間に…
「で?見つかったのかしら?お仕事!」
「まだです…なんか全然ないんですよね。高望みなんてしてるつもりないのに…」
「そう…。あら?これは?」
麻矢は、テーブルの上に一緒に置いておいた賃貸雑誌を手に取った。
「住まいも探し中。今のマンション、孝志と一緒に借りたし、家賃も結構するから
一人じゃ住めないし、引っ越そうと思って」
「ふ~ん。家賃はいくら位のところ探してるの?」
「7~8万位。郊外に行けば余裕であると思うし、でも先に仕事見つけなきゃ」
「この町から出て行っちゃうの?ここら辺で7~8万、無理なお値段よね」
麻矢は残念そうな顔をしてくれたが、この地域は高すぎる。
都内の中でも高級の部類に入る。
「最悪田舎に帰ってお見合い~なんていうのも考えてるんですけどね、へへ」
「あはは~お見合いねぇ~。そうだ、お夕飯食べに来ない?」
今日は月曜日。麻矢はお休みの日だった。
商店街を抜け、並木道沿いの麻矢の自宅に着くまでの間、麻矢は何人かの人と
挨拶を交わしていた。というか、向こうから声をかけてきている感じだった。
「麻矢さん顔広いんですね。みんな知り合いみたい」
「ん?この町で生まれて育ってるからね。悠だってそうよ。昔から住んでいる人は
みんな知り合い!シメジだって実家に帰ればご近所の人たちみんな知ってる顔で
しょ?」
ごもっともです…
家に着くと、麻矢の自宅ではない方の玄関のドアを開けた。
玄関のところには、「何人家族なんだ」と言うくらいの数の靴が並んでいる。
「麻矢さん、兄弟多いんですね…」
私は靴を見ながら言った。
「……バカなこと言ってないで、早く上がりなさい」
麻矢の後に続き、2階に上がると『音楽部』と書かれたドアと『タレント・俳優部』と
書かれたドアが並んでいた。
『部』?クラブ活動?なんの?
麻矢が『音楽部』のドアをノックもせずに開けると、部屋にいた4人ほどの女性が
みんな麻矢に挨拶をした。
近くにいた女性に「吉田社長来てる?」と、なんだか偉そうに聞く。
麻矢の偉そうな態度はいつものことだが、女性は麻矢に丁寧に受け答えをしている。
…そうだ、私も麻矢に対しては敬語で話している…不思議だ。
本当に麻矢は25歳なのだろうか。
本名は『魔夜』だったりして…
自称25歳で、実は300万年くらい前からずっと生きているのかもしれない…
などと馬鹿なことを考えさせるほど麻矢は不思議な人だ。
「シメジ?さっき、求職誌に履歴書挟んでたでしょ?それ、頂だい」
ええ?!いつの間にチェックしたの?!
…300万年とは言わないが確実に10万年くらいは生きているに違いない。
言われるがまま履歴書を取り出し麻矢に渡した。
「こっち、付いて来て」
なにがなんだかわからなくて恐いし、ビビリながらも麻矢にぴったりくっ付いて歩いた。
一番奥にある部屋のドアを叩くと、中から男性の声が聞こえ、麻矢はドアを開けた。
「吉田ちゃん!」
「おぅ!どうした?麻矢。おまえがここに来るなんて珍しいなぁ」
麻矢は50代半ばほどの男性を『ちゃん』付けで呼んでいる。
「ねぇ、この子どう?」
親指をクィックィッと、私に向けながら吉田ちゃんとやらに言った。
ええっ!!この子どう?って…身、身売り…?
私の頭の中には『ドナドナ』のBGMが流れ始めた。
海に沈められるよりはいいのだろうか…気を失いそうだ。
「シメジ?…シメジ?どうしたの?」
「ドナ…ドナァァ~」
「……はぁ?なにまたバカなこと言ってるのよ。まったく!」
バシッ!!!
と、麻矢に頭を叩かれて魂が戻ってきた。
「こちら吉田プロダクションの社長の吉田ちゃん」
「え?」
「え?じゃなくて、シメジ仕事探してるんでしょ?ここに就職どう?」
だんだんと情況が飲み込めてきた。
吉田プロは芸能プロダクションだった。
音楽部は3組のミュージシャンが在籍し、タレント部には10人ほどの芸能人がいる。
最近パートで働いていたおばちゃんが辞めたため、音楽部の事務兼雑用の求人を
探しているらしい。
今回はパートではなく正社員を探していると言う。
仕事内容は、これと言って難しくはなく、ほとんどが雑用のようだが、
提示されたお給料額はそこそこよかった。
吉田社長が一応私の履歴書に目を通したが、
「麻矢の連れてきた人間なのだから間違いはないだろう」
という、ほとんど面接もせず、いとも簡単に採用されてしまった。
そして、麻矢に連れられ、そのまま事務所にいるスタッフに紹介され、挨拶を済ませた。
この業界のこともわからない、ほとんど興味のない世界だけど事務兼雑用なら
深い知識は要らないよね…、とりあえず仕事見つかってよかったんだよね…と、
自分に言い聞かせ、2日後から出社することになった。
その夜、就職祝いと称し、麻矢と二人でお寿司で祝った。
麻矢のひいたレールの上を歩きはじめているような、そんな気がしている。