自責の想い
千絵は全てを話し終えた。
約束と事故の真相。
遂先ほどまで記憶になかった太陽にとって現実味は全くない。
だが、千絵が嘘を言っている感じではない上に、自分の無意識な記憶が千絵の言葉を信用している。
しかし、全てを知った太陽は困惑が限界に来て思わず笑いだし。
「ハハハハッ。もう、何がなんだか分かんないぜ。昔約束した相手が光じゃなくて千絵って。なんでそうなっているんだよ!」
分かって、信用したからと言っても受け入れがたかった。
人の記憶はより強い物を深く刻む物。
あの時の光景、あの時の会話は鮮明に覚えているのに、何故、相手が千絵から光にすり替わっていたのか。
「太陽君……記憶障害って知っているかな?」
「記憶障害って……言葉通りに何かしらの原因で記憶に障害を患って……まさか!?」
太陽は自身の頭に手を当て瞳を揺らす。
信じられないって表情の太陽に千絵は頷き。
「正確に言えば、外傷性脳損傷による高次脳機能障害。記銘障害って呼ぶ場合もあるね」
病名の名前が難しくて理解出来ない太陽だが、特に言葉が言えず、千絵は言葉を続ける。
「太陽君。人の記憶ってね、実はそんな強固なものじゃないんだ。ちょっとしたことで簡単に変化するものなんだ。今回で言うと交通事故みたいな、頭への衝撃でね」
「……つまり、あの事故が原因で記憶の中の登場人物が千絵から光に変わったのか……なんでお前からあいつなんだよ!?」
「知らないよ。人の記憶の解明は現在でも把握できてない部分もある。簡単とは言ったけど、その構図は複雑怪奇な謎だらけ。……けど、もし一つだけ推測を立てるなら———————あの時の太陽君の心には、もう……光ちゃんの存在が大きかったんだと思う」
千絵は堪える様な悲しい表情で自ら立てた推測を口にした。
太陽は千絵の言葉に声が出なかった。否定も肯定も出来なかったから。
俯く太陽に千絵は語る。
「実はね、太陽君。私、昔にどうすれば太陽君の記憶が戻るのか模索した事があるんだ。お金が無いから学校や市の図書館で人の記憶に関する事が記載されている本を探して、日が暮れるまで読んだりしてさ」
太陽は昔に、光から千絵が最近、図書館通いをしていると聞いた事があった。
元々本を読むのが好きだった千絵だから何か面白い本を見つけたのだろうと気にも留めなかったが。
あの時、千絵は一人で太陽の記憶を戻そうと子供ながらに方法を探していたのか。
「……お前、そんな話、一回もしてくれなかっただろ」
「それはそうだよ。不確定要素がある段階で話しても混乱するだけだし。そもそも、太陽君は自分の記憶に疑いがなかったから、もし話したとしても私の方が頭が可笑しいって言われるだけだからね」
それもそうだ。太陽は今日まで自分の記憶を疑った事は無い。
多少、記憶にモザイクが掛かっている状態でも、相手が光であると疑う気持ちはなかった。
「…………すまん、千絵……」
「なんで太陽君が謝るのさ。太陽君が悪い部分はないよ」
千絵は目を伏せ言う。
そして、その小さな体は震えだし、声も擦れ擦れとなる。
「謝るのは……私の方、だよぅ……。ずっと、黙っていて、ごめんなさい」
伏せていた顔が上がると、千絵の顔は涙で埋め尽くされていた。
嗚咽を吐く程の号泣。まるで今まで抑え込んできた感情の蓋が決壊した様に千絵は涙を流す。
「私の所為で太陽君は怪我をして、陸上を辞めなきゃいけなくなった……。私の所為で太陽君は沢山傷ついたのに……」
千絵はずっと胸の内に隠して来たのかもしれない。
小学生の頃、自分の不注意で親友の努力も夢も断ち切らせた負い目が。唯一覚えているが故にずっと1人で……。
夕焼けの朱色の明りが千絵の涙をオレンジに照らす。
今まで太陽が忘れていた真実。小学生の頃の事故の真相。
ずっと自らの不注意だと思っていた事故が、まさか、千絵を助ける為に犠牲となった事故だったとは。
あの事故が無ければ、今頃は……。
「…………もしもの話なんて、しても意味ねえよな」
はぁ……と息を吐く太陽は、自身の胸を掴み泣いている千絵の許へと歩み寄り。
今までずっと業を背負い込んで来た小さな体の千絵の肩に手を置き。
「……気にするななんて、事が事だけに出来るわけないよな。俺の足はあの事件の所為でまともに走れなくなったんだから……」
太陽の顔を直視する千絵。その瞳は自責の念に苛まれていた。
恐らく、千絵はこの業を永遠に背負っていくのだろう。死ぬまで。
千絵が責任感を深く感じる性格なのは、太陽が誰よりも知っている。
どれだけ太陽が言葉で言っても、千絵自身が受け入れない。自分で自分を許せないだろう。
