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灯と不思議と夏の歌

作者: 山本桐生

                 【プロローグ】


 黒猫のバッチを胸にした女の子。

 夏休みの最初の日、初めて見た同い年の親戚は少し変だった。

 俺、遠野啓はそう素直に感じた。

「初めまして。遠野灯、11歳。見た目ほど暗くないです。むしろ思ったよりは明るい子なんでギャップが楽しいかも。よろしく」

 と言う灯は無表情。

 ひたすら陰な雰囲気を漂わせている。何故だろう、灯の背景がどよ~んと淀んでいるのは?

 スッと腕を差し出す灯。

 握手を求めているのか?

「……遠野啓。よろしく」

 少し警戒しながらも、俺はその手を握り返そうとするのだが。

 灯は俺の手を取り、そしてその掌を上へと向ける。

そして灯は呟く。

「……ここが生命線」

「……」

「ここが運命線で、ここが感情線、そして私が乗って来たのが東武伊勢崎線……なーんつって」

 と冗談を言う灯は全くの無表情。

 そもそもお前が乗ってきたのはわたらせ渓谷鉄道だ。

 取り合えず俺は……

「とりゃ」

 ズベシッ!!

 脳天にチョップをくれてみた。

 頭を押さえて灯は一言。

「……ひでー」

 言いつつも、やっぱり灯の表情は変わらない。全てにおいて無表情だけが一貫している。コイツは変な奴だ。俺はそう思ったのだ。



                  【第一話】


 その夜は蒸し暑かった。

 粘着くような湿度の高い空気。まるで泥の海に沈んでいるような感覚。

 ただただ息苦しい。

 その時、俺は夢を見ていた。

 誰かが天井から俺を見下ろす夢を。

 まるで赤い豆電球。二つ並んで揺れている。グルン、グルン、回転をしている。部屋中を見回している。

 グルン、グルン、グルン……

 その動きもやがて止まる。俺を見つめて。

 それは動く事もなく、そして音を発する事もなく、ただ俺を見つめていた。

 そして俺はそれから目を逸らす事が出来ない。

 ただ体中の筋肉を硬直させ、その存在を見つめていた。

 ……け……い……

 それは知っている声。

 ……啓……

 夏休みに入ってから、毎日のように聞く声。

 不意に視界がボヤけた。

「啓」

「どはっ!!?」

 布団から跳ね起きた俺が真っ先に見たのは天井だった。

 まだ夜は明けていないが、薄っすらと外は明るくなっている。

 薄暗い天井。そこには何もいない。

 やっぱり……

「ゆ、夢……?」

 体中がベットリと汗に濡れていた。シャツが肌に張り付いている。

 そして……薄暗い中に浮かび上がる、布団脇に座る人物。

「あ、灯?」

「大丈夫、啓?うなされてた」

 それは隣で一緒に寝ていたはずの灯。

「……ちょっとイヤな夢を見てた」

「ん。天井から誰かが覗いていた夢」

「……」

「……」

「……おい」

「なに?」

「なんで、俺の夢をお前が知ってんだよ?」

「……それは秘密。何故なら霊感少女だから」

 無表情で。冗談などを感じるさせる表情じゃない。それが当たり前のように、灯はそう言った。

「えい」

 灯に脳天唐竹割りチョップを食らわせる。

「すごく痛いんですけど~」

「なんだよ。『霊感少女』ってのは?答えなきゃまた食らわすぞ」

「簡単に言うと、私の霊感が強いのが啓に影響して、啓も霊感が強くなった。だから啓も幽霊が見える」

「……取り合えず話を聞いてやるから。知っている事を教えろ」

「ん。多分、啓の夢に出て来たのは、お祖父さん。最近、暑いから体の体調を崩さないようにって。そういう警告」

「一応、言っとくけどな。生きてるから、祖父ちゃん」

「……実はお祖母ちゃんかも知れない」

「祖父ちゃんも祖母ちゃんも、この家で見てるよな。お前も。言っとくけど父ちゃんの方も祖父ちゃん祖母ちゃん両方とも生きてるからな」

「……私……の?」

「知らねぇよ!!第一、俺に聞くなよ!!」

「……私だって万能じゃない」

「……もういい……寝る。お前も布団に戻れ」

「ん。オネショした布団を啓のと取り替えたら」

「俺に濡れ衣を着せるつもりかよ!!って言うかオネショしたのかよ!!?」

「じょ、じょじょ、じょじょじょじょじょ冗談」

「……」


 ちなみに翌日。

 物干し竿に掛けられた敷布団。それを見詰め灯がポツリと呟く。

「これがムー大陸か」

 ……違うよ。


 夜、再び。

 まさか二夜連続で同じ夢とは。

 誰かがまた俺を見下ろしている。誰だかは分からない。そこにどんな意味があるのかは分からないが、ただただ無言で。

 背筋が凍る。まるで氷柱が体の芯にあるよう。体の末端が異常に冷たい。まるでそこに血液が通っていないような。

 どれくらいの時間が経過したのか……感覚が狂い、まったく分からない。ただ永遠と続いているような感じがする。

 それを不意に破ったのは灯だった。

「啓。来たよ」

 灯が掃除機を持って、やって来た。

『灯!!?』

 俺は声も発する事が出来ない。体も動かない。ただ瞳だけが動く。その瞳で灯の姿を追う。

「……」

 灯は天井を見つめた。当然、そこには瞳の赤い存在がそこにいる。それを見た後、灯は俺に向き直る。

「……誰?」

『知るか!!?』

 とツッコミたいが口を動かす事すら出来なかった。

「まぁいい」

 灯、掃除機の口をその赤い存在に向ける。

『お、おい……な、何を……?』

 ブィィィィィン

 スポンッ

『ウソッォォォォォん!!?』

 あの赤い目の存在が。幽霊だか妖怪だか分からないが、あの意味もなく俺を恐怖させた存在がアッサリ……掃除機に吸われた。

「よし」

 そんな灯の言葉と同時。

「うおっ!!」

 布団から跳ね起きる。

「ゆ、夢?」

「はろーえぶりわん」

 そこには灯がいた。

 その灯の手には掃除機。

「……」

「じゃあ」

 掃除機を手に、去っていく灯。

「……寝る」

 そう言って俺は再び、布団に寝転ぶのだった。

 取り合えず寝よう。また話は明日にでも聞けば良い……そう思ったんだけど……

 隣で灯の動く気配がする。

 ……まさか……コイツまた寝小便した裏工作か!!?

「おいっ!!」

 ガバッと俺が体を起すのと、灯が自分の下着を下げたのはほぼ同時だった。

 お尻丸見えで、膝まで下げられた下着。

「尻ぃぃぃっ!!」

「ん?」

 コイツ、ここでパンツを履き替える気か!!?

