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【ハイファンタジー】知らぬが聖女

 彼女は今、人生を左右する重大な選択を迫られていた。

 目の前にある黒い箱を開けるか否か。

 すなわち、十字架を背負う覚悟があるか否か、だ。


「聖女様……本当に、よろしいのですかい?」


 カウンターを挟んで向かいに座るローブ姿の老婆が再度、彼女に問う。

 普段なら店の雰囲気も相まって怪しげなオーラを醸しだす老婆だが、その日は怯えるように声が震えていた。


「うちは【記憶屋】じゃ。お客さんから預かった記憶を保存し、要望があればそれを返却する。……じゃがの、ときには思い出さない方が幸せな記憶だってあるもんですぞ」

「……はい」

「ワシには分かりますぞ、聖女様。この箱に眠る記憶はまさに悪じゃ。かつて貴方が預けたこの記憶が戻れば、貴方自身にとてつもない悪影響が」

「覚悟の、上です」


 老婆の言葉を、聖女は硬い表情で遮った。

 だが老婆もそこで引くことはなく、続ける。


「聖女様、貴方はまさに聖なるお人じゃ。魔獣に襲われたいくつもの村の復興を手がけ、何千人という子供達を飢餓から救った。そんな貴方が悪の記憶に染まるのは……いくらお客とはいえ、見過ごせんのじゃよ」


 彼女も分かっていた。自分の知らない悪い過去を直視するなんて、誰だって怖い。

 ともすれば、今の自分とは別人になってしまう可能性だってあるだろう。

 場合によっては極悪人に変貌することだって。

 ……それでも、


「私、いつも子供達に言い聞かせているんです」


 聖女は言葉を紡ぐ。まるで自分に言い聞かせるように。


「人は弱い自分を認めることで強くなれるんだって。自分のいい部分だけじゃなく、悪い部分も認めてあげてって。なのに私自身が悪い自分を受け入れられなかったら、聖女失格じゃないですか」


 聖女は震える手で黒い箱を引き寄せる。


「私、開けます。これを開けられなくちゃ、助けた子供達に顔向けできません」

「……信じてよいのですな、聖女様のこと」


 老婆は聖女の目をまっすぐ見つめた。

 その瞳に何かを感じ取ったのだろうか。


「貴方はお強い人じゃ」


 老婆は頷き、それ以上口を開くことはなかった。


 一度失った記憶を元に戻せば、後戻りできない。

 それでも、聖女は目を閉じてゆっくり深呼吸すると、箱のふたに手をかけた。

 そして、箱から光がこぼれると同時、聖女の脳裏に失った過去が蘇る――



























 その日、とある寒村の外れで一筋の落雷があった。

 その光は膨大な魔力を伴い、海を駆け、森を駆け、大地を駆け、全世界へと凶報を告げる。






 闇の魔女は復活した。

【お題:雷、十字架、悪の記憶 テーマ:闇堕ち 文字数:1000字】

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