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奴隷になった私

作者: 鈴本耕太郎

 だだっ広い部屋の中、彼のお気に入りのソファへと腰を下ろす。隣に目を向けるが、いつもそこに座っていたはずの彼はもういない。

「また独りぼっちになっちゃった」

 夕暮れの部屋に私の声だけが静かに響いた。


 思い起こせば、これまでの私の人生は、随分と起伏の激しいモノだったように思う。


 私が生まれ育ったのは、どこにでもある様な小さな町だった。

 雇われ店主である、父が任された商店を家族で営んでおり、決して裕福ではないけれど、それなりに楽しく暮らしていた。

 転機が訪れたのは、私が十五歳の時だった。

 父の働きが認められ、王都にある店舗への異動が決まったのだ。友達と離れる事は寂しく感じたけれど、王都での華やかな生活を楽しみに感じていた。


 でも……。

 残念ながら、それは叶わなかった。


 王都へと向かう途中で盗賊に襲われたのだ。護衛に雇った冒険者の人達が頑張ってくれたけれど、倍以上の人数を相手にするのは些か無理があったのかもしれない。冒険者の人達をくだした盗賊は、荷物を奪うだけでは飽き足らずに、私の目の前で父を殺し、母を犯した。悲惨な現実の中で、私はバカみたいに泣き叫ぶ事しか出来なかった。

 そこから先の記憶は断片的で、はっきりとしない。

 気付いた時には檻に入れられ、馬車に揺られていた。近くに母の姿はなく、私以外に数人の女の子がいただけだった。彼女達がどういう理由でここに居るのかは分からなかったけれど、聞く気にもなれなかった。分かっている事は一つだけ。

 私は奴隷として売られてしまったという事だ。

 いつの間にか付けられてしまった首輪が、酷く重く感じられた。


 皮肉にも、連れて来られた場所は王都だった。

 服を脱がされ、体中を調べられた。あれほど恥ずかしい事は初めてだった。その後で、何が出来るのかと色々と聞かれた。出来る事が多い方がまともな買い手が付くと言われたからか、私の前に質問を受けた子が、嘘を吐いて首輪がしまっていた。それを見た後では素直に答える以外の選択肢は私にはなかった。こんな事になってしまってもまだ生きたいと思っている自分がいる事に少し驚いた。


 百二十万ゴールド。

 以前営んでいた商店の売り上げで、たったの二ヶ月分くらい。

 それが私に付いた値段だった。

 それが私の価値……。


 こんな値段だけど、店全体で見ればちょうど真ん中くらい。安くもなく、高くもない、どこにでもあるごく普通の商品だった。

 そう、商品なのだ。

 私は、人ではなくなったのだ。


 先の事を考えて絶望していた私だったが、店での扱いは思った程、悪くはなかった。量は少ないが、朝夕二回の食事は出たし、清潔に保てるように配慮もされていた。また、商品価値を少しでも上げる為、礼儀作法や家事等を教え込まれたりもした。夜寝る時には各自ベッドが用意されていたし、一緒に売られている人達と多少の会話をする事も出来た。

 だからと言って到底受け入れられる訳はなかったのだけれど。だって私はこの店の商品で、商品を綺麗にして良く見せようとするのは当然の事なのだから。店主が優しいのではなく、物の価値を損なう事を恐れているだけに過ぎないのだ。

 とはいえ、酷い事をされないというだけでも良かったと思うしかないだろう。酷い店では、まとものな扱いを受ける事はないと聞くから……。

 

 こんな私に買い手が付いたのは、奴隷となってから二ヶ月程経った頃だった。

 私を買ったのは、この辺りでは珍しい黒色の髪と目をした少年だった。後で知った話だが、年下にしか見えない幼い風貌の彼が、私より二つも年上の十七歳だった事には大いに驚かされた。

 

 彼は一言で言えば変わっていた。

 言葉遣いは妙に丁寧で、教養もある。にも拘らず圧倒的に世間知らずだったのだ。

 あれは買われてすぐの事、奴隷商館からの帰り道だった。食事をする為に立ち寄った店で、彼は奴隷である私を椅子に座らせ、自らと同じように食事をさせた。

 本来、奴隷が人として扱われる事はほとんどない。仮に丁寧に扱われたとしても、主人と同じテーブルで食事を取るなど絶対にあり得ない事なのだ。

 戸惑う私に彼は言った。

『一人で食べても味気ないから。一緒に食べよう』

 そう、彼は私を奴隷としてではなく、一人の人として見てくれていたのだ。

 嬉しかった。


 ――でも。


 彼は私を、奴隷を買ったのだ。

 その事を忘れてはいけない。

 ちょっとくらい優しくされたからって簡単には信じられる訳がない。


 彼が私に求めた事は主に三つ。


 一つ目は、一緒に冒険者として活動する事。

 使い捨ての盾にでもされるのかと思ったけれど、そうではなかった。

「君には魔法の才能がある」

 自信満々に言い切った彼の言葉通りに、私は戦う力を得た。


 二つ目は、彼にこの辺りの常識を教える事。

 世間知らずなのは、とても遠い所から来たからだと寂しそうに笑っていた。


 三つ目は、彼の身の回りの世話をする事。

 まぁ、これは奴隷としては当然と言えば当然だった。


 身体目当てで買われたと思っていた私としては、少しばかり拍子抜けではあった。まぁ彼の様子を見る限り、全く下心がなかった訳ではなさそうだったけど。彼は何か葛藤しているようで、私に手を出していいのか悩んでいるみたいだった。だから彼には悪いけど、それを利用させて貰った。自分から望んで性奴隷になんてなるつもりなんて更々ないのだ。