 反射的に目を逸らす。しかしここが勝負の分かれ目。

「勝機」

 灯の動きは実に素早かった。俺の背後に回り込み、そしてチョークスリーパーで首を締め上げる。

「!!?」

「すまぬ」

 灯が耳元で囁く、そしてほんの寸秒で俺は夢の中へと落ちていった。


 そして翌日。

 物干し竿に掛けられた敷布団。完全に寝小便の後。

 それを見上げて俺はポツリと呟く。

「本当に俺じゃないんだって」

 灯の裏工作……完了。

 


                 【第二話】


 今日も今日とて、とても暑い。

 真上から降り注ぐ太陽はまるで刺すように責め立てる。

 蚊取り線香の煙が立ち上がる縁側で、俺は唸るように呟いた。

「あっちぃ~~~」

 縁側の軋む音、そしてペタペタと聞こえる素足の足音。

 俺は、かったるそうに音の方へ首を向けた。

 そこには、灯に死んだと思われていた祖母ちゃんが立っている。その手に持つ盆の上にスイカを乗せて。

「灯ちゃんは?」

 温和な、人の良さそうな笑顔を浮かべたまま祖母は見回す。

「知らないけど近くにいるよ。さっきまでそこで朝顔の観察をやってたから」

 パラパラパラと塩を振ったスイカは甘かった。

 ヒンヤリ、シャクッとした感触と共に、瑞々しい甘さが口一杯へと広がる。コレなら丸ごとでも食べる。むしろ灯がいないから食べるべきだ。

 そんな事を見抜いてか、祖母は言うのだった。

「ちゃんと灯ちゃんの分も残してあげなさい」

 シャクッ、シャクッ、シャクッと軽快にスイカを食べていく。スイカは良いねぇ~スイカは俺を潤してくれる。農家が生み出した果物の極みだよ……野菜か?まぁ、どっちでも良いか。

 そこら中で、命を絞り出しているかのような大音声でなくセミの声。

 夏だなぁ。

 ぼ~っと、スイカを手に持ったまま、ゆっくり流れる時間の波に揺られる。

 それを打ち破ったのは、朝顔の観察を終えたらしい灯だった。

「啓」

「ん?」

「ツチノコ捕まえた」

「ブハッッッ!!」

 灯がビール瓶に似た、謎の生物を少しだけ誇らしく掲げる。

 それを見て、俺は食べていたスイカを噴出す。

「汚い」

「ゴホッ、ンッ、ンッ、ゴホッ、ゴホッ」

 スイカの水分が肺に入り込み、激しく咽る俺を見て、灯の一言。

「なむー」

「死んでないから」


「で、コイツは?」

「だからツチノコ」

 ビール瓶のように太った蛇。作り話の中でよく見るその姿。存在しないと言われる珍獣が今ここに。

「どうすんだよ?」

「ん。ホイル焼きにしようと思う」

「!!?」

 今なんて!!?

「ダメ?」

「食べるのか!!」

「ん」

 そう首を縦に振る灯の手にはツチノコ、そしてアルミホイルとバター。

「しかも食う気満々だ!!」

 手にしたツチノコは、嫌々っと会話を理解しているかのように身をよじっていた。

 まだ生きている。

「啓がさばく」

「さばけるか!!」

「じゃあ、サーカスにでも売り飛ばす」

「おうおう。坊主ども」

 その時である。ツチノコが体を激しく揺すって。

「喋ったぁぁぁぁぁ!!?」

 さすがの俺も度肝抜かれる。

「ツチノコが喋ったら悪いんか?ツチノコ喋ったら犯罪か、こら?」

「そ、そういうワケじゃないけど」

 ツチノコの剣幕に圧される。

「ツチノコだって、喋れば、パチンコもするわ」

「するの?」

 至って冷静に灯。

「嬢ちゃん。ツチノコなめたら……ベトッとするぞ!! ほら、さっさと離さんかい!!」


 そして……

「なんでこんな事に……」

 縁側で正座をさせられる俺。そして灯。二人の正面にはタバコを吹かすツチノコ。

「そこ!!人が喋ってる時は黙って聞けや」

「はい……」

 ツチノコに説教を食らっていた。

「いいか。お前ら人間がな、木を切り倒し、森を削り、緑を減らしてきた。山で生きる俺達には厳しい世界よ。そんな俺をさらにサーカスに売り飛ばすってのか!!?このド腐れがぁ!!」

 そんなツチノコに大して、灯は真摯だった。そしてある種の決意を持って言った。

「ごめんなさい、ツチノコさん。私たち何も知らなかった……」

「いや、分かってくれればいいんだ」

「……」

 なんだろう、この会話?

 俺は半分呆れたように頭を垂れる。

「私たち……植林する」

「ええっ!!?そんな話になるのか!!?」

 度肝を抜かれる。通算二度目。

「おっちゃん、物分りの良い子は好きだぞ」

「ホントに植林でいいのかよ!!?」

 度肝を抜かれる。通算三度目。

「じゃあ、問題は解決しました。じゃあ、スイカで乾杯」

 と灯。

「ええっ!!?解決しちゃったの!!?」

 度肝を抜かれる。通算四度目。

「ああ、スイカで乾杯」

 とツチノコ。

「お前も乾杯するのかよ!!しかもスイカで!!?」

 度肝を抜かれる。通算五度目。

 そして灯に差し出したスイカにツチノコがかぶり付くと、その瞬間。

「ギョアァァァァァァァァッ!!」

 鼓膜を切り裂くような金切り声と共に、ツチノコが吐血したのだ。

「どうした、ツッチー?」

 既に愛称を付けている灯。その手の中でツチノコは呟いた。

「し……お、しお……」

「塩?ツッチー、どういう意味?」

「ス、スイカに塩が……俺らツチノコは塩に……弱い……」

 ガクリッ……

「……死んだのぉ!!?」

 度肝を抜かれる。通算六度目。既に足腰も立たない。

「ご臨終です」

 それだけを灯が呟いた。


 この家は、すぐ背に山を背負っていた。大きな山ではないが、決して小さくも無い。ただ迷えば大人でもそのまま野垂れ死ぬ事があるだろう。

 ただ俺にとってはただの裏山、遊び場に過ぎなかった。

 その山の中に今、俺と灯がいる。

 灯がその小さなスコップで土を掘る。

 山で生きるツチノコは、その体を山へと戻す。そう灯が提案した。その前に何処に売ればいいのかの議論も行われたが。

 小さな穴にツチノコの頭を突っ込む。

「おい……」

 地面に頭だけ突き刺さったツチノコ。その姿はまるで……

「植林の練習」

「あははははっ」

 灯の奴、不謹慎だがなかなか面白い事を言うな。

 その声に反応したようにツチノコの体がプルプル震える。そして土の下からはツチノコのくぐもった声。

「お~ん~ど~れ~らぁぁぁぁぁ」

「あ、灯、生きてるぞ。抜け、早く抜いてやれ!!」

「どっこいしょー」

 スポンッ!!

「てめぇら。俺を殺そうとしやがったな?」

 ドスの効いた声に、俺は少しだけビビリながら。

「いや、し、死んじゃったと思って……」

「塩食ったぐらいで死ぬか。気絶しとっただけだ」

「そ、そうだったんですか」

「塩で気絶させといて、地面の下で窒息死させる気だったんだな?」

「そんなつもりは……」

「もういいよ。啓」

「え?」

 突然に灯は言う。

「最初から剥製にして売り飛ばせば良かった」

「ギョッ!!?」

 驚きの効果音を、自らの口で表現するツチノコ。

「ダッシャ」

 灯の振り上げたスコップ。それを力一杯に振り下ろす。

 ザクッ!!

