VOL.03:始まり
「ただいま」
キララの魔法で自宅前に転送されたあと、しばし立ち尽くしていた遼だったが、いつまでも突っ立っていても仕方ないので、家の中へ入った。すると、
「おかえり、遼」
いつもは帰りの遅い母親のみずきも珍しく早かったようで、夕食の支度をしていたのだろうか、台所からエプロン姿で顔だけ出して遼を迎えた。
「母さん、今日は珍しく早いんだな。あれ、もうメシの支度してるの? 今日のメニューは?」
普段はみずきが遅いため、夕飯は遼が作ることが多いのだが、たまにみずきが早く帰るときはこうしてみずきが台所に立つ。これが当たり前の家庭なのだろうが、佐伯家では月に1回あるかどうかの光景だった。遼が階段を上がる前に台所に顔だけ突っ込んでみずきに訊ねると、
「ええ、今日は残業もないどころか、仕事そのものが早く終わったからね。夕飯はあんたの大好きな肉じゃがよ。もうすぐできるから、部屋にカバン置いて着替えてらっしゃい」
みずきは遼の問いかけに一旦肉じゃがの鍋の火を弱めてから振り向いて答えると、すぐに鍋に視線を戻した。それっきり黙って料理に集中し始めたので、遼は階段を上がって自室に向かったのだが、階段を上がりきったところでふと違和感がした。
(あれ、変だな。なんで空き部屋から人の気配が……?)
遼は一人っ子で、家の2階にある3つの部屋の1つを使い、あとの2つは何も置いてない空き部屋になっているのだが、その何もないはずの部屋の1つから人の気配がしていた。違和感がないほうがおかしい。
(まさか、泥棒……? 母さんは結構のんびり屋だし、さっきまで料理に集中してたから、侵入されていても気づかなかったのかもしれないな。だけど、なんで何もないはずの部屋に入ってるんだ? なんにもないはずなのに……)
遼がカバンを部屋に置くことも忘れ、あれこれ考えていると、ガチャリという音とともにドアが開き、その空き部屋から人影が飛び出してきた。
「怪しいヤツめっ! お前は一体何者だっ!」
遼はとっさに持っていたカバンを振り回して謎の人影に威嚇攻撃を仕掛けた。しかし、
「わひゃっ!? ――時間停止」
人影は一瞬驚いたが、すぐに何かつぶやくと、遼のカバンが急停止し、遼が力を入れてもピクリとも動かなくなった。
「なんだこりゃ!? どうなってやがる……って、お前は……!?」
遼は空中に停止したままのカバンを見て驚き、何かに気づいたのかようやく相手の顔をのぞき込むと、そこにいたのは、先ほど出会ったばかりの少女、キララだった。
「全く、いきなり殴りかかるなんて酷くないですか?」
キララは頬を膨らまして言うと、魔法を解除し、カバンが床に落ちた。
「ああーっ!」
思わず遼はキララを指差して叫んでしまった。
「ちょっと、うるさいわよ、遼! 何を騒いでるの!?」
あまりの叫び声に、階下からみずきが怒鳴った。
「なんでもないわ、おばさま。あたしが驚かしたらびっくりしすぎちゃったみたい」
キララを指差したままパクパクと口を動かすだけの遼に代わり、キララが階段の縁から身を乗り出して弁解した。
「ん、もう! あんまりびっくりさせないでよね。キララちゃん、イタズラもほどほどにしなさいね」
みずきは階下からキララに伝えると、また台所に引っ込んだ。
「で? これはどういうことなのか、きちんと説明してくれるんだろうな?」
着替えを済ませた遼がキララを自室に呼び、半ばにらみつけるようにしながらキララにたずねた。
「ええ、わかってますよ。まず、あたしがここにいるのは、あなたに正体を話した以上、あなたが口外しないか監視するため、ってのもあるけど、一番の理由は、違う世界から来たあたしにはこの世界では居場所なんてないんだから、ここに置いてもらってしばらく過ごそうかなって思ったの。あなたのお母さまがあたしを不審に思わないのは、もちろん魔法を使って記憶を操作して、あなたの従妹っていうことにしたのよ。理解できた?」
キララは事情をまくし立てるように喋ると、ちゃんと理解したかたずねた。
「なるほど、だいたいわかった。行くとこがないから偶然出会ったオレのとこに来て、魔法とやらで記憶をいじり、ついでに空き部屋を乗っ取った、と。そういうことだな? ってか、口外しないか監視するとか言ってたけど、こんなこと誰かに話しても信じてくれるわけないだろうが。頭がイカレたヤツに見られるくらいで済めばいいけど、下手すれば即刻精神科に担ぎ込まれるわ」
遼は数回頷くと、ふと気づいたようにキララに突っ込んだ。
「まあ、そうでしょうけど、一応口止めはしておかないとならないですから」
キララは苦笑いしながら遼のツッコミをかわした。
「あ、そういえば、お前はなんでわざわざそのハルゲンなんとかって世界から出てきたんだ? 学校じゃ優等生とか言ってたから、特別な何かか?」
遼はあらかた事情を理解したところで、根本的な疑問が解決していないことに気づいてキララに訊ねた。
「あたしがハルゲンファウスから出てきた理由ですか? 退屈だから、逃げてきたんですよ。学校は全寮制で外には出してくれないし、かといってあたしは優等生だから講義は退屈だしで、刺激を求めて脱走してきたってとこね」
キララは胸を張って堂々と脱走してきたことを話した。
「脱走って……じゃあ、今ごろ向こうじゃお前の心配してるか、それとも連れ戻すための作戦会議のどっちかじゃねーの?」
遼は予想外の答えに唖然としたが、ニヤリと笑いながらそんなことをのたまった。
「大丈夫よ。心配するような人はまずいないし、たとえ連れ戻しに来ようとも、あたしは負けない。いくらでも追い返してやるわ」
キララは自信に満ち溢れた表情で拳を握りしめながら言った。
「お前が向こうの世界の連中とドンパチやるのは勝手だけど、オレたちこっちの人間を巻き込むようなことだけはやめてくれよな」
遼はパタパタと手を振って呆れたようにキララに忠告した。
「わかってるわよ。少なくともあたしはしばらくこの人間界で暮らすんだから、居づらくなるようなことはしないわよ。じゃあ、あたし部屋に戻るわね」
キララはそう言って遼の部屋を出て行こうとした。と、
「あ、ちょっと待った。お前が魔法で記憶をいじったのはまだ家族だけだよな? オレの友達とかはどうするつもりだ?」
遼が思い出したようにキララを呼び止めて訊くと、
「うん、まだ家族だけしかやってないよ。遼の友達とかまではまだ把握してないから。でも、それはどうにでもできるから、余計な心配はしなくていいの。あ、そうそう、記憶操作と言えば、お父様は? 見当たらなかったから、特にまだ何もしてないんだけど」
キララは何かを企んでいそうな笑みを浮かべると、ふと思い出したように訊ねた。
「ああ、親父? 単身赴任でここにはいないぞ。2ヶ月に1回帰ってくるくらいだな」
遼が父親はいないということを話すと、キララは分かったと言って部屋から出て行ったのだった。
かくして、キララの新生活は幕を開けた。
しかし、学則を破って脱走している以上、学院側が何もしないとは思えないが……?
次回、VOL.04:理事会と刺客登場(仮) 10/22 0時更新予定です。




