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夜響く

作者: 魚津 游

 わたしには学生時代からののりちゃんという友人がいる。彼女に子供ができてから久しく会っていなかったのだが、このコロナ禍で通勤もなくなり、子供の相手ばかりしていて気が狂いそうだというのでWeb上で近況でも話そうかということになり小1時間他愛もない話、主に独身時代の思い出話をしていたのだが、わたしが「そういえばあの町でこんなことがあって…」とふと思い起こされた話をしているうちに、のりちゃんの最初は軽快だった相槌の打ち方がややもったりとしだし、眉間にしわがよっていった。

 「それってなんだか、怖いね。」

 のりちゃんは膝の上で叫ぶ子供を抱き上げていった。子供たちはカメラ越しに見るわたしに手を振ったり、母親にかまってもらいたがったり、1秒もじっとせずに動き回っているのをなんとか制御しようと試みつつ大声で会話する、という芸当をもう30分は続けている。旦那もいるはずだが姿を見せない。

 「そうかな。」

 あちらの賑やかさとは裏腹にこちらはアパート中しんとしている。わたしはのりちゃんの言葉でちょっと不安になる。

「うん。学校の怪談て昔、流行ったけどそんなものに似ている気がする。きっとなにか合理的な説明があるんだろうけど。でも念のために…」

 といいかけたとき、子供がスマホをいじったのかぷつっと会議が終わった。

 途中で打ち切られた言葉ほど気になるものはない。のりちゃんの最後の言葉が気になったが、LINEで来たのは子供の邪魔を謝罪するメッセージとまたやりましょう、という社交辞令だった。そろそろ夕飯時で忙しかろう、ということを匂わせるような雰囲気を感じて、わざわざ問い合わせるのも悪いだろうとわたしは同じトーンでメッセージとスタンプを返す。


 イヤフォンを外して画面から顔を上げる。

 窓の外は曇りの日の夕方で重苦しい。先ほどまで画面から聞こえていた家庭的騒音がなくなってしまうと、部屋の静けさが滲み入るようだ。

 

 のりちゃんに最後にいわれたことが気になった。いわれてみれば、おかしな気もする。

 あの町に住んでいたころは気にならなかったが、遠く離れたいまになって

考えてみると確かに怪談めいた体験ではある。


 夕飯の支度をしながらわたしは当時を思い起こしていた。


 当時住んでいた町は水路の多い埋立地で、昔は浜辺だったのだろうか、と思われる名前がついていた。水害が起きたらすぐに沈んでしまうような土地である。下町で老人が多く、商店街が近場にあって駅からはやや遠い。アパートは古くて大した手入れもされてなかったが日当たりだけは抜群だったし、和室があるせいで安かった。

 転職したばかりのわたしは毎日遅くまで働いてくたくたになって帰るということを繰り返していた。はりきっていたせいもあるし、仕事が単に多かったせいもある。

 食事は買ってきたものを食べるだけ、シャワーを浴びたらしばらくスマホをいじってすぐに寝ていた。

 その時はもう夏で、わたしは風を入れようと寝室の窓を少し開けていた。明日の仕事の段取りを考えていたので最初は気づかなかったのだと思う。横になってしばらくしてから、聴き慣れない音が部屋に響いていることに気づいた。


 あぁー…

 ひゃぁああああ…

 …あぁああぁ…


 最初はどこから聞こえているのかよく分からなかった。音源を探して部屋の中を歩き回り、外から聞こえているようだと結論した。

 わたしはそっと窓を開けて顔を外に突き出した。下町の老人たちはさっさと寝入ってしまうので騒音に悩むようなことはまずなかった。

 この日も街は暗かった。時刻は22時を回っていたように思う。

 近くでテレビを見ているような気配もない。だが、やはり先ほどの音は響いていた。


 わぁああぁ…

 ひぇあぁあぁ

 …あぁーーー…


 悲鳴か、と疑い、しかしそれにしては間延びしている、と思い直した。

 声は止むことなく続いていて、なにより複数の人の声が重なり合って聞こえ来る。

 そして出所がわからなかった。

 声は空中に満ち満ちて延々と響いているように思われた。

 大勢の人が甲高く叫んでいて、それが反響しながら続いている…そんな感じだ。


 なにかに似ている、と思い、学生時代に耳にした剣道部の練習中の掛け声を思い出した。でも、こんな時刻に稽古をしているという説明は合理的でないように思うし、どちらの方角から聞こえているかくらい、察せられるのではないだろうか…