 地面に突き刺さるスコップと、辛うじてそれを避けるツチノコ。

「上手く避けたね。次こそは……」

「こわー!!アンタ怖いわ!!イヤよ、やめなさいよぉ!!」

「このツチノコ女言葉になってるぅぅぅ!!?」

 度肝を抜かれる。通算七度目。もう疲れた。

「だら」

「きゃー」

「うら」

「ひぃー」

「せい」

「死にたくないわぁぁぁ!!」

 そう叫びつつ。ツチノコは山の奥へと消えた。泣き声と共に。

「灯……やりすぎじゃないのか?」

 灯は悪びれもせず、シレッと答える。

「これでもう山から下りてこない。その方が安全」

 ツチノコのための行動なのか……

「そう言えばあのツチノコ、どこで捕まえたんだ?」

「うちの冷蔵庫を漁ってた」

「くそ、あの野郎!!」

 と俺がいくら山の中を駆け回っても、もうツチノコを見つける事は出来なかったのだ。



                 【第三話】


「見ろ」

 学校指定のスクール水着。水中メガネとシュノーケル。そして浮き輪を装備している灯がいた。

 まぁ、何が言いたいかはだいたい分かる。

「見た」

「泳げないけどプールに行く。ハワイとは言わない。だから市民プールでお願いします」

 居間で朝からゴロゴロとしてる俺。視線を向けた時計が示すのは午前9時。朝一で市民プールに行くのか。

 面倒臭い。

「ほら、啓。ボイ~ン、ボイ~ン」

 全く、皆無に近い胸を強調するように上半身を揺らす。もちろん無いものは揺れないのだが。

「ちっともボインじゃないだろ」

「でも少しは膨らんでる」

 灯がスッとスク水の肩紐から両腕を抜こうとする。

「待て!!分かったから!!一緒に行くから!!」

「うむ。連れてけ」


「うーみー」

「プールだろ」

「雰囲気で」

「じゃあ、レッツトライ」

 日差しは強いが、時間が時間だけにまだ人の少ないプール。

 さっそく灯がプールへと向かうが。

「お前、ちょっと待て!! さっき泳げないって言っただろが」

「ん。だから教えて」

「じゃあ、向こうの浅いプールで練習をしてからにしようぜ」

「おしっこプール?」

「……」

「あっちのプールは子供ばっかり。子供はプールの中でオシッコする。だから気分的にイヤ」

「……お前もすれば」

「間に合わないようだったらそうする」

「するなよ」

「どっち?」

「……もういいよ。さっさと教えてやるから行くぞ」

 仕方ない。

 俺は子供用プールとは逆方向にあるプールへと目を向ける。大人用のプールの方では、まばらながら何人かが泳いでいた。

 俺と灯だとギリギリなんとか足が届く。まぁ、監視員もいるし溺れる事も無いだろう。

 どぼんっ

「じゃあ、まず基本はバタ足だ」

 そういって、灯の方に手を伸ばす。

 浮き輪でぷかぷか浮ぶ灯の手をとって、バタ足の練習をさせようとしたのだが。

 ……手がない。

 水面に浮かぶ浮き輪からは、二本の足が生えていた。ひっくり返っている。

「わー」

 慌てて、灯の足を掴んでぐるんとひっくり返す。

「犬神家」

 水面に出た灯の口からでた第一声がコレだ。そのお前のサービス精神に関心するよ。

 ただ無理すんな。

「汚いなぁ」

 鼻水がダーダー出てるじゃないか。

「こっちは鼻水プール」

「オマエの所為なんだけどね。でもなんでいきなり逆さになってんだよ?」

「飛び込みは頭からが基本」

「浮き輪付けて、頭から飛び込む奴があるかっ……でもな、泳げないのに飛び込むそのチャレンジ精神、嫌いじゃない。しかし十年早い!!それにここはもともと飛び込み禁止!!見ろ、監視員がメチャクチャ睨んでるぞ!!」

「グー」

 灯は親指を立てて監視員にサムズアップ。喧嘩を売るようなマネは止めろぉ……


 そこでふと、あるモノが目にとまる。

 プールの中央辺り。

 ん?あれ……?

 そこに少しだけ奇妙な何かを見たからだ。嫌なモノを見付けてしまったようだ……

「啓にも見える?」

「どういう事だよ?」

「地縛霊」

「何っ!!?」

 プールの中央、人の顔の上部分だけが見えていた。頭と目だけ。それより下は水の中に沈んだまま。

 動くことも無く、ただひたすらにこちらを見つめている。

「向こうも私達に気付いて見てるね」

「……帰るか」

 その時である。高校生らしき男子がクロールで地縛霊へと突っ込んでいく。そして高校生と地縛霊とが重なった瞬間。

 まるで引きずり込まれたようだった。

 違う。

 まさに文字どおり、引きずり込まれたのだ。

 高校生の体が水の中へと沈む。

「お、おい、灯!!」

 俺は咄嗟に灯を見る。だが至って灯は冷静に。

「監視員がいるから大丈夫」

 灯の言う通り。プールサイドの監視員が溺れる高校生に気付き、すぐさまにプールへと飛び込む。そしてなんら問題無く助け上げるのだ。

「じゃあ、私たちも地縛霊に気を付けて泳ぐのだ」

「正気か!!?」

「イヤ?」

「お前なぁ、地縛霊の居るって言うプールで泳げるか」

 夏休みに入ってから、ほぼ毎日が心霊現象体験日。既に灯の言う事をそのまま受け入れている俺がいる。

「じゃあ、除霊する?」

「出来るのか?」

「ん」

 頷くと同時に灯は浮き輪で浮かんだまま、スイ~と地縛霊へと近付いていく。

 地縛霊と何か交渉をしているらしい。

 そして戻ってきた灯。

「何を話してたんだ?」

「どうしたら昇天してくれるか聞いてきた」

「で、なんだって?」

「水泳勝負。こっちが勝ったら昇天するって」

「今、サラリととんでもない事を言ったな。水泳勝負?」

「ん。あの地縛霊と勝負」

 そして何故、こんな事になってしまったのだろう。

 それがこの地縛霊の力かどうかは分からないが……

 突然だった。まるで重量を持ったような灰色の雲が空を覆う。真夏の太陽を遮るほどの雨雲。すぐ頭上から地を揺らすような雷鳴が聞こえる。

 そして突風が吹いたと同時、天の底が抜けたかのような激しい雨が降り注ぐ。

 雨のカーテンが視界をふさぐ程だ。

 プールの利用者たちはどんどんとプールから上がりだした。

 そして利用者が居なくなったのを確認して、監視員もプールサイドから離れていく。それを見計らって俺と灯はプールサイドへ。

 激しく雨が打ち付けるプールの水面。地縛霊の顔上半分だけが見えている。

「ほ、ホントに俺が?」

 霊関係に馴れたとはいえ、やっぱり怖い。

「ん。ほら来た」

 その霊の頭がスゥゥゥゥゥと移動する。プールの端、スタート台の方へと。勝負をする気なのだ。

 灯は泳げない。だからって俺が?

 嫌々ながらもスタート台に立つ。

「他に手は無いのかよ?」

「無い。行くよ」

「うう……」

「ヨ~~~~~」

 ゴクリと唾を飲み込む。

「~~イ、ドン」

「どわっ!!?」

 どぼーん、と水が跳ねる。

 灯の野郎、俺をプールの中に蹴り落としやがった。

 崩れた体勢で水の中に落とされたワケだが、すぐさまに体勢を立て直す。心の中で『灯の奴、後で殴る』と誓いながら。

 そして俺は水中で見てしまう。自分と並んでいる地縛霊を。

 水の揺れる影響かも知れない。地縛霊が人の形をしているのは分かった。しかし。全体像がどこかボヤけ曖昧だった。なのにその目だけはハッキリと認識できる。

 恐怖も手伝い、俺の泳ぐスピードは驚くほど早い。

 水面から上の世界は雨と風とが吹き荒れているが、プールの中は驚くほど静かだった。

 まるで弓矢のようにプールを突貫していく俺。

 多分、負けない。

 そう思った瞬間だった。

「!!?」

 何かが足に絡まった。否、何かが俺の足を掴んでいる。

 そしてプールの底へと引きずり込もうとしている。

 俺の足を掴んでいる手。それはあの地縛霊の手だった。

 勝負する気など始めから無かったのかも知れない。ただ俺を溺れさせる事が目的だったのかも知れない。

『灯の奴、こんな事に巻き込みやがって!!』

 怒りと恐怖を押さえ込み、水中でもがく。

 必死に地縛霊の手を振り解こうと暴れた。

 捕まれた手を蹴り付けるのだが、感触も抵抗も何も感じられない。

 向こうはこっちを触れるのに、こっちは向こうに触れられないようだった。

 もがき、暴れる。体をいっぱいに伸ばして、酸素をもとめて顔だけを水面の上に出すのが精一杯だった。

 それも一瞬。また水面の下に引きずり込まれてしまう。

 このままじゃ……。

 灯に助けを……と思った俺が一瞬だけ見たものは……ゴール地点、浮き輪でバシャバシャと泳いでいる灯だった。

「ゴール。私が一番」

 その瞬間、俺の足を掴む抵抗がフッと消えた。

「啓が地縛霊の注意を引いてくれたから勝てたよ」

「……」

「足止めご苦労。後でこの使用済みスク水あげる」

「……」


 その後。

「……」

 ビシッ、ビシッ、ビシッ

「いた、いた、痛い」

 頭を小突く俺と、頭を小突かれる灯がいた。

 そしてさらに灯から驚愕の真実が告げられるのだった。

「それと間に合わなかった」

 何が!!?もしかしてアレか!!?まさかプールの中でやったのか!!?