「……なあ、千絵。正直、今でもあまりピンとは来てないが、あの時の事故でよ、お前、怪我とかしてないよな?」
車に轢かれ生死の境を彷徨っていた太陽はその後の事は覚えていない。
千絵が無事だったのか、それとも怪我の度合い関係無く、太陽共々車に巻き込まれたのか。
千絵は唇を必死に結い、涙を堪えて一旦間を置くと、頷き。
「うん……太陽君のおかげで、怪我は無かったよ」
その言葉を聞いて、太陽は胸のしこりが消えた。
そうか……と安堵の微笑みを浮かばした太陽は衒いの無い、名前通りの太陽の様に明るい笑顔を浮かべ。
「なら、良かったじゃねえか!」
「……………え?」
太陽の言葉と笑顔に戸惑う千絵の頭を、太陽は軽く手で叩く。
「千絵が無事だったなら、それでいいじゃねえか。お前は何も気に病む必要はない。お前が無事だったら、俺は嬉しいぜ」
ニシシッと笑う太陽に千絵はまだ困惑する。
何を言っているのか未だに理解出来てないようだ。
「ちょ、ちょっと待ってよ! そんな軽い感じで終わらしていいことじゃないと思うんだけどな!?」
あっさり許そうとする太陽に千絵は異議を唱える。
「なんだ千絵? なら、「お前の所為で陸上を辞めないといけなくなったじゃねえか!」って怒ればいいのか?」
「い、いや……それは……」
太陽は自分の深く怪我をした右足の裾を上げて、手術痕がある脹脛をみせる。
「俺のこの怪我は治らないかもしれない。だから、一生この怪我と共にしないといけない。正直辛い部分もある、だがな———————それがどうしたよ」
太陽は千絵の目尻の涙を指でなぞり、手の平でポンと千絵の頭に手を乗せ撫でる。
「俺の足1本ぐらいでお前が助かったなら儲けものさ。もし、あの時俺じゃなくてお前が轢かれて死んでたら……俺は、自分を恨んで後悔の日々を送っていただろう。その苦しみに比べたら、走れなくなった苦しみなんて屁でもないぜ」
人は死んだら生き返る事はない。
どんなに悔やんでも絶対に。
だが、今は太陽も千絵も生きている。まとも走れなくなっても生きているなら、太陽は自らの足が犠牲になって千絵を助けられたことを誇りに思っている。
「そういう問題なのかな!? そもそもな話、私の不注意で事故したわけだから、私がしっかりしてたら、私も太陽君も危険な目に遭うことはなかったはずなのに……」
原因である千絵の不注意に観点を置けば確かにそうかもしれない。
千絵が不注意に道路に出なければ車に遭遇することもなかった。
「そうだな。お前は昔からどこか危ない部分はあったが、先生が言ってただろ。道路に出る時は周りに気を付けろって」
「……………………」
自分が悪いだけに子供を説教する母親口調で言われ苦笑いの千絵。
太陽は呆れた微笑で。
「だけどよ。お前はあの時のこと、深く反省しただろ。だから、彩香にも必死になって怒った。今度から彩香も、十分車に気を付けるだろ」
「………………………」
千絵は無言だった。
しかし、その体は微弱に震えている。
「馬鹿……馬鹿だよ、太陽君は……」
数秒無言だったと思えば突然の罵言。
「お前な……馬鹿はねえだろ、馬鹿は」
嘆息する太陽に俯いていた千絵は顔を上げると————その表情はキッと太陽を睨んでいた。
「馬鹿馬鹿馬鹿! なんでそんな簡単に許せるの!? 普通なら絶交するぐらいのこと、私しているんだよ!? なのに…………太陽君はとんだお人よしだよ…………」
引っ込んだと思えば再びポタポタと千絵の目から涙が落ちる。
「お前な……泣くのか怒るのかどっちなんだよ……」
「呆れてるんだよ! この馬鹿太陽君!」
涙で濡らす瞳で太陽を睨む千絵。
今日思い出した太陽にとっては事故のことは一瞬程度の感覚だが、あの日から千絵はずっと1人で抱えてこんできた。誰にも相談が出来ず、自分の罪だとずっと苦しんで来た。
なのに、こんなあっさり許されれば納得出来なくても仕方がない。
頑固で責任感が強い所が千絵の長所であるが短所でもある。
太陽はそっと、千絵を抱きしめる。
「たくよ……お前は本当に融通が利かない女だよ。……お前はいまこうやって生きてるんだからよ」
太陽は千絵の小さな背中に手を当て、温もりを感じる。
温もりは生きている証拠。太陽が守った命。
「俺はお前を助けたかったから、お前を助けたんだ。なのに、ずっと負い目を感じて塞がってたらよ、助けた意味がないじゃねえか。だから千絵……。お前はずっと苦しんでくれた。ずっと責任を感じてくれた。だから、いいじゃねえか。もう、責任を感じなくていい。お前がこうやって生きてくれるなら、俺は嬉しい……だから、お前を助けたことを誇りに思わせてくれよ」
