種子
確認したところ、この館でも私達家族以外ではシャルルが読み書きができ、あとは読むだけならできるというものが数人いる程度らしい。
王都にしか学園がないのが問題だなぁ。
いずれ伯爵領に学園を作るようにお父様に進言すべきかもしれない。
まぁ、これから戦乱の時代が始まることを考えるとすぐにというのは難しいかもしれないが……ん、待てよ。
もしかしたら逆に今の方が学園を作るのにちょうどいいタイミングなのかもしれない。
「疎開」という名目で王都から教授を招聘できないものか。少なくとも伯爵領は王家と領地が接しておらず、見かけは平和に見えるはずだ。
これはあとでお父様に相談するとしよう。
考えながらアドリアンの方を見る。
教え始めてから数日が経つ。ベルナールお兄様はまだ帰ってこない。どこまでいってるんだろう。
アドリアンに教える役は私になっていた。
お父様とシャルルは忙しいし、ユーリお兄様は……モノを教えるのは向いてない人だから仕方ない。
板の上に砂を撒き、文字の形を指でなぞる。
紙は高級品であり、黒板は発明されていないのでこれで教えることになるわけだ。
彼には最初に自分の名前、「アドリアン・シュヴァリエ」の書き方を教えて、その後、色々なものの名前を教え始めていた。
やっぱり自分の名前を書けるのって嬉しいし、実用的なものの名前が読めたら嬉しいと思うし。
彼は私が砂の上に書いた文字に似せようと指を動かしている。まだ彼にとってはよくわからない記号だろうけど、いつかちゃんと文字として理解してほしい。
「うまく書けるようになったら紙を1枚差し上げます。砂の上だと書きづらいでしょうからね。指で書くのとペンで書くのはまったく違いますから、その練習もしましょう」
「……」
アドリアンはしばらく文字を書いていたが、不満そうに私を見た。
「……これ、なにか意味があるのか」
意味? 哲学か?
「生きていることの意味……難しいことを言いますね。なぜ人は生きるのでしょう」
「いやいやいやいや」
手を振って違う違うアピールするアドリアン。うん、本来はノリのいい子なんだな、彼。
「この、文字の勉強は意味があるのか」
「勉強、お嫌いでしたか?」
私の質問にアドリアンは首を捻る。
「今までやったことがなかったからわからない」
あぁ、嫌いもなにも、そもそも概念がなかったやつなー。
うーん、なにか例え話……
「例えば……あなた達はオリーブを育てていますね?」
「うん」
アドリアンは誇らしそうに頷く。オリーブは彼らにとって本当に大事なものなんだなぁ。
「実際に家族でオリーブを育てれば、この時期にどうするとか、こうなったらどうするとか教わることもできるでしょう。でも、なんらかの事情でオリーブの育て方を知らない子供が1人残されてしまったらどうなるでしょう」
「周りが教える」
いや、そうなんだけどね。
「でも言いたいことはわかった。オリーブの育て方を文字に残しておけば……そして子供が文字を理解できれば子供は困らない。そういうことだろう」
はい、そういうことです。
「だから本来であれば、みんなに教育を受けてほしいというのが私の本音です」
アドリアンはわかったのかわからないのか「ふーん」とだけ言った。
「バランスを取るのが、難しい……」
ようやく課題の文字を砂に書けるようになって、ご褒美であげたはじめての紙に悪戦苦闘するアドリアン。
ペンという道具もはじめてだったらそんなもんだろう。
「焦る必要はないですよ。とはいっても私と顔を突き合わせているのも苦痛でしょうから、それが嫌だったら早く文字をマスターすることですね」
私の言葉にアドリアンはむっとした顔をする。まぁ、がんばってくれぇー。
不意に窓の外が騒がしくなった。
「どうしたのかしらー」
窓のほうに歩いて行き、外を確かめる。歓声? 悲鳴とかではなさそう。
同じく窓のほうに歩いてきたアドリアンが「あぁ」と声を漏らした。
「ベルナール様が帰ってこられたようだ。名前を呼ぶ声が聞こえた」
あ、そうなの? 耳いいねぇ、君。
この話の舞台になっているのはイタリアによく似た地形の架空の地域です。
男性登場人物のほとんどにはモデルとなっている人物がおり、「そのモデルとなっている人物の所属している、または所属していたチーム」の本拠地が、その登場人物の勢力範囲となります。
モデルとなっているのはあくまで外見と地域だけであり、その人物の能力や適正、チームの規模や本拠地の規模などはまったく関係ないものとします。
☆今回の登場人物のモデル
ジェルメーヌ・ペドレッティ:ヒト科