 しかしその問い掛けに、灯が答える事はついに無かったのだ。



                 【第四話】


 通り抜ける風は気持ち良い。

 涼しくは無いけど、エアコンなんて必要ない。この暑さも夏を楽しんでいる証拠なんだと思う。

 そして風鈴の音は実に涼しくて……なんて事は、実はどうでも良い。

 ノートの上を走るシャープペン。その動きは時々止まる。

 その度に灯が無表情な顔を向ける。

「啓、そこ違う」

「どこだよ?」

 テーブルを挟んだ正面に座る灯が、俺の元からノートを取ると……

 サラサラサラっと、ノートに何か書き込む。

「ここはこう」

「うぐっ」

 灯のクセに勉強はよく出来やがる……

「灯のクセに勉強はよく出来やがる……とか考えているようならもう教えない」

「うぐぐっ」

 我慢だ、我慢するだ、啓……そんなふうに自分に言い聞かせる。

 そう夏休み最大の難敵、宿題!!

 二人してこうやって夏休みの宿題をしている俺と灯。そしてここで信じられないような衝撃の事実が判明する。

 灯の奴、めちゃくちゃ頭が良い!!

 ここは灯のバカ野郎を利用するために我慢だ我慢。

「ここは灯のバカ野郎を利用するために我慢だ我慢……とか考えているような顔してる」

「……してねぇよ」

「してないです、灯様」

「……してないです、灯様」

「『様』と『SUMMER』を掛けたようだけど面白くない」

 掛けてねぇよ!!それにお前が言わせたんだろ!!

 取りあえず怒りを抑えるために別の話題にする。

「で、お前は今何の宿題をしてんだ?」

「朝顔の観察日記」

「ふ~ん」

 何気なくその灯の朝顔の観察日記を見ると……何これ、モルボル?

「灯、付けているのは朝顔の観察日記だよな?」

「ん」

「朝顔の花らしきトコに口があるし牙があるし、触手がいっぱいあるよな?」

 某ゲームに出てくる植物の怪物。

「まあ」

「これは朝顔じゃないよな?」

「……夕顔?」

「うん。そうだな。そういう問題じゃないな。でもまぁ良いよ。お前の宿題だし」

「ん……分かんない。啓、一緒に行って見て」

「え、やだ」

 こんな植物が地球上にあるとは思えない。ただの灯のイタズラ、創作だと思うだろう……普通は。

 こいつなら平気でこのモルボルを育てていても不思議じゃない。

「……」

「だ、だってお前ならありえるし。こういうの育ててるの」

「種はちゃんと朝顔だった」

 と言って、指でピンポン球ぐらいの輪を作る灯。

 それ絶対違うから。

「とにかく嫌だ」

「……じゃあ、一人で見てくる」

 灯はすくっと立ち上がった。

「……」

 そしてその場で、無表情にジッとこっちを見ている。

 なんですかその視線は?

 無言の抗議なのだろうか。その表情からは全く読み取れない。

 しばらくすると、背を向けて立ち去っていく灯。

 時々、こっちを振り向く。

 ああ、もう。

「灯」

「……」

 灯は立ち止まって、無表情で振り向いた。

「わかった、俺も行くって」


 なんて余計な事の結果がこれだよ!!

「おい!!助けてくれ!!」

 やはりそこにあったのは朝顔などでは無かった。

 花の中心部にはやはり巨大な口。それも鋭く光る牙がいくつも見える。その花びらの部分は触手となり、俺の両腕ごと胴体を抑えるように絡み付く。

 そしてとにかくその大きさ。大人の背丈の4、5倍はあり、その口も俺一人なら一飲みに出来る程に巨大。

 触手が一気に俺の体を宙に持ち上げる。

 この流れは完全に……喰われる!!

「ん……ごめん。啓の事は忘れない」

「て、てめぇこの野郎!!」

 俺の足を掴んだ触手。それが向かう先は、もちろんその花の中心部にある巨大な口。俺を喰うつもりか!!?

 徐々に迫るギラギラした牙。

「なーんて。大丈夫。ちゃんと武器は用意してある」

 すると灯はどこから取り出したのか、斧を握り締めていた。準備は良いのに、なぜこんな植物を育ててしまったのだろう……もっと早めに何とかしとけ。

「せーの」

 灯は大きく斧を構えて、そして力いっぱいにブン回す。

 ザシュッッ

 斧の刃が巨大食肉植物の茎の部分に食い込んだ。しかし一発じゃ断ち切る事なんて出来ない。

 灯が斧を振り回す、触手が暴れる、俺が振り回される。その途中だった。

 ズボンの一部がどこかに引っ掛かる。どこに引っ掛かったのかは分からないけど、それは確かだった。だって……ズルッ……脱げた……

「おわぉっ!!?」

 ズボンがパンツ共々に脱げてしまう。

 そして両手を抑えられているので、そこを隠す事も出来ない。

 無表情の、感情の無いような灯の無機質な視線がそこに突き刺さる。

 そして同じく感情の無い機械的な声で一言。

「まだまだ子供」

「これからだ!!」

 しかし屈辱はまだ始まったばかりだった。

「えい」

 ザシュッ

「そい」

 ザシュッ

「とお」

 ザシュッ

 灯の斧が茎を捕らえる度に触手が痛みを感じるかのように暴れる。

 別の触手が右足に、それとは別の触手が左足に絡まる。

 そして……強制開脚。

「ええぇぇぇっ!!」

 全てが灯の目の前に……

「ほい」

 ザシュッ

 触手が左右に振られる。俺の股間のモノも左右に振られる。

 死にたい、本当に死にたい。

「でや」

 ザシュッ

 今度は犬のような四つん這いの体勢に。もちろん灯に向けらているのは尻側。

「殺せ!!もう俺を殺せ!!殺してくれ!!」

 悲痛な俺の叫び声が響くのであった。


「……」

「……」

「……」

 切り落とされた巨大食肉植物を尻目にしながら、落ちていたパンツとズボンを拾い上げる。

「……」

「……」

「……見たよな?」

「見てない」

「んなワケ無いよな?」

 灯はビシッと親指を立てた。

「……しかしなんだよ、あの植物は……てか植物かアレ?」

「……啓」

「どした?」

「根」

「『ね』とか言われても、何が『ね』だよ」

「根っこの『ね』」

 灯は言いながら自分の足元を指差した。

「……根だな」

 地中からだった。地中から伸びた根が灯の足首に巻き付いていた。もちろんこれは普通の植物の根じゃないだろう。考えるならあの巨大食肉植物の根だろう……それが灯の足首に巻き付いているという事は……

 次の瞬間だった。

 ボコボコボコッと切り倒された巨大食肉植物と、俺達の間の土が盛り上がり、その下から根が姿を現す。

 そして……

「灯!!」

 その根は花びらと同じく触手。それがのたうち回るにようして灯の体を高く掴み上げた。

 今度は俺じゃなくて灯の番。だからと言ってさっきの仕返しとばっかりに静観する事も出来ない。

「らりほー」

 ……いや、余裕だな。静観してても大丈夫か?

