2019/11/07
自分の中で最後に「将来の夢」があったのはいつだろうか。
自分の中で最後に、将来の自分に対して期待が溢れていた時期はいつだっただろうか。
あれ…そんな時期なんてあったかな?
というくらいに、自分は幼い時期から今に至るまでずっとリアリスト、というかペシミストだった気がする。
小学校で将来の夢を書かされる時は、所属していた野球クラブの同級生のみんなに合わせてプロ野球選手と書いていたが、野球がド下手くそだった自分が本気でなれるなんて少しも思っていなかったし。
中学校では調べ学習でいろいろな職業について調べさせられたが、どれもピンと来るものはなくて、発表しやすい職業について適当にまとめて適当に発表していた。なんの職業について調べたかも覚えていない。
高校で始めた部活の弓道が大好きになって、弓道のことばかり考えていた。でも、弓道で飯が食えるなんて当然思ってなかったし(もしも「プロ弓道選手」というものができたらどんな活動をするのだろうか、という話で部内で盛り上がったことがある)、弓道はいずれはやめるものとしては考えていた。弓道のことばかり考えていたというのはすなわち、将来どう生きるのかについては何も考えていなかったということだった。
自分は子供の頃からいわゆる「将来の夢」は持ってこなかった。持てないタイプの人間だった。
そんな自分にも、将来の自分に対して期待が溢れていることがはっきり感じ取れた時期が、割と直近にある。
4年前の3月。僕にとって1年目の大学受験が終わり、受けた大学に全部落ちて、地元から東京に出てきて浪人することを決めた時だった。
別に東京に出てきて羽を伸ばしたかったとか、親の目も無いしたくさん遊べるぞ〜とか考えていた訳ではない。僕は大学受験浪人生としては極めて模範的な1年間を過ごすことになる。
自分を取り巻く環境がいっぺんに変わるという事実だけで、僕にとっては十分に刺激的で魅力的なことだったのだろう。
とても素直に「この場所で1年間勉強だけをがんばろう」という気持ちで浪人生活スタートの4月を迎えることが出来た。
そして、今振り返るとびっくりするのだが、この素直な気持ちが7月くらいまでずっと続いた。食う寝る風呂と通学時間以外は、家なり予備校なりに籠もって勉強していた。東京も、予備校も、寮生活も、なんなら大学受験のための勉強も、そこの中にいる自分を想像するだけで十分なモチベーションになっていた。
8月にぽっきり心が折れて1週間くらい自室に閉じこもって何もせず椅子に座っていたりとか、12月ごろにも気持ちが狂いかけて、部屋の中でのたうち回ったり半袖で歩き回ったりしていたのだが、逆に言えばそのくらいで済んだ。少ない楽しみの中、遊びに惚けることもなく(友達もおらず遊び方も知らないので遊べないというのはあったが)2月末の受験本番までよくがんばれていたと思う。
自分の今までの経験を思い返してみても、浪人期の1年間のように「将来の自分のために頑張る」というエピソードが他に全く無い。親に怒られるから頑張るとか、極めて近い将来、例えば来週のテストのために頑張るとか、そういうレベルの頑張りしか他に思いつかない。(弓道に関しては頑張っていたつもりは一切無い。ただただ的当てが好きで、的に当たらないと癪だからやっていた、という認識である)
だから、この1年間は自分にしてはかなり特殊な1年間であったことは間違い無いと思う。
自分の中に今まで存在したことがあるとはっきり言える「将来の夢」が、「1年後に行きたい大学に合格する」くらいしか無かった、という話。
幸いこの夢は叶ってくれて、特に別の夢も持てないまま大学4年生の現在に至るので、現在のところ自分の夢を叶える達成率は1分の1で100%である。
この1年間を誇りに思って…いや、この1年間にかなりすがって今までの生活を過ごしてきたな、と感じる。
あの時の自分が、将来の自分のためにしっかり頑張れていたということ。その頑張りが報われたということ。
それよりも、モチベーションが自発的に湧いてきて1年間もの間踏ん張りを利かせることができたような「将来の夢」があったことそのものに、いまだにすがっているのかもしれない。




