ちょっとした仕返しと新たな装い
顔面を狙って突き放たれる拳を躱しつつ、常に一定の間合いを取る。
打てども打てども殴れないギースは、痺れを切らして大振りに拳を振るう。
それを潜るように避け、すれ違い様に背中へ裏拳を叩き込む。
「うわっ」
体勢を崩したギースは立て直そうと体をひねるも間に合わず、背中から訓練場の床に倒れ込む。その致命的な隙を狙って跳び、全体重を乗せた足をギースの顔面に振り下ろす。
振りをして、そのすぐ横の地面を踏みつけた。
「……はぁっ……踏みつけられるかと思った」
「この前、殴られた仕返しだよ」
手を差し出してギースを立ち上がらせる。
「よし! いいぞ、ツバサ! 見違えるようじゃないか!」
「ははー、それはどうも」
内心、固有魔法のことがバレやしないかとハラハラしながら、生徒達が座っている観覧席に戻った。
「やるじゃん、ツバサ」
「感覚強化って実は強い説あるな」
「もしかして当たりか?」
どうやらバレてはいないみたいだ。
「かもな」
街の自警団マスカレードに仮所属することになってから二日が経った。
固有魔法が原因で人攫いに狙われるかも知れないため、たとえ学校の中でも当初の嘘を突き通さなければならない。
固有魔法を感覚強化と偽ったのは気まぐれに近いものだったけれど、今となってはそれが功を奏している。
すくなくとも肉弾戦に限れば、攻撃を躱し続けられる理由にはなる。
「次、始めるぞー。名前を呼ばれたら席を立てー」
教師によって二人の名前が呼ばれ、次の模擬試合が始まった。
みんながそれに視線を向ける中、俺は前方の席に座っているイナを見ていた。
集団からすこし離れた位置に座り、物静かに模擬試合を眺めている。
そう言えば模擬試合でイナが戦っているところを見たことがないな。
「――手加減するの……面倒、だから」
放課後、下校しながら模擬試合になぜ参加していないのか本人に聞いてみたところ、そんな答えが返ってきた。
「……それに、正体がバレると……困る」
「まぁ、それもそうか」
特にイナの場合は戦闘になると性格が豹変してしまう関係上、これ以上ないほどにわかりやすく正体を宣伝することになる。
だから適当な理由を付けて、実技の授業を避けているのか。
「でも……補修……すごく、面倒」
「一長一短だな」
イナも苦労しているようだ。
「ところで、新しいアジトはこの辺なのか?」
「うん……あと、もうすこし」
イナと一緒に下校しているのは、新しいアジトの場所を教えてもらうためだ。
当初のアジトは襲撃によって破壊されたため、ほかの場所に居を構えたらしい。
「こっち、だよ」
案内されて人気のない路地へ。
しかし、その先は袋小路で道が繋がっていなかった。
「イナ?」
もしかしてここがアジトか? と首を傾げてイナの名前を呼ぶ。
「チェンジ」
するとイナは魔法を唱え、服装を学生服からパーカーのような戦闘服に装いを変えた。
「学生服のままだと……正体がバレるかも、だから」
フードを目深に被り、イナは仮面を被った。
「変装か。たしかに必要だな」
このままの格好でアジトに入るのは危険だ。この前のように敵に位置が露見した時、同時に正体までもが暴かれかねない。
俺もイナに習って魔法を唱え、学生服を異なるデザインへと変更する。
とはいえ、イナのようなきっちりとした戦闘服ではなく、ただのパーカーファッションだけれど。
「じゃあ……行こ?」
「あぁ」
返事をすると、イナはその場から大きく跳躍した。
重力を感じさせない動きで路地の壁を蹴り、袋小路を抜けて建物の隙間を縫って駆ける。
俺もフードを目深に被り、仮面を装着して魔法を唱えた。
「アイル」
背中に風翼を生やし、地面に風を叩き付けて飛翔し、イナが通ったルートをなぞる。
風の最上級魔法とだけあって、ただ飛んでいるだけなら障害物を躱すのはたやすい。
入り組んだ迷路のような狭い空間をすり抜けて飛び、時折現れる配管やら支柱などを躱して突き進む。
そうして路地を抜けると、ぽっかりと空いた空間に出る。イナもそこで立ち止まっていた。
「ここが?」
「うん……この、下」