ギュッと千絵は太陽の背中を強く握った。
夕焼けの暑さではない、違う涙で太陽の服は濡れる。
何年間も1人で苦しんで来た千絵はそろそろ解放されてもいいだろう。
「本当に……太陽君は、私を……許してくれるの……?」
「最初からお前を恨んじゃいねえよ」
太陽の言葉を聞き、千絵は更に咽び泣く。
初めて出会った頃の千絵は転んだりすれば直ぐ泣いたりする様な弱い子だった。
だが、あの事故の日ぐらいからか、千絵は人前であまり泣かなくなった。
元来、弱虫だった千絵は強くなったわけではない、ただ単に気丈に振る舞っていただけなのかもしれない。
「怖かった……本当のことを知れば、嫌われるかと思った。もう太陽君の傍にいられないかもしれないと思った……。ごめんなさい、ごめんなさい……太陽君!」
「だから……まあ、いいや。泣け泣け。今だけは胸貸してやるからよ」
あの時と同時刻の夕焼けを背景に、千絵の背負って来たものが少しでも消えればいいと太陽は願った。
千絵の涙が枯れるまでどれくらいの時間が経過していただろう。
茜色の夕焼けは完全に沈み切り、辺りは暗くなり街灯が付きはじめていた。
涙痕で目元が赤い千絵は、ゴシゴシと強く自分の目を袖で拭い。
「あぁ……恥ずかしい。最悪だよ。太陽君の前であんなに泣くなんて……」
「そうだな。まさかこっちの服がびっしょりになるぐらい泣かれるとは思わなかった。往来する人に冷たい目で見られて居た堪れなかったからな、主に俺が」
フンと頬を膨らましてそっぽ向く千絵。今の千絵はいつもの千絵の顔だった。
「さあ、もうそろそろ遅いし、帰るとするか。夜道は危険で車とか危ないから家まで送ってやるよ」
「なにそれ嫌味かな?」
むぅと睨まれる太陽は頬かいて誤魔化す様に笑う。
だが千絵は吹き出し。
「そうだね。ならお言葉に甘えて送って貰おうかな。流石太陽君。そうやって女性に心配りが出来るように成長してくれて嬉しいよ。教えた甲斐があったものだ」
調子の良い事を言う千絵に若干呆れるも、いつもの調子に戻ってくれて太陽は嬉しかった。
今回ので千絵の抱えていた自責の念が少しでも晴れていれば良い。
過去の交通事故の真相を知れてずっと感じていた違和感が無くなり晴れ晴れした思いであるが、まだ解決していない部分があった。
「……なあ、千絵。1つ聞いていいか?」
「うん、いいよ。なに?」
「昔お前とした、約束のことだが」
太陽が言うと千絵の頬は紅潮する。唐突にその話題を出されて驚いているのか。
「そ、そう言えば思い出してたんだよね、そっちも……。それで。それが、ど、うしたの?」
平常を保った様に言う千絵だがどこか歯切れが悪くてぎこちない。
「結局。あの約束の相手は光じゃなくてお前だった……。だから、俺はもう分からなくなった……俺は本当に光のことが好きだったのだろうか」
2人の間に静寂が流れる。
太陽の気持ち。太陽は幼少の頃から光に好意を持っていた。そう思っていた。
だが、あの夕焼けの結婚の約束。あれは元カノの渡口光ではなく、目の前にいる高見沢千絵だった。
もし、あの約束が切っ掛けで光に好意を持ったのなら、これまで自分の想いが偽物だったのでは、と太陽は不安だった。
「質問を質問で返す感じだけど、私も1つ聞くね、太陽君。もし、あの約束が切っ掛けで太陽君が光ちゃんを好きになったんなら、記憶が正常に戻った今……太陽君は私のこと、好きになった?」
千絵に言われ太陽は自分の気持ちを確かめた。
昔、光の傍にいた時はずっとドキドキしていた。だが、今千絵の前にいてもあの時のドキドキはない。
太陽の反応で察した千絵は残念そうに笑い。
「それが太陽君の気持ちだよ。安心して太陽君。太陽君の光ちゃんへの想いは本物だよ。私は知ってるんだから……。太陽君はあの約束以前から、光ちゃんのこと……」
千絵は言い切る前に口を閉じ、そして覚悟を決めた様な瞳で太陽を見る。
「けどね太陽君。私、もう諦めないから! 太陽君にずっと負い目を感じて気持ちを隠して来たけど、許された今、もう私は自分の気持ちを封じ込めない!」
吹っ切れた様な笑みで宣言した。
太陽はまさかと思い顔を赤くして。
「ち、千絵? お前、まさか俺のこと—————」
千絵は太陽の言葉を遮る様に手で塞ぐ。
「今はまだその先は言わないで。承諾でも拒絶でも、今、まだ私は聞ける覚悟は出来ていないから。それに、今のままだと私、卑怯者だから」
「卑怯って……なにが?」
千絵から口を解放されて尋ねると千絵は言えないと首を横に振る。
「今のままだと、多分、皆前には進めない。だから、本気で語らないといけないんだ……彼女と」