 と思いつつ、俺は灯が持っていた斧を広い上げた。

「ていっ!!やぁっ!!おりゃっ!!」

 根を次々に叩き切っていく俺。かっこいい。なんかゲームの主人公になったみたいだ。

 なんて根の切断に熱中してワケだけど……

「啓」

「ん、どうした!!?」

 ふと呼ばれた声に顔を向けると……

 なぜ半裸!!?しかもヌルヌル!!?

 灯の奴、なんか下とかパンツ一枚になっているんだけど。さらに触手が上着の下に潜り込み、捲り上げようとしていた。

 しかも何故か全身ヌルヌルと粘液まみれ。

「脱がされたし、ぬるぬる」

 俺が切った根、その切断面から樹液のような汁が染み出し、灯に引っ掛かっていたみたい。

「い、今助けるから待ってろ!!」

、にゅるん、にゅるん、粘液と触手にまみれた姿は何とも言えない興奮を感じてしまう、いけない小学生な俺。

 しかし早く助けないと!!

 そして最後の一撃。

「おりゃぁぁぁっ!!」

 灯を掴み上げる根へと斧を打ち込む。それは良いけども、結構な高さまで持ち上げられた灯。根を切り落とせば、その高さから灯が落下するわけで……

「灯っ!!」

 俺は斧を放り投げ、灯を受け止めようとする。受け止められなくても、せめて大怪我にはならないように俺がクッションになれば!!

 しかし……にゅるんっ

「あっ!!」

 ドカッッッ!!

 両手で抱き止めようとしたのに……ヌルヌルな灯は俺の腕から滑り抜け、そのまま地面に激突した。

「……お、おい……だ、大丈夫か?」

「……」

「灯?」

「……」

「灯っ」

「……ひでー」


 そしてその日、書き直された日記には下半身裸の俺の姿が書かれていた



                 【第五話】


 その夜も蒸し暑かった。

 粘着くような湿度の高い空気。まるで泥の海に沈んでいるような感覚。

 ただただ息苦しい。

 その時、俺はまた夢を見ていた。

 部屋の中、巨大な蝉が飛び回る夢を。

 普通の大きさじゃない。人間の体ほどもある大きさ。部屋の中を狭しと飛び回り、やがて柱に留まる。

 そして鳴き始めるのだ。

 その蝉の音を、ただ俺は聞いていた。

 動けない、硬直してしまった俺の体。耳を塞ぐ事も出来ない。

 ……け……い……

 知っている声だった。

 ……啓……

 夏休みに入ってから、毎日のように聞く声。

 声が蝉の鳴き声に割って入る。

 不意に視界がボヤけた。

「啓」

「どはっ!!?」

 布団から跳ね起きる。

 ……と言うか前にも同じ事があった。あの時、赤い目をした存在を見た時と全く一緒だ……

「はろーえぶりわん」

「やっぱり……」

 枕元に立つのはもちろん灯だった。

 時間的にはまだ真夜中。

「灯……」

「ん?」

「夢か?」

「あれの事?」

 そう灯が指差した方向に顔を向けると……

「いやがる!!?」

 柱に巨大な蝉が……

「こんばんは。蝉です」

「喋ったぞ!!蝉が喋った!!?」

 蝉の奴が野太い声で喋りやがる。

「まぁ、驚かれたでしょうが、わたくし蝉なんです」

「見りゃ分かるよ!!え、いや、そんなデカイ蝉はいねぇ!!」

「存在が蝉ですか?名前が蝉ですか?」

「わたくしの名前は蝉之助蝉太郎」

「長い上に、どっかで聞いたような名前だな……で、その蝉之助蝉太郎さんが何の用事でここにいるのでしょうか?」

「実はですね、わたくしブッ殺したい奴がおりまして」

「よし、灯。死人が出る前にこの蝉野郎を抹殺しよう」

「成仏させる?」

「成仏?」

「だってこの蝉、幽霊だから」

「つまり蝉が俺を呪い殺そうとやって来たというワケか」

「いえいえ、ブッ殺そうと思っているのではあなたではありませんよ」

「じゃあ、なんで俺のトコに来てんだよ?」

「それはですね、私の仇なんですが、コイツなんですよ」

「……扇風機?」

 俺と灯の視線は蝉が留まる、さらに上、柱に取り付けられた扇風機へと視線を向けた。


 それは確かにあった。

 数日前だった。

 その日も暑く、窓や戸など全てが開け放たれていた。通り抜ける風と扇風機の風がエアコンの代わり。

 扇風機は柱の上の方に取り付けられ、天井に近い位置から風を送り届ける。

 そこに蝉が入り込んで来た。

 窓や戸も開け放たれているから、虫が入り込んでくるのは珍しい事じゃない。この蝉もそのうちに出て行くだろう、なんて思いながら俺は畳の上をゴロゴロと転がっていた。

 そして悲劇はその時に起きる。

 蝉の飛ぶ羽音、そして、バチュンッ

 蝉が扇風機へと突撃、そしてその回転する羽によりバラバラに……

「……」

 な、なんて悲惨な……てか、この蝉の残骸はやっぱり俺が片付けるのか……なんてのが数日前。


「で、この扇風機に復讐してやりたいと」

 俺は言いながら灯をチラッと見る。

 灯だったら、この蝉をどうするのだろう?

 しかし灯はいつも通りの無表情を浮かべているだけ。

「でもなぁ」

「考えてみて下さい。わたくし、土の中で6年も7年も頑張って成虫になったのにわずか一日でこんな事になるなんて……夏の短い間だけ……大空を飛んで蝉として人生を謳歌したかったのに……嗚呼、くちおしや~くちおしや~」

「確かに悲惨だけどさ……だからって、扇風機に復讐ってどうする気なんだよ?壊すとか?」

「いえ、無抵抗を相手にしても虚しいだけなので。出来ればお互い死力を尽くして戦うぐらいの一生懸命さが無いと」

「無機質相手に無理言うな」

「啓」

「ん?」

 そこで灯が俺の肩をちょんちょんと突付く。

「物に魂が宿ると妖怪になる。それが付喪神」

「おう、扇風機を妖怪にして蝉と戦わせるワケか?でもどうやってその付喪神ってヤツにするんだよ?」

「さぁ?」

「……今、どうして付喪神の話を出したんだよ?」

「知識を披露したかっただけ」

「……」

「……」

「……ていっ」

 ポカッ

「ひでー」

 灯の頭を例の如く引っ叩く。

「……でも私に良い案がある」

「良い案?」

「それがあればわたくしは扇風機と戦えるんですね?」

 蝉の言葉に灯はコクンと頷いた。


「で、なぜこうなる?」

 蝉が決闘する姿なんて人に見せられない。というワケでこんな夜中に準備が進めれた。

 扇風機を柱から取り外し、その羽部分を俺の頭に紐で括り付ける。他にもカバー部分だの、色々な部品だのを体に紐で縛れた。

「これで扇風機男の出来上がり」

「待て、灯。まさか俺がこれで蝉と戦えと?」

「そう」

「いや、それじゃ扇風機と戦った事にならないだろ?俺と戦ってどうすんだよ?そんな事でこの蝉が納得するわけが……」

「ふふ、わたくし、やってやりますよ~この私の夏を奪った報いを受けて貰います」

「……」

「奴はヤル気」

「……正直、あんなでかい蝉と戦うとか怖いんだけど」

「所詮は蝉。カマキリなら危ないけど、非戦闘員みたいな昆虫なら楽勝」

「……なんかあったら助けろよ」

「ん、だいじょうV」

 ホントに大丈夫かよ!!?