 とにかく彼に買われた事で私の生活は一変した。

 彼と共に生活し、依頼をこなし、魔法や剣の訓練をする。

 どこにでもいる普通の冒険者のようだった。その生活は楽しくて、彼の優しさは私の心を癒してくれた。食べた事もない美味しい物をたくさん食べる事が出来たし、今まで行けなかったいろんな場所に行き、様々な人に触れ合い、多くの事を学んだ。

 それはまるで夢のような生活だった。

 奴隷となって諦めたはずの事が、当たり前のように出来ていた。

 彼には感謝してもし尽せないだろう。


 そうやって過ごして来た毎日だけど、不可解な事があった。彼の成長速度が明らかに異常だったのだ。それはきっと彼が神に愛されていた証だったのだと思う。

 そして異常な程の成長は彼だけではなく、私にも当て嵌まった。どうしてこうなってしまったのかは分からない。でも、どこにでもいる普通の町娘だった私に"氷姫"なんていう二つ名が付いてしまったのは、間違いなく彼のせいだと思う。


 だけど、そこまでだった。

 彼は私なんかが足元にも及ばない程に強くなっていた。そして同時にいくつもの偉業を成し遂げていた。当然そんな彼の周りには、自然と凄い人達が集まって来た。

 "剣聖"、"賢者"、"聖女"。その実力に相応しい二つ名を持った三人の美しい女性達。彼女達はそれぞれの国を代表する由緒正しき人達だった。

 いつの間にか"勇者"と呼ばれる様になった、彼の隣に立つのに相応しい存在だ。


 奴隷である私とは違うのだ。


 だから私は彼に伝えた。

 これ以上、足手まといになりたくはないと。

『そんな事はないよ』

 彼はそう言ってくれたけれど、私は首を振って否定した。彼だって分かっているはずなのだ。これからの旅に、私では付いていけないという事を。


 彼は少しだけ悩んだようだったけれど、すぐに笑みを作って私に提案をした。

『君を奴隷から解放しようと思う。今まで一緒にいてくれてありがとう』

 そして、こう続けた。

『君には三つの選択肢がある。一つ目は、ここから去り、自由に生きる事。今の君にはそれだけの力があるはずだからきっと大丈夫。支度金も用意する。だけど出来れは選んで欲しくはないな。二つ目は、僕の屋敷でメイドとして働く事。給金は期待してくれていいよ。もし選択を迷うようならこれがお勧め。三つ目は……。出来ればこれを選んで欲しい。僕のお嫁さんになる事。気付いていたと思うけど、僕は君の事が好きなんだ』


 予想外の告白だったけれど、嬉しかった。

 だって私は彼に惹かれていたから。


 驚く程強い癖に、心が弱くて、かと思えば自分の身を挺して私を護ったりする。誰よりも優しい癖に、必要な時には非情にもなれる。そんな不思議な人。

 いつでも奴隷である私に気を使ってくれて、どんな時でも私の心に寄り添ってくれた。私なんか足元にも及ばない程、綺麗な人に囲まれているのにも拘らずに。

 そう言えば、結局彼は私に手を出さなかった。

 奴隷なんだから好きにすればいいのに。

 普通の女の子のように接してくれて、解放と同時に結婚を申し込まれるだなんて……。


 ――でも、ダメだ。


 解放されたからと言って、奴隷であった私が、勇者である彼のお嫁さんになる。そんな身の程知らずな事が、出来るはずがないのだから。彼が許してくれても世間はきっと、それを許しはしないだろう。私なんかのせいで、彼の名誉を傷付けてしまう訳にはいかないのだ。

 

 だから……。

 だから私は……。

 

 結局私が選んだのは二つ目の選択肢、メイドとなって彼に仕える事だった。

 どうやら完全には諦め切れないらしい。どんな関係でも良いから、傍にいたい。そう思ったのかもしれない。


 私がメイドになってからも彼の活躍は凄まじかった。

 魔物に占領された街を開放したり、他種族との融和を図ったり、挙句の果てには邪龍の討伐まで成し遂げてしまったのだ。

 それはまるで、お伽噺に出て来る勇者そのもののような活躍だった。


 私はそんな彼を誇りに思うと同時に、いつも不安でいっぱいだった。

 危ない事ばかりを繰り返す彼に、いつか取り返しのつかない事が起こるのではないかと思い、気が休まる事がなかったのだ。

 なぜなら、どれだけ凄い力を持っていても、どれだけ周りが期待していたとしても、彼が一人の人である事には変わりないのだから。勇者だなんて言われていても、本当の彼はとても弱くて優しい人なのだ。