 ホラー映画の絶叫シーンにしても長過ぎる…

 そんなことを思いながら耳をあちらこちらと傾けたがどこから聞こえてくるのか検討もつかなかった。その間も途切れることなく音は続いている。

 結局、誰かが死にかけているようなことはないと思われたのと、明日に備えて眠らなければという義務感からわたしは頭を引っ込めて窓を閉めた。

 そうしてしまうともう音は聞こえない。

 布団に潜り込んで、いつの間にか眠りについた。


 明くる日の朝には、昨夜の奇妙な音のことはすっかり忘れていた。いつも通り何度も目覚ましを止めては布団の中でぐずぐずすることを繰り返し、結局もう5分早く起きればよかったと思いながら駅までの道を急ぐ。

 車の音、自転車の音、すれ違う人の靴音。

 いつも通りの朝だったし奇妙な音などちっともしなかった。

 肩が重かったり、自分が事件に遭うこともなかった。わたしはやや寝不足ということを除いていつも通り会社に行った。

 思い出したのは帰ってきて、また寝入る時分になってからだった。

 わたしは少しだけ窓を開けてみた。しかしその日はしんとしていて、しばらく耳を済ませても遠くで車が行き交う音がするだけだった。

 窓を閉め、わたしは眠りについた。


 それから数ヶ月経った頃だろうか。また、夜に声が聞こえてきてわたしは前回のことを思い出した。

 しかし今度も結局、声の出所は分からなかったし、翌日のニュースを見ても近所の事件はなにも載っていなかった。


 記憶にある4回目は朝だった。駅に向かう途中、声が聞こえていて、わたしは今度こそ剣道の稽古ではと思ったが、近場の中学校から聞こえてくるのでもないらしい。音源は相変わらず特定できなかった。

 怖くはなかったが奇妙な声が気になってはいた。もし少しでも知人といえる相手が近所にいれば、この音について問い質していたかもしれない。

 この声、聞こえていますか?と。

 だがわたしにはこの町は地元でもなかったし、残業続きのおかげで、顔馴染みになるような店をつくれるほど早い時間に帰ってもいなかった。


 その町を離れることにした数ヶ月前、わたしはちょっといいなと思っていた男性とデートをしていた。下町をぶらぶらするという華やかさのカケラもない内容だったがわたしは満足していた。

 道の途中、さびれた様子の博物館というには小さく、史料館というにはやや大層な建物が目に入った。少し歩くのに飽きていたこともあり、我々2人は中に入って思い思いに展示を眺めることとした。

 戦時下の記録がメインになった展示内容で、当時の被害の深刻さを切々と訴えるものだった。わたしは粛々と中身を読んで次に進んでいったが、ある展示がなんとなく気になった。

 それは下町の地図で、東京大空襲のときに下町で発生した火災旋風を扱ったものだった。2時間で10万人が死んだ、と書いてある。

 人々は逃げ惑い、頑丈なコンクリート製の建物や川に逃げ込んだがすさまじい火災の下であっという間に焼け死んだ…


 その後、我々2人は資料館を出て駅までの道をまたぶらつきながら歩いて帰った。相方は饒舌に彼の戦争観について語り、わたしは相槌を打っていたが頭の中では夜に満ちていた重なり合って響く悲鳴のことを思い起こしていた。


 原爆資料館の展示にあった影が永遠に焼き付いてしまった壁のように、火に巻かれた人々の声が空間にいつまで経ってもこだましている。そんなイメージが頭を離れなかった。


 それから数ヶ月して、わたしは町から引っ越した。いま住んでいるところはもう2年になるが夜にあの声は聞こえない。


 パスタにレトルトのソースをかけただけ、という夕飯を前に座ってわたしはちょっと手を合わせる。


 いま思い起こしてもあの声を怖いとは思わない。

 そしてきっと、なにか合理的な説明があるだろうと期待している。

 まだ見つけてはいないだけで。


似たような怪談を知っている方、合理的説明が思い浮かぶという方はぜひ教えてください。

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