 と、言う事で扇風機の部品を身にまとった俺と、巨大な蝉との異種格闘技選が始まる。

 取りあえず俺は素手だと怖いので、金属バットなどを追加装備してみた。

「じゃあ、良い?啓」

「おう」

「染之助染太郎は?」

「蝉之助蝉太郎です」

「蝉之助蝉太郎も準備は?」

「良いですよ」

「じゃあ……ほら、戦えー」

 灯の全くヤル気の無い声で決闘は始まった。

「ではいきますよ!!」

 そう言うと同時、蝉は空高く飛び立つ。そして俺の頭上を二回、三回と旋回して突撃してくる。

 そのスピードは早くない。その上に的が大きい。俺はバットを構え、そして……

「てりゃっ!!」

 ドガッ

「ギャッ!!」

 振り抜いた。

 金属バットは見事に蝉の巨体を打ち抜く。打たれた蝉之助蝉太郎はゴロゴロと地面を転がった。

 ……やり過ぎたか?

 ビシャッ

 蝉之助蝉太郎、失禁。

 いきなり無残過ぎる。

「お、おい、大丈夫か?」

 無警戒に近付く俺だったが。

「今だ!!」

 突然に蝉之助蝉太郎が跳ね飛び、俺の背後に引っ付いた。

 ブスリッ

 何が首筋に突き刺さる。

「痛くはしませんよ」

 チューチュー

「なにしてやがる!!」

「啓、吸われてる」

「吸われてる!!?ふざけんな!!」

 金属バットを振り回し、背中の蝉之助蝉太郎を叩き落した。

「まだまだ勝負はこれからですね」

「ボッコボコにしてやんぜ」

 俺はバットを握り直した。

 ドガッッ

「ギャッ!!」

 ボカッッ

「グハッ!!」

 ボゴッッ

「ドハッ!!」

 地面に腹を見せて引っくり返る蝉之助蝉太郎。ボッコボコになりました。

「……おい……大丈夫か?」

「……気持ち良いなぁ……」

「っ!!?」

 なんか今、気持ち悪い事を言わなかったか!!?

「蝉之助蝉太郎、まだやれる?」

 灯の問い掛けに、蝉之助蝉太郎はゆっくりと起き上がる。

「も……もちろん……」

「……」

 どうする……少しは手を抜いてやられてやるか。

「啓さん……本気でやって下さいね」

「お、おう」

 それから……


「おい、灯」

「ん」

 灯は引っくり返ったままの蝉之助蝉太郎に歩み寄った。そして言う。

「さすがにもう終わり」

「……わたくしの完敗ですね……リベンジなりませんでした……」

「悔しい?これじゃ成仏できない?」

「悔しいですが……でも気持ち良いです」

「お前、やっぱり……ドM……」

 俺もバットを放り投げ、蝉の元へ。

「いえ……私は精一杯に戦いましたので。負けた事は悔しいですが、それ以上に精一杯に、一生懸命になれた事が気持ち良いのです」

「そんなもんかな……」

「啓さん……啓さんは自分の寿命が分かりますか?」

「いや、そりゃ分からないけど」

「わたくしの寿命は長くて一ヶ月。このひと夏の間だけです」

「……」

「だからこそ何かに全てを注ぎたかった。生きている時間の中、全力で駆け抜けたのならそれは素晴らしい一生だと思うのです」

「短い時間でも?」

「時間が限られているこそわたくしには分かるのですが、灯さんにも分かる時がいつか来ますよ……と言う事でわたくしはこの辺りで成仏をさえてもらいます」

「染之助染太郎、この夏の間だけでも幽霊でいたらダメ?」

「蝉之助蝉太郎です。灯さん、わざと間違えてませんか?……わたくし蝉ですが、幽霊ですので。向こうへ行くのが自然なのですよ」

 そう言って蝉之助蝉太郎はゆっくりと自らの羽を動かした。そして羽音と共に体が浮き上がる。

「では啓さん、灯さん、ありがとうございました。扇風機に勝つという目的は叶いませんでしたが、わたくし満足です」

「向こうで好きなだけ飛べると良いね」

「……そうですね」

 もちろん蝉の表情なんて分からない。けど灯の言葉に蝉之助蝉太郎が笑ったように見る。

「では」

 蝉之助蝉太郎が空高く飛び上がる。

「おいっ、次は扇風機に気を付けろよ!!」

 俺達の頭を上の少しだけ飛び回り、やがてその姿は昇り始めた朝日の中に消えていく。

「なぁ、灯」

「ん?」

「アイツ、向こうでは好きなだけ飛べると良いな」

「ん」

 昇る太陽。また蝉の鳴く暑い一日が始まる。



                 【第六話】


 ここはどこか?

 山ん中。

 高く伸びる木々は太陽の光を遮り、辺りは薄暗くさえ見える。その暗さと涼しさに時間の感覚も狂いそうではある。木と土の匂いの中、獣道を歩く。

「啓、完全に迷ったね」

「……」

「ここはどこだろう?」

「灯」

「ん?」

「ここ一本道だし、いつも歩いてるトコだよな?全く迷ってないよな?」

「……雰囲気で言ってみた」

 別に迷っているわけじゃない。夏休みの宿題の一つ。自由研究という課題のため山の中で草とか何だとか色々集めていた。適当に取ってきた葉っぱをノートに貼り付け、なんか説明みたいなの付けときゃ良いだろう。

 と散策していたわけだけど。

「ところで啓」

「ん、どした?」

「オシッコ出そうなんだけど」

「いちいち報告すんなっ、勝手にその辺でしてこいよ」

「ん」

 獣道から外れれば周りは背高い草と木々ばかり。隠れてする所なんていくらでもある。

 灯も草むらの中に一歩踏み出した。そしてスカートを捲くり上げる。

「近い近い!!もっとあっちでしろよ!!」


「啓」

 草むらの向こうから灯の声。

「何だよ?」

「……ティッシュ忘れた。持ってる?」

「ま、まさか大きい方までするつもりか?」

 とんだ大物だ……大だけに。

「違う。女の子はオシッコでも拭く」

「そ、そうか。残念ながら持ってねぇよ」

 なんかドキリッとするわ……

「ふむ、仕方ない。ハンカチ使う」


 そして草むらから灯が戻る。

「ハンカチいる?」

「何で!!?」

「欲しいかと思って」

「お前、一体、俺をどんな奴だと……」

 その汚れたハンカチで俺にどうしろと?

 その時だった。

「ちょっとすいません」

「どわー!!」

 突然の声にビビる。

 振り返ったそこにいたのは天狗だった。

 ……いや、これ天狗?

「通りすがりの天狗です。どうぞよろしく」

「遠野灯です。どうぞよろしく」

 そこにいるのは天狗……の面を股間にした全裸のオッサンなんですけど。

 天狗じゃねぇー絶対にただの変態だ。

 俺は灯を庇うようにして、自称天狗の前に立つ。

 なるべく刺激はしないように……何をされるか分からないからな。

「えっと……何でしょうか?」

「いえ、あのですね。先ほどの使われていたハンカチ……あれ売って頂けませんかね?」

「……」

 コイツは変態じゃない。ド変態だ。

「汚れてますけど」

 無表情の灯。この自称天狗が何を言っているのか分かっているのだろうか?

「ええ、だからこそ欲しいのですけど。少女のオシッコ付きハンカチが」

 このド変態、率直過ぎる……どうにかして消滅しませんかね?

