仮面の女は高く跳ぶ
アップグレード。この固有魔法を色々と試してみて、わかったことが幾つかある。
まず自分以外にこの魔法を使用すると時間をおいて元の状態に戻ってしまうということ。これがわかった時はひやりとしたものだけど、自分に関することなら時間制限はないらしい。
次に自分や物だけでなく、魔法にも影響を及ぼせるということ。
初級魔法をアップグレードすれば中級魔法に、中級魔法をアップグレードすれば上級魔法に、そして上級魔法をアップグレードすれば最上級魔法に性能を向上させることが出来た。
「――アイル」
最上級風魔法を唱え、背中に風の翼を生やす。
そのまま風翼を羽ばたかせると、自分の体が意図もたやすく地面から浮く。
「ははっ。最高!」
星々が輝く夜空を飛び回り、街の輝きを眼下に納める。
眺めはまさに最高の一言で、夜風を突っ切る感覚が心地よかった。
「はぁ……嫌なこと全部、吹っ切れそうだ」
固有魔法のお陰で状況が一変した。
今この街にいる誰も、俺がこの夜空にいることを知らない。それがたまらなく愉快で、世の中こんなに楽しいことだらけだったなんて信じられなかった。
「どこまで高く行けるかな」
仰向けになって飛行し、夜空を見上げて物思いに耽る。
もしかしたら宇宙が見えるところまでいけるかも。
そんな風に考えていると携帯端末に着信が入ったのでポケットから取り出した。
「あんた、どこまで散歩に行ってるの!? 今何時か言ってみなさい!」
耳に当てると怒鳴り声が響いて来た。
「やっべ、時間忘れてた!」
そう言えば散歩してくるって言ったままだった。
「直ぐに帰るよ、じゃあ!」
「あっ、ちょっ」
これ以上、怒鳴られないように通話を切る。
その分、帰ってからどやされそうだけど、まぁしようがない。
「急げっ」
風翼を羽ばたいて加速して一気に地上へと急下降する。
そのあとすぐ家に帰ったが、母さんの説教は免れなかった。
どれだけ性能を向上させても母さんには叶わなそうだ。
§
翌日の朝。
「よう、大器晩成型」
「お前、それしか言えないのか?」
いつものようにクラスメイトにからかわれる。
「まぁ、たしかに大器晩成型かもな」
「ん? ってことはもしかして……おい、みんな! 注目! ついにツバサの固有魔法の発表だぞ!」
教室中に響き渡るような大声で言うものだから、クラスメイトのほぼすべての視線を向けられる。
「注目されても大それたもんじゃない。ただ感覚が鋭くなるだけだったよ」
俺は嘘をついた。
「なーんだ、滅茶苦茶普通じゃん」
みんなもそれを疑問に思うことなく、納得してくれた。
隠した理由に大それたものはない。ただもうすこしだけ一人でひっそりとアップグレードを楽しみたかっただけだ。俺が夜空を飛び回っていたことを、この場の誰も知らない。それがよかったんだ。
「つまんねーの。はい、解散」
みんなからの注目が外され、俺はようやく自分の席に辿り着く。
椅子を引いて腰を下ろし、机の上に頬杖をついて何気なく黒板に視線を送る。
その時、驚くべきことが起こった。
「……あの」
あの無口な女子生徒イナが話しかけてきたのだ。
「……これ」
差し出されたのは、可愛らしくラッピングされたクッキー。
「昨日の……お礼、です」
「あ、あぁ、どうもありがとう」
「ん……」
面食らいながらもクッキーを受け取ると、彼女は何事もなかったかのように着席する。
「おいおいおいおいおい!」
瞬間、それを目撃していた仲の良いクラスメイトが声を上げる。
「なんだなんだ? おい。それはなんだ?」
「どういう意味のクッキーだ? それ」
「ちょっと説明してもらおうか」
ここぞとばかりに押し寄せてきた。
「なんでもいいだろっ、席に座ってろ!」
「座れるかよ、そのクッキーの謎を解き明かすまではな!」
「うるせぇ! 静まれ! そして散れ!」