イナがそう言った瞬間、足が沈み始める。
「わっ、なんだこれ」
まるで泥沼にでも嵌まっていくように、土と砂の地面に沈んでいく。
背中の風翼を羽ばたけば脱出できるだろうが、一緒に沈んでいるイナは微動だにしていない。たぶん、これが新しいアジトに入る正当な方法なんだろう。
「蟻になった気分だ」
そうして蟻地獄の中へと引きずり込まれた。
§
「これ大丈夫? 俺たちのこと殺そうとしてない?」
蟻地獄を抜けると底の見えない縦の通路に落とされた。
「大丈夫、だよ」
自由落下の最中であってもイナは冷静だった。
まぁ、いざとなったら飛べるから問題ないけれども。
それにしたって心臓に悪い入室法だ。
「底が見えてきた」
通路の終わりが目で見えるくらい落ちると、目に見えて落下速度が減少する。なんらかの魔法が作用しているんだろう。着地に問題はなく、足を折ったり膝を壊したりすることなく、アジトに入室することができた。
「便利なもんだ」
感心しながらも仮面を外してアジトの奥へ、イナが扉を開いた。
その先にある部屋は広く造られていて、見た目の印象は物置か倉庫と言ったところ。壁際には廃車となって久しいであろう二階建てのバスが鎮座していた。
「ここが新しいアジトか」
コンクリートの支柱が規則正しく並んでいて天井付近の窓から地上の光が漏れている。
誰にも知られていない秘密の空間って感じがして、すこし胸が躍った。
「よう、来たな」
廃車のバスが微かに揺れて、ウィルが下りてくる。
その逞しい腕には段ボール箱が抱えられていた。
「ようこそ、新しいアジトへ」
そう言いながら段ボール箱を俺の目の前におく。
「これは?」
「お前さんに必要なもんだ」
「俺に?」
膝を折り曲げて中身を確認する。
「そいつに入ってるのは連絡用の無線機とか、人攫いに関する資料なんかだ。どの地域が攫われやすいとか、奴らがよく姿を見せる場所とかを書いてある」
「なるほど」
たしかに必要なものばかりだ。あとで読み込んでおかないと。
「ん? これは?」
段ボール箱の中から引っ張り出したのは、一枚の絵だった。
イナが身に纏っている戦闘服のような衣装絵が描かれている。
「お前さんのコスチュームだよ。正義のヒーローと言えばコスチュームだろ?」
「コスチュームって……まぁ、派手な奴じゃないからいいですけど」
パーカーをデザインモチーフにしているからか、衣装は現代に則した現実的なもの。これを着ることにあまり抵抗はないけれど。
「でも、着る必要あります? これ」
「ある。まず一目で敵味方を識別できるだろ? あと私服で戦ってると服装の傾向から身元が割れる、かも知れない」
「かも知れない、ですか」
まぁ、でも、言っていることは理に適っている、のかな。
「いいじゃねぇか。俺たちは街を守るヒーローなんだ。それらしい格好も必要だろ。それにその仮面だってそうだ」
「仮面が?」
「お前さんたちの国じゃ、正義のヒーローは仮面を付けてるもんなんだろ?」
「あぁ、そう言えば……」
でも、俺が正義のヒーローか。
そんなこと今まで考えもしなかったな。
「ほら、着替えてみな」
「今ですか?」
「そうだ。ほら」
促されて衣装絵に目を落とし、魔法を唱える。
身に纏う服装が更新され、黒を基調とした赤い装飾の走る戦闘服に身を包む。忘れずに仮面も装着し、最後にフードを目深に被った。
「ど、どうかな?」
「あぁ、いいぜ! とんでもなく似合ってる」
「うん……格好いい、よ」
「それはよかった」
まぁ、仮面で顔も隠れているし、誰が着てもそんなに変わらないんだけれど。
「ん? ちょい待ち」
お披露目も終わってフードと仮面を脱いだところで、誰かからウィルに連絡がくる。
「あぁ、わかった。すぐに行く」
その返事の声音は険しいもの。
「早速、そいつの出番が来たぞ」
「って、ことは」
「あぁ、人攫いが出た。いま仲間が交戦してる」
また戦いになる。
「行きましょう。すぐに」
「あぁ、そう来ないとな! イナ」
「うん……準備、オッケー」
それぞれ仮面とフードを被り、戦っているという仲間の元へと急いだ。