「あの、すいません、ちょっと僕達は急ぎますので失礼します」

「これでどうですか」

 と天狗がどこから取り出したのは……

「PS5!!?」

 今、話題のゲーム機じゃないか!!?

「ど、どうする、灯!!?」

 凄く欲しい!!

「ん?」

「いや、さっきのハンカチをくれてやれば最新のゲーム機が手に入るんだよ!!」

「そうなの?」

「……あ」

 しかし冷静に考えてみれば、それは灯を生贄に捧げるようなもの……でもまぁ……ハンカチくらいなら……葛藤の末、俺は天狗に向き直った。そして。

「やっぱり……お断りです!!」

 人ならば、男ならば、やって良い事と悪い事がある。こんな取引はお断りだ!!

「啓、泣いてる?」

「泣いてねぇーよ」

「仕方ありませんね。このPS5は漬物石にでもしましょう」

 天下の最新ゲーム機でなんて無駄な事を。

「……天狗さん」

「何でしょうか、お嬢さん?」

「これ」

 灯はハンカチを差し出した。

「おい、灯!!」

「啓はゲーム機が欲しい。ハンカチくらいあげる」

「ちょっと待て、灯……」

 止めようとする前に自称天狗は、灯の手からハンカチをひったくった。

「ありがとうございます!!ではさよなら~」

 そして走り出す。

「な、何なんだよ……アイツは……」

 そして置いていかれるPS5。そのPS5はボワンッと突然煙に包まれた。

「啓、これ。ゲーム機がただの石に」

 煙に包まれたPS5が石へと変わる。俗に言う化かされたという……

「……殺す」


「待てや、ゴルァ!!」

 小枝をかき分け、草をかき分け、全力疾走で自称天狗を追い掛ける。

「ハンカチくらい」

 その俺に無表情の灯も付いてくる。運動できないように見えて、苦も無く付いてくるあたりそうでもないようだ。泳げないだけで足は速い。

「そういう問題じゃないんだよ!!お、いたぞ!!」

 少し前方、スキップしているほぼ全裸の自称天狗を発見。向こうもこちらに気付いたようだ。

「もうこれは私のものですからね!!」

「うるさい!!待て!!」

 次の瞬間、自称天狗の姿が煙に包まれた。PS5のように。そしてその煙の中から飛び出して来たのは……

「狸だ」

「狸だな……待ちやがれ、このエロ狸が!!」

「待てと言われて待つ狸がどこにいますか!!バカな子供ですね!!」

「絶対にブッ殺す!!」

 走りつつ野球ボール大の石を拾い上げる。そして。

「当たれ!!」

 ビュッ、ドゴッ

「ギャースッ!!」

 放り投げた石は見事に狸の体を捕らえた。そのまま狸は引っくり返る。

「うう……」

「もう逃げられないぞ」

「家に……」

「何だよ、急に?」

「家に……お腹をすかせた子供達が……」

「どういう事だよ?」

 つまり狸の説明によると……

 お腹をすかせた子供のたちのために、少女のオシッコ付きハンカチをブルセラショップに売りにいくのだとか。

 ……よし、コイツは狸鍋にしよう。

「そういう事だったら仕方ない」

「分かって貰えましたか」

「……おい、灯。騙されてんぞ」

「いえいえ、これがホントなんです。灯さんでしたっけ?出来れば貴方のパンツの方も頂けると助かるのですけど」

「このエロ狸、あんまり調子付くと鍋の具にするぞ」

「啓……パンツくらい良いよ」

 すると灯はスルリッとパンツを脱いでしまう。そしてそのままパンツを狸の頭にかぶせる。

「ふぉぉぉぉぉっみなぎって来たぁぁぁぁぁっ」

 絶対にこの狸の目的はエロい事だろ!!

 それになぜわざわざかぶせた?

 俺は大きくため息を吐いた。そして拳を握り締めた。


「ほ、本当にすいませんでした……」

 頭に大量のタンコブをこさえた狸はフラフラと立ち去っていく。

「ほれ、灯」

 ハンカチとパンツを取り返し、灯へと渡す。

「啓、もしかして……」

「もしかして、何だよ?」

「啓が欲しかった?」

「だから、んなワケないだろ」

「えい」

 灯は受け取ったパンツを今度は俺の頭へとかぶせる。

「……」

 頭を引っ叩いてやろうと思ったが……え、なに?この充実感。なんか幸せ、不思議!!