そんな風に言い合っていると、救いのチャイムが鳴り響く。
クラスメイトたちは渋々といった表情で席に着いた。
今日これほどまでにチャイムに感謝した日はない。
そして次の休み時間、俺は開幕ダッシュを決めて教室から離脱した。
「逃がすな! 追え!」
そんなやり取りが一日中続いたのだった。
§
「今日は疲れたなぁ」
イナからもらったクッキーをかじりつつ、星を眺めながらゆったりと飛行する。
「あ、うま」
クッキーの味はなかなかどうして悪くなかった。
「たまには良いこともするもんだな」
また一つクッキーを取り出し、空中に投げて口を開ける。
しかし丁度良く吹いた夜風で着地点が狂う。
「あで」
落ちたクッキーが額に当たり、そのまま真っ逆さまに夜の街へと落ちていく。
「いっけね。もったいない」
すぐに風翼を羽ばたいて加速し、落下するクッキーを追い掛けた。
ぐんぐん加速してクッキーにおいつき、建物の屋上に接触する寸前に掴み取る。それと同時に風翼を羽ばたいて落下の勢いを殺し、無理なく着地を決めた。
「おっとっと……セーフ」
多少よろめいたが気にしない。
「さて、また空中游泳といくか」
掴んだクッキーを咥えつつ、空を飛ぼうと風翼を広げた。
「――ぁはははははははっ」
不意に聞こえた誰かの笑い声で、広げていた風翼を折り畳んだ。
「なんだ?」
屋上の淵に足を掛けて、真下を覗き込んでみる。
「なっ」
地上では誰かと誰かが剣と剣を交えていた。剣撃の狭間に魔法を飛ばす、本格的な戦闘だ。あの二人は本気で命の取り合いをしている。
あんな連中と拘わってはいけない。はやくここから飛び立たなくては。
そう思いはすれども、足を縫い付けられたように動けない。
俺は二人の戦闘に見入ってしまっていた。
「あはははははははははっ!」
楽しそうに剣を振り回しているのは女で、相手のほうは男らしい。
女が笑いながら放った刺突を男が弾く。しかし、その時すでに女の左手が顔面に伸びていた。
「ドッカーン!」
左手が弾けて男は至近距離で爆発を食らう。
「あれ?」
しかし、その爆発が収まると男は忽然と姿を消していた。
まかさ欠片も残らず吹き飛ばしたわけじゃあないだろう。爆発に乗じて上手く逃げたみたいだ。
「まぁ、いっか。それよりー」
女が跳ねる。跳ねて、飛び上がり、目の前までやってくる。
仮面を被った女が至近距離。
「見つけた」
その言葉を乗せて、横薙ぎに剣撃が振るわれる。
的確に首を狙ったそれを紙一重で躱して大きく距離を取った。
「ま、待った!」
「待たないよっ!」
また跳ねる。飛び出し、その勢いを乗せた刺突が放たれる。
剣撃に対するアップグレードはまだ行ってない。だから、不格好にも転がるようにしてその場から退避する。
「――いっ」
だが、一瞬遅く、脇腹が浅く斬られてしまった。
すぐにでもアップグレードしないと、次は腹を貫かれる。
体勢を立て直して相手を見据えようと顔を持ち上げると、不思議な光景を目にする。女がこちらを見ていないのだ。それどこか足下の一点を見つめて動こうとしない。
それを疑問に思っていると、ようやく何を見ているのか判明した。
月光を浴びて鈍色に光る、クッキーのラッピングだ。回避の際に落としていたらしい。 なぜそれを見て動きが止まった?
「これ」
仮面がこちらを向く。そして何を思ったのか、剣をその場に投げ捨てた。
かと思えば、ずんずんこちらへと歩いてくる。
敵意はないのか? それとも俺を騙すため? そもそもなぜ俺は襲われた? ぐるぐると思考が回る間に、女が俺の目の前に再びやってくる。
そして、伸ばされた両手が俺の頬に触れた。
「やっぱり」
「やっぱり?」
女は自らの仮面を外して、その素顔を俺に見せる。
「ツバサくん……だ」
仮面の女は、イナだった。
普段のイメージと違い過ぎないか?