 だから本当の事を言うのなら、これ以上無理はして欲しくなかった。魔王なんかと戦わないで欲しかった。

『ありがとう。でも大丈夫だから。お土産楽しみにしてて』

 まるで旅行にでもいくかのように、彼は魔王討伐へと旅立って行った。

 行ってしまったのだ。


 報せが来たのは、それから三ヶ月程が経った後だった。


 ――勇者は自らの命を犠牲にして、魔王を討伐した。


 役目を終えて帰って来た勇者の仲間達。剣聖、賢者、聖女の三人が、そのように報告したのだそうだ。

 私はその言葉が信じられなかった。

 彼がそんな簡単に死ぬわけがない。

 だって、大丈夫だって言ったんだから……。


 現実を受け入れられない私に追い打ちをかけるように、お城からの使者が勇者の遺言状を持ってやって来た。なんでも、魔王討伐へと出向く前に、勇者によって預けられたのだそうだ。


 手紙には、この屋敷を含める全ての財産を私に譲渡すると書かれていた。

 そして最後に一言、"愛している"とあった。

 財産なんていらないから、生きて帰って来て直接言って欲しかった。


 日が沈み、暗くなった部屋の中、再び独りぼっちになってしまった私は、彼の好きだったソファへと身体を倒した。頬に当たる柔らかな感触に涙が零れそうになるけれど、私はそれを必死で堪えた。だって一度でも涙を流してしまえば、彼の死を認めてしまいそうな、そんな気がしたから。


「嘘つき……。大丈夫だって言ったくせに……」

 呟いた言葉が虚しく響いた。

 信じたくないのに、どうしようもない現実がそこにはあった。

 彼がいない。

 彼だけが、いないのだ。

 それを思うだけで、空っぽの胸が締め付けられるような、そんな気がした。


 いつの間にか眠ってしまったようだ。

 身体を起こした私は身体にかかっていた毛布を……。


 どうして毛布が?


「おはよう。それから、ただいま」

 声のした方を向けば、彼がいた。窓の前に立っていた彼がゆっくりとこちらへと歩いて来る。月明かりに映し出された彼は、確かにそこにいた。

「――よかった」

 また会えた。

 ただそれだけが嬉しかった。

「ご、ごめん!」

 彼は慌てたように駆け寄って来て、私の頬にハンカチを当てた。

「死んだって聞きました」

「ごめん、それ嘘なんだ」

「どうして、ですか?」

「魔王という脅威がいなくなった世界には、勇者なんて必要ないだろ?」

「でも……」

「僕にはもう勇者としての力はないんだ」

「え?」

「本当だよ。パーティの皆にもそれを話して、僕が死んだ事にして貰ったんだ。勇者としての力がなければ、僕なんて何も出来ないからね」

「そんな事はありません」

「ありがとう。でも事実だよ」

「じゃあ彼女達は……」

 あの三人も彼の事が好きだったはずなのだ。だから魔王を討伐した後は、彼女達と結ばれるのだと思っていた。

「僕と違って、皆には背負うべき国があるから。勇者としての力を失った僕では吊り合わないんだよ。それに……」

「それに?」

「前にも言ったけど、僕は君の事が好きなんだ」

「えっと、あの、その……」

「ずっと考えていたんだ。君と一緒になれる方法を。前に君に言われた通り、勇者のままでは君は絶対に首を縦には振らない。だったら僕が勇者でなくなればいいと思ったんだ。僕が一般人なら関係ないだろ?」

 

 目の前に差し出された小さな箱。

 彼の手によって開けられたその中には、小さな宝石の付いたシンプルな指輪があった。混乱している私に彼が笑いかけた。


「僕の生まれ育った場所では、結婚を申し込む時に指輪を送る風習があるんだ。力を失い、勇者としての肩書もなくなったけれど、君への気持ちは変わらない。何にも持っていない僕だけど、一緒になってくれますか? どうか僕と結婚してください」


 バカだ。

 私なんかと一緒になるだけの為に、今まで積み上げて来たモノ全てを手放してしまうなんて……。力を失ったからと言って勇者としての功績まで捨てる必要はなかったのに。

 本当に大バカだ。


 でも……。

 どうしてこんなにも嬉しいんだろう。

 どうしてこんなにも涙が出て来るんだろう。

 どうしてこんなにも……。


 こんなの、ズルいよ……。


 奴隷だった私なんかの為に、こんな、こんな……。


「答えを聞かせてくれるかな?」


 彼は不安そうな顔でこちらを窺っていた。

 本当にこの人が、魔王を倒したのかと疑いたくなるような、そんな表情だった。それは私が良く知っている弱くて優しい彼の素顔。そんな彼があまりにも愛しく感じられた。


 だから私は、目の前で不安そうな顔をしている彼へと、思いっきり抱き付いた。

 力がなくても、勇者でなくても構わない。ただ彼と一緒にいられるのなら、私はそれだけで良い。


 もう絶対に、離れてあげないんだから。


















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[一言] ハッピーエンドでしたね お幸せに 題名がいいです、目立ちました
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