                 【第七話】


 夏休みの終わりは早い。

 まるでその期間だけ早回ししたように、楽しい時間というやつはあっという間に過ぎ去ってしまう。

 そしてその最後の日を締め括るのが、この小さなお祭だった。

 小さな神社の小さなお祭。

 深い紺色に、小さな花が咲く。ピンク色の紫陽花が。それは相変わらず無表情な灯が着た浴衣。

 そんな灯と二人、俺は歩く。

 結構、良い雰囲気かと思いきや……

「お前、まだ食う気かよ!!」

「まだ、そんなに食べてない」

「ヤキソバだけで三人前食ってるぞ!!」

「育ち盛りだから」

「その他にお好み焼き、たこ焼き、クレープ、綿菓子に、死ぬほど食ってるだろが!!」

「お祭だから」

 露店を回りまくり、買いまくり、食いまくりの灯がいる。胃袋に底があるのか分からない程。

「それに最後だから、啓にいっぱいおごらせる」

 最後……灯が居るのは夏休みの間だけ。つまり今日が最後なのだ。それを考えると寂しい気もする。

「……小学生の小遣いなんだから考えてくれ」

「ん。取り合えず、りんごあめ」

 まったく考えてねぇー


 そして散々に買い込んだ今、俺たち二人は神社裏にいた。そこは俺の穴場的スポット。

 神社を挟んで反対側は騒がしいのに対して、こっちは側は全く人気が無い。

 そんな所で二人っきり。良い雰囲気かと言うと……

 ゾババババババッ、ゴクンッ

「ヤキソバうめー」

 灯がヤキソバを、まるで飲み物のように片付ける。

「啓。コーラが欲しい。やっぱり油モノにはコーラ」

 ちょっと待て。

「……」

 今、俺の目の前には……

「啓?」

「おい……あんなでっかいホタルはいないよな?」

 目の前、雑木林の方を指差す。

 そこには青白く発光するものが、二つ、三つと空中に揺れていた。俺の知識が確かならそれは……

「ん。ホタルじゃなくてヒトダマ」

「別に害は無いんだろ?」

「ん」

「じゃあ、まぁいいか。って、コーラだと?俺はお前のパシリか!!」

 俺も随分と慣れたものだ。ヒトダマの一つや二つでは恐怖など感じない。これも灯のおかげか。

 だが、それも一つ、二つ、三つの場合だが。

 ヒトダマは三つ、四つ、五つと順調に増えていく。

「灯……なんかヒトダマが異常に多くなってきているんだが」

「夜は墓場で運動会の影響かな?」

 大して気にしたようすもなく灯は答える。そして綿菓子をむしり、口の中へと放り込んだ。

「あめーし、うめー」

 そしてドンドン増えるヒトダマがやがて一つに重なる。

「……ヒトダマでけぇーーー!!?」

 呆気に取られた俺のツッコミが遅れて入る。目の前には直径が一メートルをゆうに越えるような巨大なヒトダマ。

 しかも。

「手と足が生えたぁ!!?」

 ヒトダマからジャキンッと手と足が飛び出したのだ。本体と同じく発光する手足。

「あ、あ、灯、あれヒトダマじゃないぞ!!」

 俺の知る限り、手足を持つヒトダマなんて見たことも、聞いたことも無い。

「出たな。ヒトダマン」

「知ってるのかよ!!?」

「いやテキトー」

 ボカッ

「……ひでー」

 灯は頭を押さえる。

 そんな、この夏幾度も繰り返された二人の手順。

 これももう、今日が最後なのかも知れないと思うとなんだか寂しい。

 なんて感傷に浸る暇もありゃしない。

 仮称ヒトダマンが……

「十年に一度、私は降臨する」

「喋りよったぁぁぁぁぁ!!?」

 目の前で人型になったヒトダマが、突然声高に叫んだのだった。

「ツッチーも喋るんだからヒトダマンが喋っても不思議じゃない」

 灯、至って冷静。

「私は神の使い。十年に一度だけゲリラ的に姿を現す。そして浮かれ気分で人々の願いを叶える存在」

 ヒトダマンはそう言って、光を増す。

 なんか随分と困った奴っぽいが、『願いを叶える』という言葉が気になる。

「どんな願いでも?」

 ヒトダマンの言葉に俺は身を乗り出した。

「ただし条件がある。私と戦って勝ったら願いを叶えてやろうじゃないか」

「……やっぱりいいです」

 いつぞやの地縛霊水泳対決、蝉之助蝉太郎対決後、勝負事に対して後ろ向きな俺。

「やらんのか。そっちの娘はどうする?」

「もちろんやる。対決方法は?」

「やるのか……」

「対決方法は当然、魂の拳!! 目つぶし金的以外オールOK!!」

 アンタ、目も金玉もないだろう。

 そんな俺の心の中でのツッコミを他所に、灯がすくっと立ち上がる。

「私の得意分野」

「マジで!!?」

 浴衣を着た女子小学生VSヒトダマンのガチンコ対決……という異種格闘戦がここに成立した……そしてジャッジ俺。

「ほら、じゃあさっそく始めるぞ」

「頑張る。啓、応援よろしく」

「はいはい、じゃあ、始め」

 力のこもらない開始合図と同時。

「キェェェェェッ!!」

 奇声と共にテトテト突っ込んでくるヒトダマン。その動きは恐ろしい程に……遅い。まるで幼稚園児が駆けて来るようだ。

 そして灯の間合いに入った途端、ヒトダマンは転んだ。

「あっ!!」

 という声と共に。

 ズシャシャシャッと砂埃を上げて地面にひっくり返る。そして灯はその転んだヒトダマンに対して、拳を振り落とした。

「せい」

 ドゴンッ!!

「ギャァ!!」

 ヒトダマンの手足が痙攣したようにピクピクと震える。

「うぃなー」

 拳を天に突き上げる灯。

「……ま、待て。三回勝負にしよう」

 ヒトダマンはぴくぴくしながら言った。

「格ゲーならそれが基本」

 灯は納得したらしい。

 ラウンドつー

 しかし、ゲームの格ゲーと違い、ラウンド後の体力の回復はない。

 相変わらず横たわったまま、ぴくぴくと痙攣を繰り返しているヒトダマン。

「かかってきなさい! 私は何時、どんな状況でも挑戦は受ける!!」

 なのに、やる気だけは衰えていないヒトダマン。

 こんな虫の息の相手にどうするのかと灯の方を見ると……。

「潔し」

 灯は踵落としのように大きく足を振り上げた。

 トドメをさすつもりらしい。容赦ねぇ……

 浴衣の裾がまくれ上がって、白い太ももまでもが露わになる。

 バカっ、足をそんなに振り上げたら……し、下着が。

 !!!!!!!!!!?

 俺は見た。そして鼻血を吹いてブッ倒れた。

 そして聞いた。ヒトダマンの断末魔を。


「目が覚めた?」

 目が覚めて最初に見たのは、目の前にある灯の顔だった。

「どわっ!!」

 俺はビックリしてその場から転げ落ちる。

 神社裏、その縁側に腰を掛けて座っている灯がいる。

 どうやら俺は、灯に膝枕をされていたようだった。

「急に鼻血出して倒れるからビックリした」

「ま、まぁな」

「流れ弾にあたった?」

 肉弾戦で流れ弾なんてあるかっ。でも、ある意味飛び道具にやられたと言ってもいい。

「……一つだけ聞きたい事がある」

「ん?」

「あのさぁ……女って浴衣の下に下着は着ないのか?」

「浴衣はパンツ履かないのが基本」

「そ、そうか。色んな意味でありがとう」

「よく分からないけど、どーいたしまして」

 そして灯の隣に俺は腰を掛け直す。

「で、ヒトダマンには勝ったのか?」

「らくしょー」

「願いは?」

「おしえねー」

「……とうっ」

 ズベシッ

「ひでー」

 取り合えず灯の頭を引っ叩く。

 そして突然だった。

 パァァァァァンッと弾ける音。夜空に色とりどりの花が咲く。

 それは花火。

 鮮やかな明かりが二人を色付ける。

「面白かった」

 灯は言った。

「花火の褒め言葉は『きれい』だろ。なんで『面白い』なんだよ。しかも過去形だし」

「この夏休み。面白かった」

 ……そっちか。

「……良かったな」

「ところで啓」

「ん?」

 さらにいくつもあがる花火の方を眺めながら、灯は言った。

「そのお面くれ」

 射的の景品で、お目当てではなかったのだが取れてしまった招き猫のお面。

 なんとなく、コレも祭りの気分だ。と、頭に斜めにかぶっていたのだったが、別にくれてやって惜しいものでもない。

「良いけど、何でだよ?こんなの欲しいか?」

「今日でお別れ。急に啓が身に着けているものが欲しくなった」

 まぁ、今日が最後だからな。俺は素直にあげることにした。

「ほれ」

「啓には代わりにコレあげる」

 灯が差し出したのは、この夏、出会ってからいつも灯が身に付けていた、黒猫のバッチだった。

「……大事なものなんじゃないのか?いつも付けてただろ、これ?」

 思い出してみれば、いつも見に付けていた。

「私は見た目が暗いから。少しでも可愛いの付けてたら友達も出来るかもと思って付けてた」

「気にしてたのかよ……でもいいのか?」

「ん。啓がいるし」

 いつも灯が身に付けていたコレと、別に欲しくもなかったけど手に入ってしまったお面では、釣り合いが取れないような気がする。

 だけど灯はいつになく強引な感じで、俺の手にバッチを押しつけた。

 そして、ひったくった招き猫のお面を、顔にかぶる。

「……帰りたくない」

 灯はポツリと呟いた。

「……」

「……」

 そのあと、灯は一言も喋らなかった。

 二人で帰路の夜道を、手を繋いで歩く。

 というのも、灯はお面をかぶりっぱなしで、足下が見えなくて危なげなく歩いていたから。

 『危ないからお面を取れよ』といっても、灯は頑なにお面を最後まで取ろうとはしなかった。

 そのまま、灯は夜のうちに……お面をかぶったままで素顔を見せないまま、引き取りに来た家族に連れられて帰って行ってしまった。

 俺たちは、お別れの言葉すら交わさなかった。

 いや、すでにもう、お別れの儀式は済んでいたと二人が理解していたからかも知れない。

 残ったのは、灯のトレードマークだった黒猫のバッチと、手をつないで帰ったとき、きゅっと握りかえしてくる灯の小さな手の感触だけ。

 そうして灯という不思議な女の子との不思議な夏休みは終わったのだった。



                 【エピローグ】


 新学期が始まった。

 見慣れたクラスメイト達との、戻ってきた日常。

 子供じみた黒猫のバッチは、これからも積み上げられていく新しい記憶の中に埋もれていってしまうのかも知れない。

 大切な思い出だったのに、いつかはそれを忘れ去ってしまうのだろうか。


 終わり

この後、高校生編に続く……かも。

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